ゆるい思想

脳ミソからケツまでイった男の雑記

勝ちたい


オイオイオイオイ

オイオイオイオイオイオイオイオイオイオ

いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやおかしいおかしいおかしいおかしい



何で?



あれ?あんたこのゲーム何年やってんの?え?まあまあまあまあまあまあまあまあ待てや落ち着け落ち着け。まだ500戦もやってねーじゃねえか。いや寧ろこの低階級帯で勝てないってまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあマアァァァァァァァァァ・・・・・・・・マァァァァァァァァァァァァァァァァァァ・・・・・・・
落としたァー!
アー! 落としちゃった😫 ゲームの対戦(カード)落としちゃった!
どうか、しましたか?😀
ハイ✋ ゲームのカードを落としてす、しまったのですが😢
それ後でうんにゃ100円貰いに行きますから、地元まで来てください、ね?ちょっとも、大人しくしててくれる?😅


つら💢💢🍄🍜💥💥💥
つらたん。。。。もぅマヂ無理。。。。。。。
クシャトリヤとゎかれた。ちょぉ大好きだったのに。ゥチのことゎもぅどぉでもぃぃんだって。
どぉせゥチゎ格チャ撃たされてたってコト。 今全覚切った。ゥチ達は自らを器と規定している。宇宙に捨てられた者の想い、ジオンの理想を継ぐ者たちの宿願を受け止めるための器だ。



精神不安定安定。なんか勝てなくなった。勝ちたい。お前どうした?あの時何のために部活サボってたんだ?え?お前サッカーで勝てなかったからゲームで勝ちたかったんだよな?お前高校時代はどうだったんだ?やる事なさ過ぎて気が付いたらガンダムしてたよな?お前毎日欠かさずやってたよな?あの時使った時間はどこへ消えたんだ?なあ、どうした俺の左手・・・まともに後格出なくなったんだけど・・・

いやとにかく真面目に考えよう。いやおかしいんだよ。稼働1ヶ月は魔境だからしょうがない。正直一番面白いのが稼働初期、勝率は妥協するとして今月どんくらい上がった?4割まで落ちた。
????????????
オイオイオイオイオイ11月やり過ぎたから12月一切触らなかったしその間銅プレ帯も落ち着いたらしいし修正も入って強機体落ちて来たし今流行りのヴァーチェ君はレギルスのカモだしで今月から再開したら負ける要素無いのにこれだからおかしいよオイ
今日休みだから行くしかねえよ。待ってろエクバ2・・・ここまで意識して負けて来たらどうしよう・・・いや勉強しろクソッタレが間に合わ

めんどくさい話


男同士で結婚しようが犬や猫と結婚しようがエッフェル塔と結婚しようが、ハハッめでてえなくらいできっとみんな幸せになれる。まあ自分の子供が居るという妄想をしたとしてそいつが2次元のキャラと結婚するから式挙げる手伝いしてくれと言われたら気絶する自信はあるが、結局他人事だから、人間の尊厳に関わるからギャーギャー騒げるのはこの社会の話題として優秀過ぎるという嫌味はある。この流れでいくら男性だ女性だアジア人だと自分を差別の対象に追加できようが、その差別するバカをダシにして自分まで可哀想な存在に仕立て上げる時点で話は少しも進まない。というかそもそもこの手の話をする人間は話を進めるつもりがないと思う。そら差別発言した奴がブッ叩かれるのは当然だけど、これほど世間の無関係の人間同士で取り沙汰しても困るのは自分だけなんじゃないだろうか。俺は今その無関係の人間同士を取り沙汰してこうして困っている。


どいつもこいつも口を開けば差別差別、差別差別差別のオンパレードで頭がおかしくなる。インターネットなんてクソどうでもいい、おかしいのは社会問題を人間の目を見て発言する奴があまりに多いことである。企業も大人も同い年の奴らも何をアピールしたがるのか。いくらジャンルは絞っていようが差別という言葉の擁する不特定多数の名前も顔も知らん存在によく汚ねえ正義紛いの正論もどきを目の前の奴に余裕ぶっこいた顔で披露できると思う。知ったこっちゃねえよ。俺に何の用だよ。同意でもない、ただ意見する自分への称賛しか求めてないんじゃないか。そんなに好きかよこいつら。訳がわからない。みんな腹の底はそんなくだらねえ事で一々感情爆発させてんのか。小さい頃は誰もそんな話してくれなかった。話が1%でも分かる年齢になった俺が悪いか、俺はいつまでも逃げ続けるぞ。


