ゆるい思想

脳ミソからケツまでイった男の雑記

マルチなトリプル

「これはこれでいいけど、こっちもできるようにして」
しかし、相対的な価値は与えられるものではない、情報としての満足の尺度は一体どこから来るのか、それは多様性の証明である。あくまで想像の「さわり」ではカオス理論(すっとぼけ)的なもので錯誤される期待は、いつしか価値の決定の瞬間がもたらされた時に固まるものである。何を当然のことをと思うが、事実確認すると共に、現代において求められていることはひとつであり、ひとつでない。

そのひとつとして、謝罪がある。謝罪というものは社会において相手方に示す態度であり、自身の地位を維持するための行為、または意思表示である。謝罪とは、反省ではない。反省は行動であり、行動は謝罪ではない。そして、これを進化と呼ぶか末路と呼ぶかを誰かが決めた時、決まって金魚の糞のようにくっついてくるのが後付けの「根拠」であり、それでいて価値の変わらないものが、はじめて社会的な地位を有している証明となる。そして根拠のない共感で価値を失いがちなのが「言葉」である。

この「態度」と「言葉」が「行動」に直結している当たり前の事実を、最近まで理解できなかったので、こんな書き方をした。
態度と言葉を失った人間、もしくは、これらを信用していない人間というのは、割と世の中にいる。人間の内的なノウハウの程度とか、経験とかいう話ではないことは伝えたい。チンコが右曲がりの奴は天才とかそういう話は好きだけども。

ここで悲しかったのが、自分の考えははっきりと言う、といった意見はゴミに等しいと痛感したことである。何が左右するのかを介さない空間はどこにもない、もちろん社会組織に属する上で何らかの目標が存在する場合はまた別の問題となる。
ダメな人間は、何を言ってもダメ。思い返せば、他人の正論なんてクソ程にも有り難いと感じたことは一度たりともない。俺という人間、拒むことを知らない種壺精神には自信を持っているが、結局こういう人間は言葉を発すれば発するほど価値がどんどん落ちていくことを知らなかった。自身の行動に対して理由がついてこない事を本能と呼ぶにはあまりにも簡潔過ぎて納得がいかない時に、ただ相手に与えていると思っていた情報が社会という空間を通されていることを知らなかった。

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両刀論法


幼稚園児や小学生が当たり前のようにインターネットでの出来事を話題にしていることに親近感、あるいは妬みや羨望を強く感じるものだが、これらは大人もいつしか同じことを思ったかもしれなくて、同じ社会に生きる者として自分との同一性という期待をかけてきていることは先の「インターネットが生まれた頃にはもうあった人間」に親近感を覚えることと同じで、たった10年違うだけの人間にかける想いはあっても、それを感受する側は煙たいとはね除けてしまうことを自分が証明してしまった。
大人からの褒め言葉は人間性の肯定にはならない、寧ろ「嫌な出来事も含めて」もっと経験したかったという大人が自らへの環境を否定しているものだと解釈した時に、とても褒められているものではないと感じたなら、時代として簡潔に答えが出た時にも、抱いた感情は途切れないという非可逆的なものはこの先信じたいものではある。
それでも、「やりたい事があるなんて羨ましい」と言われた時には何て言えばいいか分からなかった。30代、40代の人が自分という10代の人間のどの部分とどう照らし合わせて喋っているかも分からないが、この時点で何か潰されそうになったのは、こんな落ちこぼれの人間を見て自分への後ろめたさを感じないで欲しいと腹を立てたからである。どうも、こんな奴でもやり通す意思があるのかと過去の自分の落ち度を責めているように見えて異様に悲しくなる。
「大人が」大人や子供を定義付けるのは糞を撒き散らす程この世で一番嫌いだけど、わざわざ感情を取りに来る価値が良くも悪くもあるんなら、提示できているという証明が自然的にされている事になる。自分の理解が及ばない事柄についてそれを可能性と呼ぶか否定の意思を示すかなら大いに賛同したいが、都合の良いものを言葉で説明せずに嬉しく思うなら、疑問の上で破壊したい。

このブログでも散々書いてきたけど自己欺瞞を自覚しながら正当性を確保しようとする自分とその過程における矛盾が嫌いな訳はなく、「一般的に」違うんだよ、分かってるよ、逆でもそう、たかが個人から通俗的なものを感じるなというどこからかの言葉を常に警告されることに嫌気がさしているから、個人の尊重が対置された時に愛想つかしてケツを振る。たまげたなあ、終着点は同じじゃないか。

これを読んで「被害妄想」「楽観的になろうや」と思われたとして、そんなもの何の指摘にも慰めにもならない。個人の前に社会的地位として裁かれた重さが認識の中に存在するなら、抽象的な規範と同時に上から目線で定義付けられる共通意識はブッ壊していきたいと思う。



余談

あっという間に一週間が経ち、また2人だけの生活に戻った。
勿論手厚く歓迎しようという気持ち以外有り得なかったが、この家に他人を住まわせるという行為はどうも落ち着かなく、人間として保守的にものを所有するという欲を掻き立たせ無意識の内に高圧的な態度をとっていたせいか、何か一緒にやる時に露骨に嫌な顔をされていたが、最後の2,3日はお互いストレスフリーに生活出来ていたと思う。一週間という長くも短くもない期間に救われた。
無計画な父親に腹を立てまくっていたのでまあ邪魔な存在でしかなかっただろうけど、これも含め正直反省する点があり過ぎる。呼応とか抜かしたが考える暇も無かった。

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襲来


詳しくは話せないが、今夜から外国人が一週間この家で生活する。そして今週バイトが一日たりとも入ってない。これがつまりどういう事かと言うと、「日本人の子供はまともに学校にも行かず仕事もせず家でダラダラしている」なる印象を与えてしまう危険性を孕んでいるという事である。

日本という先進国にどんな期待や懸念があるかはサッパリ分からないが、自分が海外で人の生活を客観的に見たように、というか主観的に見るなら失礼極まりない行為だがまあとにかくそれと同じ目が「子供の」自分という人間ひとりにフォーカスされる確実性には自信があって、そして何を提示できるか、いや提示という一方的なものでなく呼応する環境を秘めているという前提の期待もあるかもしれない。
途上国でも、子供は学校に行くものである。それが日本の子供は全日制を捨て遊びにほうける選択肢を持っているという見方をされた場合、果たしてそれを楽観視してくれるかどうか。自分で言うのも悔しいが、通信制なんて高校行ってないのと同じである。幸い卒業に向けての課題に追われているため「勉強している姿を見せつける事ができる」のは間違いないが、こう考える自分が悲し過ぎるのもまた間違いない。

まだ家に来てもいないのに既に面白い。夜までの時間に追われまくってんのにそれどころじゃなく嬉しそうにこれを書いてるのでヤバい。
何をしなきゃいけないかって、一番に掃除である。この家は落ち着くとの評判を得ているがそれは絶妙な汚さ故にもあるので清潔感を第一に、幸い汚いとされる原因に当るそこら辺に散らかっているものの所有者は9割方この俺なのでまず掃除。そして自室、家族以外に誰も上がらせた事は一回もない理由は圧倒的な汚さにある。これに限り文章で説明するとしても想像には難くないと思うが、エロ本が積み上げられ下着は散乱し、(何とは言わないが)中身が一杯のゴミ箱が平然と2つ並んでいる。そして日を追うごとに増えていった飾る予定とされたアニメグッズが机の上で山を作っている。当然この部屋も見るだろうからさっさと掃除して換気してグッズを飾らなければいけない。お前この前掃除したって記事書かなかったかってか?あれは部屋の半分の話だ。という事でネオジム磁石を速達で購入した。160円から300円に大幅値上がりしてんじゃねえよ。早くしろ。


見栄の前に衣食住の要素を考えなければいけないがそもそもこんな記事書いてる場合じゃねえ。

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デスクトップ・デビュー


遂に愛用のAcerタブレットPCがブッ壊れたので、急いで新調したい。

正直この低スペック(AtomZ3735F,メモリ2g)低価格で何の問題もなく無料オンラインゲームやofficeを利用でき、マインクラフトでもシェーダー、テクスチャ導入してのマルチプレイで十二分に遊べ、60fpsアクションゲームの動画編集やエンコードがWin10にアップデートしても不備なくこなせたので近年のパソコンが凄いことに間違いはないのだが、何といっても3年持たずに壊れたこの脆さは記憶に残る。まあWindows8.1が出たばっかの時の商品で(買ったのは2015年)、着脱可能タッチスクリーンで厚さ1cmにも満たないコンパクトさ、バッテリーも8時間持つという夢のようなパソコンだったのでしょうがないっちゃしょうがない。よくここまで動いてくれた。


これからミドルスペックのものを買うにあたり、いくらいいものを積んでいても5年は使いたい。去年のニュースかなんかでゲーミングPCの需要が増えていると家電量販店の店員が話していたのを見たが、その顧客を狙った罠はどうしても踏みたくないので最低限の知識はつけておきたい。

そもそも何故、PS4でしかゲームをやるつもりがないのにミドルスペックPCが欲しいかと言うと、3DCGのモデリングレンダリングをやるからである。CPUは勿論、グラボもメモリも必要になってくるので必然的にゲーミングPC辺りを探る事になる。
そしてノートからデスクトップに乗り替える。ノートのゲーミングPCはちょっと怖い。ノートにスペックを要求するのは違うという固定概念がこびり付いているのもあるが、CPU冷却において貧弱であるとか、空きスペースがないとか、バッテリー駆動であることが不安要素として挙げられる。

問題なのはそもそもPCのスペック関係において全くの素人の身分であること、「これ使うとこんだけ動く」くらいしか関心も知識もない。グラフィックボードとか3日前に知ったわ。必死こいて勉強と情報収集を繰り返す中、数値だけを見てはいけないことはとりあえず念頭に置いている。
予算は税込送料込で15万。


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前置きはもういいのでCPUやCPU。
Intel Core i5にするかi7にするかだが、まずなるべく新しいものを選びたい。お値段的に考えて、i5なら8世代の8400、i7なら7世代の7700でいこうと考えている。この2つ実はそんなに変わんないらしいし、じゃあお安いi5 8400でいこう。つってもi7は7700Kへの無料アップグレードとか結構見るのでその辺も視野に入れておく。