優しいホームレス、清掃員の過去、水商売の敵、照準はほんの一部、ほんの一人でも耳に入れる人間にとっては完全なエリア、レッテルの塊と概念、何が逸話やクソが、ホームレスだろうが頭ブッ壊れた奴もいればまともな奴もいるに決まってんだろうが、ゲームに負けて台パンして叫んでる大学生も警察の前で小麦粉落として全力ダッシュする動画配信者も太鼓叩きながらナントカ反対ってクソでけえ声で歌ってるジジイも毎日夕方5時に人の庭で犬の糞させるババアも、俺の中では等しく人間として終わってんだよ。こんな奴らを見聞きする度に嫌になる頭の中が、これが差別野郎ってんならきっとそうなんだろうが、いつだって社会的地位はそいつの人間性そのもので各々から決定され、決定するべきなんじゃないか。世間の風潮やら評価なんかで判断したつもりで腫れ物に触れるような態度見せたらその時点でそいつは人間として終わりだと思う。こちとらホモでもレズでも頭スッカラカンにして娯楽や人間に触れてるのに何の事情か突然社会問題ブチ込まれてもヒエヒエのヒエである。

俺が嫌いなのは男でも女でもカマでもなく、ギャラルホルンを名乗る身ならばこのモビルスーツがどのような意味を持つかは理解できるだろうと言わんばかりのドヤ顔で嘔吐物を披露する中正を装った自己愛我欲迷妄不躾野郎に間違いない。
たぶん社会の底辺っていうのは経済的にでも文化的にでもなく、ただ努力のしてこなかった人間の集まる場所、俺が今いる場所のことなんだと割と本気で思う。こいつらはもう大人になった気分でいる。酒飲んでチ◯ポ振り回す程度のものは最早ただの通過儀礼、自分が大人として対等に大人に意見すべきであると、今この瞬間子供として人生得しまくってる癖に思想だけ大人に加わりたいと、そういった意味で社会の底辺に足がついているんだと、ある程度の受動的な心理から危機管理の自意識が逆に危険な方向へ走らせてしまうおかしさが、現実に並行しながら追いかけ続ける利己主義の、認知的不協和の滑稽さをより加速させているんじゃないかと、根付いた規範の中心に自分が居るべきだという欲に気付かずに自分が良い人だと思い込んでしまうところは誰にでもあるんじゃないかとぶっちゃけ感じる。


大人だってそうだ。身体が小さい頃はそいつがどんな経歴でどんな性格だろうが、自分より図体がデカいだけで大人はみんな偉い人間に見えていた。当然違う。どいつもこいつも悟ったような口を、大人になってから大人の気持ちが分かるようになったじゃねえよ。子供の頃の感情を忘れてるだけだろうが。でも普段家族は言わないような事を選んではペラペラ喋る大人が、内容はどうであれ自分にはとてつもなく有難いのは間違いない。そこには教えるという気持ちがあるかどうかの違いがあるが大人は確かにいい事は言う。でもツイッターで"いい言葉"をひたすらリツイートするような大人は嫌だ。得体の知れない奴の"いい言葉"っていうものをただ傍受していつか身動きが取れなくなるのを恐れるべきだ。この人達は目の前に現れた人間の、人間性ではなく社会性そのものに興味があるのではないか。大人だから大人になる為だからと自動的に先進的に精神が形成されていくと勘違いしてるのではないか。
この人たちはみな大人になってからインターネットというコンテンツに触れている。現実より緊張感がないという意味で脱却したところにインターネットコミュニティがあったとしてブッ飛んだコンテンツや非日常、才能そのものというより人間の適当な無関心の本音が共感を産みたがらない場所としての魅力、瓶に白紙の手紙を詰めて何処かへすっ飛ばした空っぽの理が自分の字で書かれていつの間にか手元に戻ってきている馬鹿馬鹿しさが語る人格の曖昧さが面白いと感じることはかなりある。
しかしここで常に生み出されようとする観念は強者と弱者という単純なもので、どんな分野内でも地位が確立されている自覚があるという現実の強い感情を持つ人間が、これの為にひとつの手段としてインターネットを利用しているのではないかと思った。
良心的な部分で言うと、相手に理解して貰いたいという欲の証明が、他人の発した言葉が正しいかどうかではなく自分の信じた言葉が正しいかどうかという攻撃的な側面に変貌を遂げて、まさにその時、自分ひとりが「ある集団」の中心だと錯覚した上で総意と自惚れてしまう結局の既存カテゴリーのハマり具合がすれ違って絶対的な存在を守るかダシに使うかのすり替わりがある。これが外部からは見えにくいせいでその者の言葉を真に受けてしまうし不快に思った者が同じ経路を辿りやすいのはあると感じる。匿名の文字という対等なツールに憧れたことを自覚せずに、自己を対等な位置に置いて発言する裏返しで他人を蔑み易いという事実は割とあるんじゃないかと思う。
正論、正論に対する正論、どちらが屁理屈かなんてどうでもいいが、その中でなお輝き続ける正論という救いあるいは暴力は、社会のルールとして人間の中にあるべきだという共通認識が強いもの、良くも悪くも正しく量れない何かが宿るとして、俺には学がないから証明のしようがないが、きっと物事には端っこがあると信じている。人間の思想も永遠に続いて受け継がれている訳がないだろうと勝手に思っている。どんな思想であろうが、それを中心に風潮というものが作られていくんじゃないか。