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お次にグラボ。

中でもよく名前が見られたGeForceにするかQuadroにするか。調べて出てくるのは
「ゲームならGeForce、3DCGならQuadro
「ゲームも3DCGもGeForceで事足りる」
どっちだよ。誰か助けて。

そもそもこいつらの何がどう違うのか。そこで出てきた単語が「DirectX」と「OpenGL」。
どちらもソフトウェアで、あらゆるPCの動作を快適にしてくれる優れものらしい。この2つでその「あらゆる」が変わってくる。DirectXはゲーム・マルチメディア処理用APIOpenGLはグラフィックスハードウェア向けのコンピュータグラフィックスAPIなんだと。同じ括りのソフトウェアなので基本的には「選ぶ」動作があると思うんだけど、こうして用途が分かれていると理解しやすい。
そんでGeForceDirectX特化型で、QuadroOpenGL特化型という事で、Quadroに狙いをつける。

しかしどうだ、3DSMAX(使用予定ソフト)を実際に使ってる人のツイッターとか覗きに行くとGeForce使ってる人結構いる。3DSMAX初心者質問スレ行ってみるとDirectXは当たり前になってたりバージョンによってOSそのままにしてるから基準が…え?ま、まあまあまあまあまあまあまあ待てや。落ち着け。これ以上考えると頭がショートする。マルチタスク非推奨。この頭マルチタスク非推奨。ひとつひとつ処理しろ。

記事だとQuadroSNSや掲示板だとGeForce。なるべく新しい情報を選んだ。記事では数字だけを載せている場合が殆どで、Quadroは基本という一種の常識のように語られている。一方SNSや掲示板では数字は全く出てこない。信憑性があるのはどちらか…
記事というのは根拠や説得力が必要となってくるので数字は勿論、言い伝え的な話も用いる場合がある。PCに限らず「実は使ったことがない」から他の情報媒体から仕入れるケースが本当に多いのが困るところ。人間って怖いね。ということで、今回はGeForceに決定。

決定するにあたっての判断要素は他にもある、Quadroはクソ高い。免許取りたての時は軽安定と説得されるのと同じで一発目は金をかけ過ぎたくはなく、逆にグレードの低いQuadroを買って後悔もしたくない。


GeForceに決まったところで、どれにすりゃええんや。
GTX 960Mを搭載したPCを購入した友人が後悔しまくっているのでこれを基準として、次に出てくるのがコスパ最強の(ってどっかに書いてあった)GTX 1050Tiだが、2018年になっても購入者は沢山居る模様。ゲームするならこれで十分だけど今回は余裕を持って上のランクに。
となるとGTX 1060 3GB または6GB、商品によって単品の差額を大きく超える場合があって面倒臭い。これなら1070選んだ方がいいんじゃないの…と気が付いたら予算ブチ抜いてたまげる。しかし最新バージョンの3DSMAXで1060 6GB使ってもカクつくわという声があり恐ろしい。でも3DSMAXで何をやってカクついてんのか分からないので判断出来ない。め、めんどくせぇ…
とりあえずこれもどっちでもいい。


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次にメモリ。

8GB(4×2)か16GB(8×2)のどちらかにするか、ここまで割と幅を利かせてきたので16GBでもいいところ、または8GBシングルにして足りなければ買い足すという手もある。描画処理はグラボがやってくれる筈なのでデュアルではなくても問題ない…んだよね?(疑心暗鬼)
しかし広く選べるとは言えメモリの場合はショップによってデュアルばっかりだったりするのでこれも頭に入れて8GBシングルまたは16GBデュアルどっちでもいい。
一応この記事書いてる時も探しては比較しているんだが、どのパーツもひとつに絞ってしまうと納得する商品が出てこなかったり割引やらキャンペーンやらを見逃すので妥協案と名乗ってワイドに行こう。できれば8GBシングルで。


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最後に容量やらその辺。

これは最初からある程度は決まっている。SSD搭載してるやつ。250GBあればいい。システムドライブとして運用して余った分は好きに使う。
HDDは1TBあれば大丈夫でしょ、大丈夫大丈夫(適当)でも2TBのアップグレードで+3500円はどう考えても安いが、いざという時はPS4の外付けHDDブチ抜けばいいでしょ。
自作じゃないのでマザーボードも考えない。
ポンポン出てくるオプションは要らない、この手のオプションは一切不要と叩き込まれているので便利な身体です。


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最後に父親に相談すると、「やめとけ」の一言で打ち切られて草枯れた。用途が違うとは言え、いくつ買い替えてきたか分からない人間の発する言葉は重いんだろうが、俺にはそれが解らんのでジレンマがありすぎる。

本当のところを言うと、たかが初心者が3DCGをやる最低ラインのスペックはもっと低くていい。学生の頃にいいもの揃えたって意味がないという意見はいくつも見かける。最初に5年は持ってほしいとか抜かしたが、パソコンなんて2,3年で買い替えるのがオチなのは知っている。

じゃあ何で拘りたがるのか。そりゃ初めて将来の為に金を使うからよ。プリパラに射抜かれてようやくアニメ業界に足を運ぶ準備ができる。ID-0とかで興奮しまくっていたセルルックCGのプラグインも備え付け。結果的に希望の職に就けなくとも、CGを学ぶ機会を得られるというだけで有意義だと思っている。それと今まで手の届かなかった、というか届ける必要のなかったパソコンを今こうして買う事になったので純粋に楽しみなのもある。
御託を並べたってスペック分の高度な作業できなきゃ意味がない。じゃあ腐らせない為に、娯楽に使っちまえばいい。つまるところはVR、最近ゲームの熱も冷めてきたと思ったらVRの登場で少年心がモロに帰ってきた。VRという単語を聞くだけで勃起する。じゃあ購入できるじゃない!クンツォ!いやVive買う金あんの?


ということでパソコンの方は注文済みなので届いたら書く。

懺悔タイム4


嘘だ。「嘘は滅多につかないと言いたい訳でもなく、具体的な現実ではなく無意識的な感情」なんて立派な嘘。実際は嘘をつきまくる本物のクズ野郎、ただ見栄を張りたいだけの、焦燥感ひとつで行動し、生きている人間。
善も悪も構わず正直過ぎる人たちを間近で見て真に感じたのは、紛れもなくこの俺が嘘つき人間であるということ、この前書いた「行動原理」、自分が嘘つき人間であることの証明を踏みとどまって誤魔化した。それを説明しても今はまだ、これとこれについては事実と一々弁明したい自分が確かに存在しているのはとんでもなく憐れで、クソクソクソクソオブクソ。
最近妙にリアリティを感じられなかったというか、これまでやってきた事はもはや他人事のような気がしていたのは風情もクソもなくそこに対置されていたからだ。何もかも中途半端な文を書いてきたのは捻りもなく現実から逃げたかったからだと理解した。
他人が嘘をつき始めればすぐに分かる。「まーたその場しのぎに話作ってるよ」こんな思いが、自分にも当然のように向けられていることに何故気が付かなかったのか。本物とされた嘘が年月を超えてやって来た時、もの凄く惨めな気持ちになった。それは、周知の事実として完成しきっていることに腹を立て、ただ肯定する。あるいは、既に見抜かれていたのだろうかと思い、どうしようもなく互譲を見る思いで応答する以外に選択肢が与えられなかった。相手が本気なのに、対してはこの有様、あまりにも酷い。大した話じゃない、そんな事は分かりきっているが、敗北感というか、見下されているというか、ただ申し訳ない気持ちで一杯だった。
半年前、一番付き合いの古い友人とこれでもかと腹を割りまくる機会があった。初めてだった。日が落ちる前の小学校の校庭で、感情をそのままに話し、ただひたすら謝罪と賞賛を繰り返し、深夜を回り親から電話が掛かってくるまで時間を忘れて話していた。そこには嘘なんてひとつもなく、高め合おうという意識もなく、2人の間にあった出来事で認知していたもの、していなかったものとその相違を互いに確認した。自宅に着いてベッドになだれ込んだ瞬間の満足感、後ろめたい気持ちのなさ、一種の勝利感は懐かしいものがあった。
その勝利感は母親を言い負かして部屋に籠らせた後、自室に戻り、なぞるように自分の発した言葉を思い出して悦に浸る瞬間のあの感情と似ていた。久しぶりだった。日常的に行われた喧嘩の中で原因は見事にひとつも覚えていないが、既成事実の塗り合いが必ずあったこと、結果の先にあった勝利感、敗北感は鮮明に覚えている。そのうちの片方が物理的に震える事無く、それも事実の塗り合いだけでやって来たのは快感だった。意義や証明の過程として「母親を言い負かし」ていたあの時の行動、母親がついに出て行った後は自己の正しさを証明する手立てをついに失い、どんな人間であるかサッパリ分からなくなっていた時に同じ感情を抱いたのは、友人との間にあった会話の正しさを証明する前に、母親との間にあった喧嘩の正しさも結果的に証明してしまった。
それからは、これまで行ってきたことに対しての絶対的で必然性も秘めていた嫌悪感が消え始め、時間は何も解決してくれないと思っていた正しささえも消え、本当に時間は忘れさせるものだと悲しく思いながらまるで美談のように贖罪のつもりで反省を文字に書き起こせる自分は一枚岩ではなく、二枚舌でもあると惚れていた。その結果として12月の記事で「相対的に見なくともここ数ヶ月はいい生活を送れてると言える」などと最悪の思い込みが言葉として出た。全ては自分が招いた嘘だったことをやっと今理解した。愚かすぎる。

もう正直に生きたい。道徳的な堕落なんて常に起こっていた。後悔しかない。心機一転とかほざく前に甘えた人生の汚点を洗い出して、それからやっと、金使って、金稼いで、アニメ観て、ゲームして、友達と遊んで、美味しいもの食べたい。

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あくまで強気に


あるいは惨めに、旗幟の不透明さが裏目に出たのか方向性の疑念を煽るこの体たらく、それでもまだ五分だとセーフだと安堵しているつもりが、実際は端から心配すらしていないという楽観、疑問に疑問を返す始末。結果論がどうしても欲しいと回顧してしまえば正解か不正解か、あっさり答えを出した。しかし採点などという一貫性など求めてもなく、良く言えば無造作。次に良いか悪いか、要するにストップモーションではなく「口上」の問題としてはどうかと言われるとあまりに物語がなさすぎる。減らすものは減らし、消すものは無視した過程はあれど(これを進歩というかは別だが)、人間に近付く為か遠ざかる為か知らねえが身になったものには一旦区切りがつく。