話が逸れまくったが、この先大人とかいう曖昧過ぎる枠に取り込まれたくない。男か女か、国か肌の色かで差別用語が生まれてる世の中で大人と子供という言葉には差別的な要素が一切含まれていないのはあまりにも不思議で、寧ろありがたい話でもある。

一瞬でも抱いた妬みの感情から解放されずに、どこか別の場所で自分ひとりだけで満足感を得てしまった時、何も気付かないまま斜めにおかしな人間になっていくことを恐れなければ、一定の期間で出し続けた満足感の集合体が強制的にプロセスの相対性を鑑みた、自己存在意義であると他人から思われるよう付け上がった時に、個性だ多様性だと手にしたばかりの感情を信じきってしまう馬鹿に気付くことはない。
自分の利用したものに呑まれ過ぎた人間というか、わかりやすい話オタクになる以前と以後の同じ女の子への反応の違いと同じようなもので、いわゆるそれが良識かどうかは置いといてスタンダードな世間の印象という建前を履き違えたら、常に付きまとう後ろめたさの方向がどんどん変わってしまうんじゃないか。

残念な事に今年で20になってしまうが、永遠に子供のままでいたい、よくある大人として子供心を忘れないでいたいとかいう加減のいいものではなく、これからも生意気で身勝手でミルク臭い子供でいようと思う。でも頼むから親の介護受けるって意味で子供のままでいないでくれ。 2年後実家でゲーム三昧しながら親の脛しゃぶってたらいい大人が何してんだっていうテンプレ投げ付けながら殺しに行くから。

お買い物


明けましておめでとうございます。取ってつけた挨拶は以上。

正月と言や福袋、靴か服かの福袋買おうかと貯金底着かせていざ行かんと履き慣れねえブーツに手間取ってたらそこにはばあちゃん。ばあちゃん曰く昔っから福袋なんて体のいい在庫処理なんだそうで、物凄い悲しい顔して言われたので某百貨店の福袋は相当エグいんだなと思いつつ電気屋に走る。昼過ぎた辺り。
電気屋なんて一年に一回来ればいいところなんでと足に根張らしてたら悩み過ぎて閉店時間迎えて流石に草でした。店員声掛けろや。
まあこれはたかが感情の問題なんだけどもどうしてもこのやはりネットではなく店舗で買って店員の顔見て袋ぶら下げて帰るというプロセスこそが、はい、今日はこういう話は控えます。


そもそも電気屋で買うものがあるのかと、去年秋頃の話、丁度初心者マークが恥ずかしくなってペリッと取るお年頃にやりました。スマホ。車も人生もナメてんのか所謂ながらスマホでガードレールとチューしました。マジで人間じゃなくて良かった。この前目の前で事故がどうとかほざいてたのにねえ。
そんな訳で全く大した事では無いんだけどマナー的には大したもので、掠っただけで7万円ですとの暴言をブチかまされたのでもうやっちゃいかんと色々購入。ちなみに自分の車ではありません(ヒェッ)