重要なのはここで示すもの、つまり威厳である。それがあるかないか…なくない?
理解の及ぶ感情の肯定をある程度は嫌ってきたものの、先にも似たような事は言ったが高低差という相対評価、否定と同情の中での優位性、そういった類のものの結論を出されるタイミングが来てしまったからにはそれをどう表現するか、その「くだらなさ」で勝負をかけたい。

勝負したい以上、ここで興味もクソもない話をするのが最適なのには自信がある。例えば友人、こいつに彼女とかできる訳ないやろと思ってたのが5人くらい作ってたとかそういう表面の表面上でもうらやま…正しくルサンチマンが形成されている事実に並行して俺が出せる最強の武器は、布団から起き上がるモチベーションの管理とか昼飯のやり過ごし方とか風呂に入らなくても臭い的にセーフな最長時間くらいしかなくて結構困っている。

文字で叙情する上では余裕がつくもの、そこに人間と人間が関わっているかどうかの人間の会話に対抗しようという時に、どうしたものか折衷する余裕もない。何かはあっただろと思った瞬間、あまりに人と日常会話をする機会を失ってしまった愚かさに気が付いたと共に何をどんな風に話せばいいのか忘れてしまったのである。
これが威厳の尺度となる。このくだらなさでいい。本当はもっとスケールの大きい話であると傲慢になる必要は無い。これが俺のレベルだ。


アホな話で何やら説得力が消え失せたようだが、つまりは猫背を直し、痩せなければならないという結論に至る。威圧をかけろ。格好で勝負だ。全員ブッ倒すくらいの気持ちでIKEA。そんな感じで心機一転、走らさせて、頂いてます。

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無題






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最大瞬間風速


やることが分かっているならモルモットでいい、分からないなら人間を使いましょう。何に舌を巻き、何を見下すか、答えが出たと思ったらいっっっっつも一枚剥がれてやり直し、魂は消えて、羽が生えました。等価交換でも喜べない。尺度が分かってない。価値、あるいは長所と呼んでいいものが通り過ぎるタイミングは簡単に可視化できているはずなんだけどまさしくここで「道徳的な堕落」が並行するという、ちょっと面白い現象が起こる。

という毎日があったとして、果たして進むか戻るかと言われれば止まったままのはず、今日はこういうことにしておいて、つまり現在って未来でも過去でもなかったんやなって思う。クソ当然だけど割としみじみ感じてしまったので余程のバカかアホかのどっちかだけど、敢えてスッカラカンの頭でパッと思い付いた言葉で言うなれば希望、何やったんやろなぁ、苦労というか孤独というか…

結局思想の問題でなくやっぱりただの感情、周囲で「あほくさ」って出来事か「ええやん」って出来事のどちらが、上かな?(天地創造)とかいう単純で自己中心的な概念が見解やら世論やら呼ばわりされている事実、いや外的なものじゃなく、内面としての。

情熱も優しさも厳しさも要らないと言えば嘘になるが、どうにもこうにもできない輩がちょっと目立つからには、別に不便な言葉ではないんじゃないかと思う。もっと小さい頃は大人は嫌な生き物だと散々思わせてくれたもんだが、今もまたナチュラルでピュアな幻想が戻って来るとは流石に予想もつかなかった。変に意地悪に考えてみれば大人は子供に優しくて当然と無意識的に感じていた可能性が微粒子レベルで存在する…訳ねえだろ。
どっちにしろ常にこのクソ寒くてくだらない町からさっさと逃げ出したい気持ちではあるけれど、もちろん成長を感じられる部分は少なからずあるものの、いやそれすら否定するつもりは更々ないが、因果は因果っていう縛られたものだったら時間だけ取られていくんじゃねえかと。

まあ「常識的に」考えられたら社会性の話なんかアンチテーゼなる一単語聞いただけで笑われるから、派手な格好するんだったらその理由を探してもらえばいいだけの話。

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無題


蕎麦が食いてえ、蕎麦が食いてえとひとりクソ寒い中近所のやま岡そば屋へ足を運ぶ。表通りは車が多くて嫌いなのでいつも横道からぐるっと回って行くのだが、ようやく店の裏口に付いたところでいつもは表にある筈の看板が立掛けてあり、嫌な予感を抱えながら入口へ向かうとそこには「店じまい」の文字が書かれた紙が貼られて…
うせやろ?
まさかその場で自然的に淫夢語録を口に出す時が来るとは思ってもみなかった。いやそれはどうでもいいんだよ。しかもひと月も前の12月16日に畳んだとの事で、理由としては諸事情(体調)と書かれており…あぁ…オ゛ッ…もうマジかとしか言い様がない。11月末に一度行ってからというもの珍しく多忙で行けなかったとかいう苦し過ぎる言い訳をするほかなく、ああもう、あの…あの卵カツ丼セットを最後に食いたかった…幼稚園に入る直前にここへ引っ越してきてからというもの、蕎麦と言えば最初っから最後まであの店だった。数年前からひとり店に入ると必ず浮かぶんだよ、右奥にある座敷で家族と飯を食う風景が…あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あの店の卵カツ丼セットが食゛い゛て゛え゛よ゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛

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反動


明けましておめでとうございます(10日遅れ)

この年末年始ではありがたい言葉を沢山いただきながら美味いもの食って…気が付けば80kg台におかえりなさいしてた、クソが。


40年前までの1,2,3日はどこも店は休みだったらしい。正月に財布を出すと縁起が悪いとか、我が家は特に意識が薄いのか一同に集まるといった事は少ないが、親族の帰省を当然としたりと時代の流れが少しずつ感じられるものだった。次いでバブルの話も挙がり、座ってるだけで時給1200円貰えたバイトの話や百貨店のお得意様の話などの面白い話が出て、決して誰も昔は良かったと言いはしなかったが、会話からひしひしとその雰囲気が伝わってきたのは間違いない。

自分が就職するのはオリンピックが終わった直後、つまり景気が落ちに落ちたその時になる。
2012年頃の東京五輪のあれこれでは売却前提の土地、施設の改装案、税金の未使用など前回の東京五輪終了後の不況を踏まえての説明があったが、小池知事の誕生で動きのあった2016~2017年ではどうだったかと言われると、いつものIOCも含め全体的に悪い印象を残していったのは残念なところではあるが、頑張ってもらいたい。





余談


偽善でないのは分かってあげたいが自己愛と自己顕示欲に乗せられた正義感をお持ちの社会派がどんどん世の中を狭く面倒にしていっているのに呆れる人も多いかと思う、極めて断片的な情報で毎回のように妄想を口に出せたものかと思えば立派かもしれない。
が、それすら負の反骨であるということをまず最初に理解しなければならない時代である為に、自然的な流れで思想の形成がある時に良くも悪くも主張が通る前提であるという事、これが当然とされるのがまた怖く、善にでも悪にでもなり得る偏ったモラルとも取れる人間性、寧ろ自分自身、概念が多様化されていく今日に便乗しようがしなかろうがそれは正しくも間違ってもある。
常識と銘を打っているものの正体はただの感情であることを言い聞かせたとして、言葉の次点が行動である時、それはブッ飛んで強いのは間違いない。ツイッターもこのブログも同じく、一方的に発信すれば大方は満足する。軽いとされた言葉を重く受け、逆も然り、何の生産性もない出来事が「ネットでは」として評価される中で、行動を起こせるのは本当に強いと最近思う、というお話でした。

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DYNAMIC CHORDとかプリパラとか


ありがとうDYNAMIC CHORD
ここの顔すき

apple polisherの曲が終わる度に、色んな土壌と環境で、あなた達だけの音楽が生み出されてるんでしょう?がオート再生されて辛い。ライブ後ではカットされたが、生ま↑れた↓土地ィ→イエ゛ッの発音も好き。

何度か繰り返し観ていると、オッドアイ役である江口拓也氏の演技がとても良かったと改めて感じる。最後までキングって呼ばなくてごめんね。何度も言うがRoots of Lifeのオッドアイver収録したCD出して(懇願)

回想で作画修正されてたり、ライブシーンのカットが追加されてたりと大満足の12話ではあったが、やはり終わってしまうのは寂しい。
制作スタッフ、原作プレイ済み姉貴達の心中は察するが、とにかく楽しいアニメをありがとう。それに尽きる。


SideMも残すところあと一話、大晦日が楽しみであります。


以上、今季アニメの感想でした。
薄っ…いや、キノの旅とか少女終末旅行とかの話もあるんだけどカットォ!記事が溜まりに溜まりまくってるから許して。前回も端折りまくったし。はい終わり!閉廷!ここからプリパラ!詰め込めるだけ、詰めっ…詰め込もうぜ。




プリパラではどれも夢は叶う、叶えるという曲が多くて、その背反としての曲もあり、常に危機感を与え続けてくれるのでプリパラやめられない。

ガンギマリ具合もファンタジスタドール、マジキチスマイルプリキュアとはまた別の方向なので非常に良い薬になる。それも最初期opである「Make it!」の「オシャレなあの子真似するより 自分らしさが一番でしょ」という歌詞を初っ端のAメロにブチ込むあたり、個性の主張を地で往くストイックなアニメだと思う。

アイドルタイムになってからは「アメイジング・キャッスル」とか「ぷりっとぱ〜ふぇくと」のような何だこの…ああ、何だこの曲!?という驚きと共にひと聴き惚れする曲たちとは打って変わって、どれも見事にスルメ。気が付けば脳内で無限リピートされている。中でも好きなのは、華園しゅうかちゃんの「Miss.プリオネア」、WITHの「Giraギャラティック・タイトロープ」。プリズムギャラクシィ…
プリパラの楽曲はどれも本当に良いので聴きなさい。Apple MusicとGoogle Play Musicにもあるから曲だけでも一通り聴いてください。






余談


苦労話も自慢もしたところで誰も得しないのは分かっているが今日はさせてくれ、いいだろお前クリスマスだろお前(もう過ぎてる)