まあまあまあしかしよくぞこんなもんでよく記事にしようかと思ったなってかそうだよな、なあ。えぇ? よく聞けや。俺は買い物に失敗したんだよ。以上だ。



一品目:マグネット

磁石で自由に角度を変えられる。何と言ってもアーム型と違ってコンパクト。これはいい買い物した。


二品目:リモコン

これさえ付けちまえばスマホ触れずに済む。邪魔に見えるだろう、ハンドルを回す際に一切触れない位置を発見したので問題ない。めっちゃ快適。俺天才。スルスル・・・(ハンドルを戻す音)
クッソ邪魔。
そしてカメラのシャッター機能も搭載!(これいる?)実は使い道あるんです。あー今すぐ目の前の景色撮りたいって時にヘイSiriィ!でカメラ起動!リモコンの再生ボタン押して撮影!
いや遅えよ。


三品目:シガーソケットにブッ刺すアレ
オーディオが最低限なせいで以前まではスマホにAUX端子に繋いで聴いていたが線が邪魔だの音質が悪いだので不満しか無かったが、これで安心。USBポート付いてて充電もできる。
プラグが抜けるだの通電しないだの色々あるらしくてね、もうとことん形状に悩んで買ってきましたよ、ハイ。

セッティング完了、うーんウチのオッサンはこっからFMに繋いで音楽聴いてたな。俺のはどうやったら繋がるんや?
・・・・・
繋がらんやんけ。
FMのFの字も無えわ。駄目じゃん。形状じゃなくて性能見ろや。普通に考えたら千円ちょっとで買える異常さに気付くやろ。
はい一番やってはいけない事、金と時間の無駄使い。どっちか犠牲にして買い物しろって言うけど両方無駄にするというあまりの無能っぷりに感服しました。素晴らしい。
という事で買い直した。…いや、父親に相談したところ持ってるし使わんとの事で貰いました。早く言えすみませんありがとうございます大切に使います。


四品目:Lightningケーブル
今回は車内専用という事でビジュアル重視、0.7mで千七百円也。高えよ。100均の17本買えるやん。長さについては完璧だったと思う。後ろに乗った奴が充電しながらスマホ触るとかは知らん。
マグネットのおかげで邪魔にならない

車関連の品は以上、これでもう運転は安心。




五品目:USBハブ

PS4用。PSVR、外付けHDD、USBメモリ、ヘッドセットとこんだけ周辺機器使ってんのにポート2つだからもう抜き差しが面倒で痺れ切らして買った。確かHDDは直挿し以外不可でコントローラー、PSVR、ヘッドセットは不安定との評判のUSBハブだけど不安定でも買うしかない。セルフパワーは当然として中でも正常に動作してくれていると声のあるものを選んだけど果たしてどうか。


六,七,八品目:マウス,マウスパッド,イヤホン

急に端折りやがったな。
本来一緒に買う予定だったマウスを翌日買いに行った。実はこれがメインだったりする。どうしてもこれはネットで買いたくなくて、その理由としてマウスホイール、実にマウスホイール、俺にはマウスホイールだけでも完璧でないと困るからである。固ければ固い程ヒットストップがあればある程良い。これじゃないとイヤ。ダメ。俺もう無理。

そんでもって静音でコードレスで5ボタン以上でないと許さないのでこれにした。というかロジクールの静音タイプはこれ含め3種のみっぽい。よく見かけるゲーム用は全部カチカチ鳴る。というかボタン多過ぎてキモい。ごめんなさいこれ以上言うのやめます。
サンプルは置いてなかったのでお祈りしながら買った。現物触った感じで最高だったのはエレコムのチルト以外全般だったけど決め手はBluetooth,レシーバー両対応という事でこの価格帯(4000円台)では珍しく、キーボードやらスピーカーやらも無線でやってるもんだからうまく動作しないこともあって両対応は安心感ある。後で価格.com見たら2730円とか書いてあって草枯れた。
さあ開封や、頼むでM590君よ・・・

オノーレェェェェェッ!!軽い!このマウスホイール軽いよぉ!ロジクールのお兄さん!
ネオフィット買うわ。


マウスパッドはネットで買った。特大のやつ。
安くて2500円?3000円?違います。ズバリ999円、たまげたなあ。アマゾン怖えなあ。


後はアップルのイヤホン。慣れって怖いね。こいつに長らく慣れたせいでカナル型のイヤホンがどうも合わなくて色々試すけど結局戻ってきてしまう。
醤油買う時もこのうちどれが一番美味いんすかと聞いたら慣れた味が一番美味いと店主が言ってたししょーゆー事なんだと思う。つまんね。


そして今回の買い物を正当化する為にデトロイトを買ってきた。税込3400円って安くない?