地獄のクリスマスシーズン9時間連番バイトで82kgから77kgまで減量した。驚きのダイエット、なお筋肉は付かない模様。死にそう。食欲がない。足腰が痛い。大晦日と正月も地獄。独りで過ごすのも嫌だからってこんなヤケクソになった自分が憎すぎて首もげそう。街を往くカップル達よ、幸せを分けてくれ…
明日が休みなので、褒美のつもりで空かない腹に寿司を詰め込んで財布を空にしてきた。当方100円寿司で満足する身分ではあるが、今日は、今日だけは寿司を食ったという事実を残しておきたかった。その金でスカイリムVR買えたなんて考える暇もなく、人生最後のお年玉に懸けて散財するんだ、身を投じるんだ…

そしてSwitchを買う暴挙に出る。

どうして買ったんだ。もう金が、金がないんだ…俺に金を…


贅沢できるのは今年までと踏んでの出費っぷりだが、果たしてそれに見合うまでに有意義だったかと言われると…やめろそれ以上はやめるんだ…最後なんだ、胸を張ってキモヲタを名乗れる時間も残り少ないんだ…時間をくれ、夢よりも時間をくれ…

いろいろ 2

旅行中に撮ってきた写真をブチ込む。


滋賀-朝


滋賀 比叡山延暦寺東塔エリア-朝


滋賀 坂本ケーブル-朝

千手観音立像、五大明王像が展示される国宝殿内部、改装中であった根本中堂内部は撮影禁止だった。


京都-昼


京都 笠置観光ホテル-夕方


京都 笠置観光ホテル-夕方


京都 笠置観光ホテル-夕方

解体途中で手を引いたのもあり階段が抜け落ちているなど危険はあったが、老朽化は進んでおらず足場は比較的安全だった。


愛知-昼


東京 新宿-朝


東京-朝

あまり撮れなかった。


静岡 熱海-昼


静岡 熱海-昼


静岡 熱海-昼


余談

この旅行、予算が一応8万だったんだけど、結局10万を超えてしまった。予算って何だよ。というのも、青春18きっぷを紛失したり性欲のために金を使ったり(オブラート)とバカにバカを重ねたからである。こいついつも旅行で何か失くしてんな。
その金で他に有意義な時間が買えたと思うと息子を引きちぎりたくなる。

これでも一応余計なものに使わなかったつもりだが、秋葉原にてアニメ雑誌、コミック誌で古いものが残されている店を発見、割と抑えてきた購買意欲が一挙に押し寄せてVガン放送期間のものを買いまくった。
このカテジナさんキマってて好き

1998年、2003年のものはそれぞれジェネレイターガウルガンスリンガーガールの記事を拝見できると思い購入。


ただ、どの店舗にもダイナミックコードの関連商品が無かったのには草も生えなかった。vita版本編(KYOHSOのみ)をどっかで定価で売ってたのを見たのみ、CDはアニメイトにシャッフルとシングルとキャラソンがいくつか、残念ながら一番欲しかったアルバムは無かった。どの店舗にもOPEDはあったけどそれじゃない。何よりもグッズをひとつも見付けられなかったのが心残り。






旅行の記事は他に書きかけていたがしつこいのもアレなので(無への配慮)これで終了。ダイナミックコードやらVR関連の記事も早いとこ書きたい。

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いろいろ


先日「スターウォーズ 最後のジェダイ」を観てきた。が、SW初見である。
これはどういう風の吹き回しか、SWを人生で一度も観たことがないのも既におかしいのに最初に観たのがこの新作3部作の2作目なのは、俺が既に「フォースの覚醒」を視聴済みと思って友人がチケット取ってくれていたからである、SWはいつか観たいと思っていたので良い機会だった。ただ過去作をいくつか観て今作の評価がどんくらい変わるかは心配なところ。


率直な感想としては、普通。アメコミみたいなイメージ無かったから、これがSWなんか?と思ってしまった。誘導するようなシナリオ、小動物のマスコット売り、危機一髪でコミカルに助けに来る味方、BGMなしのシーンが殆ど無い…何だかディズニーみてえだなと思ったら、そういえばルーカスフィルム買収されてたんだった。


今作から観たせいで大元のストーリーは断片的にしか理解できなかったが、それでも充分楽しめた。しかし裏付けのない状況描写は「ここいる?」ってシーンばっかりで各キャラクターの繋ぎも雑、もっと勢いでブッチギってくれたら
わざわざ挙げるのもちょっと嫌らしいが(こちとら批判しているつもりはない)、特攻シーンはベタ中のベタのキャラクターがベタな事やってて、いくら王道人気シリーズだとしてもアレで泣いてもらおうとでも思っているのかなとふと考えてしまうのはつらい。そんな貴方に、機動戦士Vガンダムとかどうですか。


ただセリフは総じて好き。それでも視聴者が心で感じるべきものをいちいち説明するのはなんだかなぁ〜(阿藤快)
アクションシーンは重々しくて見応えあった。


そしてカイロ・レン、このキャラクターが一番印象に残る。レイとのニュータイプ空間のようなやり取りも良かった。レン役のアダム・ドライバーのビジュアル、演技が物凄く好みなので主演映画を漁ってくる。
特にウユニ塩湖での一対一のシチュエーションで身体を一度だけ揺らしてライトセーバーを腰で構えるあのカット、あれは死ぬ程好き。あのポーズのポスター欲しい。
グッズにはマスク被ってるものが多くて、レンの顔が好きなので少し残念だが、ダースベイダーなんだからマスク被ってるのは普通か。そもそもダースベイダーなのあの人…?やはり初見野郎は色々と危ないのでここまでにする。