他にも細かいの買ったけど終了。
反省:事前に学ぶべきであったこと
・まず動作するかどうか調べろ
・ネットショップでレビュー見る時は2つ以上のサイトを用意しろ
・ネットで評判が良い商品でも店舗に置いてあるものはモデルが古い場合があるので確認しろ
・酷似していてもどんどん新しいモデルが作られる場合があるので確認しろ
・ネットで見たやつと形が似ていても型番が違う場合があるので確認しろ


とにかく発売日を確認しろ



ネットで買え


でもさぁ…何この…何?3万吹っ飛んでんの何?

憎しみ


単純に不快という感情が上滑りして、度々ひっくり返ったモラルと自己保身のアンバランス係数が金玉の中で製造され続けていると思うと無心に何かを破壊したくなる。恐らくこれが現時点での人生で一番伝えたかった事だと思う。


何も変わってない、万遍ない程に身体に快感を建前上でお送りする破壊妄想は、いつもはその予兆だった。子供の特権、ただただ自分が怒り狂う原因を心待ちにする悪趣味な時間、完璧であるべき頭の中を覗いてもらう絶好の機会、そんなものを孕みに孕んだ腹の底は凍りっぱなしな純血混血混血純血のシークエンスに水を差すのは「まともな感性」という社会の共通認識、あたり前田のクラッカーじゃクソボケチンカスアロエヨーグルト。シバキ倒すぞ。ふざけてる訳ねえだろ。どいつもこいつもスッケスケの自己愛にまみれた頭未就学児が幼稚園児扱いされているのを真横で見て「勉強しておけばよかった」とかいう無意味無価値無安打無農薬で創造性のその字もない言語のような何かが脳内を猛スピードで駆け抜けた挙句の破壊衝動とまるで意味不明因果不明の幼児退行、俺も同類だった。まともだと思っていた常識とは別の場所にあった感性が完全に死んだ。

感性とかいう2文字で俺は大衆に逃げているつもりは無い。自分に見せつけたい幼稚な野心の中でやっと本性が目立った所に出し抜かれて、ひとりを指してまるでそれが人間の全てかのように語るループに見せかけたトリックについて、ごく自然に物語として呑んでしまう時間の流れの不都合さがあるからだと、いつの間にか世界中の人間は自分にとって都合のいい存在であるかと勘違いしたのに気が付いて、こんな前提で事を進めた訳でもないけど、本当に少しずつこういう思考になっていったというバカみたいな話が信じられてしまう今の自分のセンスの無さが何もかもに出ていると何をやっていてもそう感じる。


1000円の支払いで999円しか無かったら1円すら支払えないのと同じで常識というのはそのうちひとつだけでも破られた時点で常識がないという認識というかルールがあるのは素晴らしい事だと思う。たかが他人の評価なんて気分でコロコロ変わるのは当然の話であったとして、そういった単純な感情に対して理屈で畳み掛けたがるクソ下らない話を何で真面目に聞いていたんだろうか。何でどこに行っても俺に安心させるような話を延々とするのか、まるでこっちからわざわざカウンセリング受けに行ってるみたいで気持ちが悪い。俺は宗教なんかに興味ねえんだよ。自分の理論でそれがまるで社会のスタンダードなんだとマネキンに話すのが得意な奴らは全員まとめて脳味噌ブチ撒けろ。マイノリティーの絶妙な魅力の線引きを破って蔓延した偶然というのはいちいち目新しいだけでクソ面白くもないから時代とか人間とかいうスケールのデカいものを持ち込まないで欲しい。


どうしてダメと言った人間に対して「何で?」と返せるか全く理解が出来ない。たかが様子見の言動を頼りに理解の範疇で物を量ろうとする精神は失礼だと感じないのか疑問に思う。他人の事が気になってしょうがないんだろうとでも言えば何か飛んできそうな勢いだが、もし自分が納得する答えが欲しいだけと言うならまるで俺を人間扱いしていない。目の前にいる奴が人間だと思ってない。俺の性格を考慮しろとか俺と同じ思考回路で接しろとかそんなバカな話じゃない。自分の判断で他人の評価を下すのは当然の事であっても理解の前に納得をしないで欲しい。こんな下手したら相手にとっちゃ何も考えてない質問ひとつに対して怒り狂えるのは異常かも知れんが俺は気に食わない。嫌だよ本当にこの「俺は」気に食わないっていう感情。



















余談:人間としての終わり


学校に残っていると偶に愚痴祭りが開かれる。
そこに教師も加わっているもんだからタチが悪いと言いたいところだが、正直しょうがない部分もある。普段から面倒事は起こしたくないオーラが漂っている教師にとってアホみたいな金払って入ってくる生徒もとい客に穏便に済ませて貰う方法はたったひとつ、否定をしない事である。
こんなもので穏便に済むものかと思うかも知れないが、実際穏便には済まされない。何が穏便なのかって、生徒間の問題に教師が介入しない事について穏便なのである。教師がその問題を解決に走らせようともすれば嫌に事が大きくなる場合がある。問題事を起こす生徒に問題があるんだから勝手にしろというスタンスはこの場所では最適解なんだろう。それのせいか学校に来なくなる生徒が多い。

教師云々は置いといて、そもそも性格に問題のある奴があまりにも多い。揉め事が多過ぎる。と他人事のように説明したが俺もその面倒の内のひとりである。ハナクソレベルのくだらねえ理由で面倒を起こされ周りに拡散され、4月から半年しか経ってないのに同じような喧嘩、喧嘩とか大層に呼びたくないが、これが2度もあった。下らなさ過ぎてブログに書く気すら起きなかった。よく感情を抑え切っているなと自分でも関心する。ブチ殺すぞゴミ共がと思いながら生活している。俺は人間として終わってると思う。

ほんの少しでも俺に可能性を見出してくれた人、俺を良い人だと思ってくれていた人には本当に申し訳ないが、俺は正真正銘のゴミと化したと思う。さっき「面倒を起こされ」と書いたように自分の言動全てに、自分に落ち度は無いと意識的に思ってきた事に気が付いて、今こう感じている。話す内容から読点の位置まで、何もかもが滑稽だと思う。その都度面白いと思って書いているブログも一週間経ってみれば驚く程に面白くない。我欲と自己愛が駄々漏れの気持ち悪い文章で見る度に寒気がする。果たしてこの記事はどうなんだろうか。

他人に舐め腐った態度で接している連中に関して、つまらない存在なんだと、人間としてこうはなってはならないと感じていて、恐らくその感情は正しい。だが自分はどうなのかと言うと俺には分からないが、そいつらとは違った形で同類なんだと賢い奴は察知していると思う。そういった賢い奴から順に俺から離れていくんだと思うと、ひどく悲しい気持ちになる。


この数ヶ月、気が狂ったように追っかけ回してきた俺の可能性や信用について、何ひとつ間に合わなかった。何ひとつ。全部やったら全部間に合わなかった。
何度無意味に東京に出ただろうか。理由を見つけては逃げるように都会に行った筈が、自分より能力のある人間を見つけては突っ立ったまま嫉妬するだけして、人混みに酔っ払いながら、目の前を歩いている人間のどれだけが俺より有能なんだろうかと思った途端逃げるようにして地元に帰る。それを何度も何度も繰り返す。どの場所からも逃げ続けている。一瞬で一日が終わっている。

チョコレートに舐められる


何というか、高級品、それを聞いただけで味わおうと身構えるものだけど、我々一般庶民からすると実際「おいしい」はもとより理屈ではないという認知があると思う、色々すっ飛ばして最終的に。


話は今年1月末から2月後半にかけて催された西武のバレンタインイベントまで遡る。市内ではお馴染みのユアーズホテル、エスポワールをはじめとする洋菓子店からデジレー、カカオサンパカ等の国外ブランドまで多数の出店があり、是非この機会にと沢山の人が押し寄せた。

何を思ったかこれに狂ったように通い詰め、とことん一人で贅沢してやろうとクッソ高いチョコを食いまくって財布をマッハさせていた。流石にどう考えてもイカれてた。
普段チョコレートという食べ物に馴染みはあれど特段深い思い入れもないというこの肥えない舌を唸らせたのが、ジャン・フィリップ・ダルシーのガナッシュ。いやこの表現じゃ美味かったかどうか分かんねえな。

このイベントで一番最初に買ったチョコでもある。クソ小さいし食い方なんか知らんからひと口で豪快に行った後は「ふ〜〜〜ん…………これが高級チョコ……………(思考停止)」とついてきた冊子の解説読みながら何とも普遍的な回答を出していた。美味しいかと聞かれれば美味しいんだけど、どう美味しいか解らなくて非常に困っていたらいつの間にか全部食ってた。この時はその程度の感想だった。