ただラストのルークはどう足掻いても某超越〇力の方にしか見えないので(俺の頭を)どうにかして欲しい。




余談


旅行で重要なのは目的やその達成感などではなく、人間の快楽、ただそれだけに集約されていると、持っていたかもしれない疑問に上手いこと引っかかった。「どこへ行ってどんな事をした」という自覚がどれだけ不必要か、勿論その快楽と目的の必然性もクソも考える間もないが、因果の存在するかもしれないけど否定したいもの、そこに寄せる感情がどれだけ人を幸せにするかどうかを思い知ってこその旅行だと、自分にとってそれが一番大切なのだと感じた。

東京という街、みんな自分のことに手一杯の筈なのに、その中に余裕があるようで非常に魅力的に見える。自信と不安の隙間にある愉悦、関心と無関心の方向性、全てがバランス良く整っていて、人のわずかな欲望、悦びというか、劣等感などとうの昔に捨てたような、突発的な感情を受け取るか無視するか、そんな事を皆本能的に判断しながらこの街に居ると思うと…確かに地元は悪い訳ではない、小さく感じる事もないが、ただあの街と人は広いようで狭くて、とにかくこの非日常と呼びたいものに取り憑かれている少しの間だけでもいいから、あんなところを飛び出したいと思う苛つきを一生覚えていたい。

一泊だけして通り過ぎようと思っていたが気が付けば三泊、ここに溶け込みたくて、もはや錯覚なのは分かってるけど、こんなにもたかが個人を楽観視できる自分がたまらなく好きで気持ち良いと思ったのは初めてだから、しがみつきたくもなる。
正直に言うと相対的な価値(と言ってしまうと大袈裟かも知れない)が確実にあって、結論付けているのは間違ってはいない。目に見えるだけでも情報量は膨大で、人と関わってやっと個人の生活の一端が垣間見えるだけなのが、都会なんだろう。

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行動原理


自分の弱点というか悪い部分は、嘘をつくところである。常日頃嘘をついているという話ではないし、かと言って嘘は滅多につかないと言いたい訳でもなく、具体的な現実ではなく無意識的な感情という訳のわからない説明になるが、自分も分かってないので問題ない。行動原理が伴うのは無意識の嘘が呼ぶ危機感からやって来るものではないかと思い始めた。

結局、ただの不安や恐怖そのものがスリルかと勘違いしていたが、危険性を敢えて顧みた上で使命感と妙に噛み合う常識に追われるのがスリルというものかもしれない。
普段から重度の自意識過剰のせいもあるだろうが、幻覚や幻聴を伴ってこれまでにない疲労感に見舞われた。大袈裟じゃないし冗談でもなく、どれを本当か嘘か考えれば解るだろうが考えたくないっていう変な感情になり、その場を離れた。

嘘でも何でも、一般的に悪とされるものの自覚について、自身に対して物凄く良心的な見解を当ててやるのは簡単で、その対比としてやはり背景がしっかり残っていると、街の生活が透けて見えるようで、一種の劣等感というか、とにかく長くは居たくなかった。

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過信


言葉の礼儀や違和感を察知できるか、そもそも経験が浅いために備わっていない自分だが、そこでインターネットを頼りにしてしまうというのも危険だという事を思い知った。

「了解しました。毎度ながら、ご配慮下さりありがとうございます」

こう、送った。社会人からすればブチ切れたいくらいの醜い文だろう、実際注意された。ネットには常識と呼ばれるものがそのまま落とし込まれているとの事ではないのは理解していたつもりだったが、浅い認識であった事実が結果的に露呈した。


「了解しました」は目下の者は使わないとの事。友人間でもよく使うので使い慣れてしまっていたのが問題だった。「毎度ながら」は口頭では使われるケースもあるが文面では汚過ぎるらしい。これは丁寧だと勝手に思い込んでいた。「ご配慮下さり」については日本語が正しいか誤っているか以前の話だと言われた。この言葉がネットで得た知識であった。


無論、インターネットが悪いと言いたいわけではない。委ねられる責任とその判断が自分にしか存在しないのは当然で、メディアでもネットリテラシーやモラルについて取り上げられるようになったものの、解決の具体例が明確に提示できるかと言われれば難しい。(まとめサイト等の三次情報媒体を除く)
まあ、あくまで個人としての傾向で顕著なものが"知恵袋"等の質問サイト。これは複数の回答からひとつ「説得力のあるもの」として選別されている所為か、信憑性の高いものとして脳内で変換される節がいくつかある。


先程少しだけ出したネットリテラシーも一般社会での正しい礼儀も、ネットのルールはネットで学び、社会のルールは社会で学ぶのが最適なのかなと今回の件で学んだ。
結局どこからどこへ行っても痛い目に遭うのが近道なのは間違いないが、自身の認識という曖昧なものは取っ払って、一方からの意見ではなく現実もネットも同じだという事を理解しなければならない。


ということで修正すると、
「承知しました。いつもご配慮いただきありがとうございます。」
になりましたとさ。

勿論上下関係があると言えばあるのだが「承知しました」「畏まりました」と改まりが過ぎるのも不快感を与えかねない関係なので(めんどくせえな)その間に位置する言葉が欲しいのが正直なところではある。

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