国内のものでは、べルアメール、神戸風月堂六花亭、ロイズのチョコを購入した。神戸風月堂とロイズ以外は取り寄せた。どれも奇抜で発想に関しては足り過ぎてるくらいなんだけども、普段食べるものとは一線を画した味わいなんだけども、何だか納得がいかなかった。もうちょっと調べ上げれば良かったなと思う。機会があれば日本有数のチョコを堪能したい。意外と言うと失礼極まりないが西洋菓子倶楽部と先のエスポワールの方がよっぽど美味しくて、近所にあるもんだからと、今まで変に意識した事はまず無かったから余計に驚いた。


海外のものでも特にイースクは印象的だった。マンゴーユズ、果実達がホワイトチョコで包まれているということで甘ったるさを想像させるけど全くそんな事は無い。ラ フェヴァリにもあったけど、生姜を使ったチョコも美味かった。何というかそのまんまの味がする…うわ今めっちゃ頭悪いぞ。そのまんまの味と言うとアレだけど、香り、基本的に香りだけなんだけど生の味がしてビックリするくらいチョコと合う。甘さが絶妙なラインまで抑えてあってとにかく口にしやすかった。
甘さ控えめであればとりあえず喜ばれる印象(俺も喜ぶ)だけど、ゴディバなんかは甘々な感じで、ダークですら口にすれば「うお甘っ」と顔をひきつらせかけるが、途端スーっと溶けてほんのり苦味が残る。嫌味がない。


あそこまでヤケクソにチョコに手を伸ばすのはあれで最後になるだろうが、今でもその味は鮮明に記憶されている。バイトの休憩時間に飛び出して、贅沢できるのは今だけだろうと勝手に思いながらニッコニコでビニール袋を引っ提げて持ち場に戻るその姿は、メチャクソ気持ち悪かったであろう…
それでも一番強く印象に残るのは、最初に食べたダルシー。当初はこんな高い金を出して食べるものなのかという最悪の疑問が付きまとっていたが、次へ次へと手を出す度に、あれがどれだけ美味かったのかを思い知らされた。ものすごく不思議だった。何故最後にもう一度買わなかったのか…





実はここからが本題である。
今日、一体どんな巡り合わせなのかゴディバのチョコを食べる機会が設けられた。ここまでは良かった。ひと粒500円だの何だの説明されながら食ったトリュフ、ピスタチオのチョコ、紅茶のチョコ、キャラメルのチョコ…ビックリするくらい美味しくなかった。そら当然美味いもんだと思って口にすると、えっ…あれ?としか浮かばなくて怖くなってくる。
水あめをそのままブチ込んだようなえげつない甘さがいつまでもまとわりついて正直一周しただけでもうキツかった。こんなん市販の板チョコの方がよっぽど美味しいわクソが。

いや本当、何が何だか分からないのでこんな記事を書いてるんだけども、もしかして俺の舌がおかしくなったんですかね?俺、死ぬんか…?

おえかき

ペンタブ買っちゃった。

というのも本命はお絵描きではなく同梱されているZBrush Coreたるデジタルスカルプトソフト利用の為で、こいつがとんでもねえ代物である。が、わざわざ今回これを置いといて(まともに使えるようになったら記事書く)お絵描きする理由については単に「絵が描けないとお話にならない」ことに気が付いてしまったからで、これを機に精進しまくりたいところである。

思ったよりデカくて良かった

業界目指してんならある程度はいけるんでしょとなりそうだけどマジで小学生と張れるレベルの画力なのでがんばります。はい。というか言われたのが原因でがんばってます。

フォトショでいいかなと思ったけどDL版が5000円だったCLIP STUDIO PAINT PROも買って準備万端、さあ行こうぜ。



板タブということで机上のモニタ見ながら書いてみるものの距離感が全く掴めなくて鼻水垂れる。

うわめっちゃそれっぽい、それっぽくない?

なお清書、悲しいなぁ…

ただ紙に描くよりとにかく早い早い早い、ピンポイントで消せるわ戻せるわで修正が楽なのに加えてレイヤー切り替えてお構いなくアタリを足せるのが精神衛生上よろしくて非常に良い。

アゴだけやたら濃い線になっているように綺麗に描こうと手に力が入るとこうなっちゃって、全体的に筆圧の調整が思ったより難しい。そんでゆっくり描くとどうしてもガッタガタになっちゃうので手ブレ補正なるものを使いたいがこれ一生紙に戻れなくなりそう。



正直これでも最初よりはマシになったもので、1〜3日目とかこんなんだった。


まあこうなるよねっていう…


5日目からはちょっとずつマシになってきた感はある。



同人誌とかの表紙をガン見しながら描いた三次創作物をネットの海に放り投げてる訳だけどこれ大丈夫だよね?お金とってないから大丈夫だよね。


ちなみにこの上手い感あるマヤちゃんはガッツリその手の先生にアドバイス頂いて描いたもので、定規でキッチリ測って輪郭取った。

果たしてこれは「絵を描く」と言っていいものかと思ったけどクッソ大切らしい、虚無になりながら毎日続けたら自然に身体のラインが描けるようになるとのこと。やっぱ指導者が隣にいると安心感が違えわ…


そんなこんなでCGほったらかしながら最近はめっきりこんな感じで時間があと2,3年は追加で欲しい。そろそろ人間のモデリングに手を掛けないと手遅れになりそう。
フォトショ、イラレ、CG、web、絵、その他もろもろ検定と、ダラダラ過ごしてたら明らかにどれも中途半端に終わってしまいそうなので流石にアカン。入学してから2ヶ月間ほぼ何もしなかったのが痛すぎる。それと写真が思ってたより重要だったみたいでこれも詳しく触りたい。やる事多過ぎてダイエットとか言ってる場合じゃなかった。

勿論違和感のない絵を目指したいのはあるんだけどそれ以上に人より速く描けることを目標にやっていきたい。

話を聞いてはならない人たち


教団の信者たちは意見を求めてはいなかった。
普通だけど普通じゃない。幼い頃の価値観は親の存在そのものであるという常識が際立って見えていたのは、文字通り別世界に住んでいるような雰囲気が漂っていたからで、居場所があるという信心よりも彼らには社会からある程度隔離されている自覚と常識という類において逸脱した存在ではないという謙虚さがその立場の必然性を感じさせていたからだろう。

もしそうでなくとも誰もが思うのは彼ら中心で回る世界は狭すぎるということである。ルールとはまた別の法律のようなものがもうひとつ形成される中で矛盾とギャップの水平区間に介入することなく生きなければならないのは、閉鎖的になることを初めから推奨されているようであまりに不憫に思えたが、彼が宣教師になりたいという素志を抱いていたことを知った日からは何も言えなくなっていた。

一般世間との距離を垣間見ながら受け入れるシーンにおいては客観的に見てしまえばこちら側としては都合が良く、表では周りに合わせようがある程度は許容したいと本心で感じている人間もいるだろう。生活の中で宗教に身を寄せる人たち対してほぼ無条件で好意的な感情を持つようになったプロットが完成されつつあった前に、大局的に社会不適合者の烙印を押されるプロセスが重要だと何の感慨もなく言い切ったある「同類」の存在がこれを肯定できなくしていた。


社会への反抗心から自らが宗教化してしまった人物の最期はあっけなかったが、彼には超然とした精神が常に備わっていた。
彼の行動の因果はいくら考えたとしても理解の外であったと前置きしておくが宗教を利用して宗教を作り上げて飯を食っていたことくらいは分かる、行動が何であろうと経験の説得力は時代そのものであり頭のネジがしっかり留まっている確信があったからこその人間としての認識、信頼の理由、他人と比べられるだけの正当性があった。正しく世間を知らない子供に放つ言葉には直感で傍受させる力が必ずあった。

彼は、社会が間違っていると突き放しながら自らが社会不適合者であることを自覚し、国も世代も超えた流れ者と共に暮らしていた。ただ簡潔に反抗心の裏返しではないとは感じてもそれ以上は分からない。いかなる童心を利用するなれば憎むべき相手ではあるものの、理想を掲げる熱い心は「教団の信者たち」とは一線を画すものだと感じてしまった。

ただ、セーフスペースから一歩踏み出してみればどこだろうがそこにいる人類はほぼ敵だということを彼は知っていたのだろうか。ほんのくだらない理由と少しの暴力で彼の積み上げてきた量り知れない努力と知識と小さな社会空間は一瞬でこの世から消えた。その報告と言い訳を電話越しに話していた仲間の会話は聞こえなかったが、その様子はいつまでも滑稽だった。彼らは最初から対話は必要としていなかった。


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偏見は持って欲しくないと、些細な選択がある度に諭されるのは悔しい。その言葉を発した後に返答がないことについて価値を有した瞬間の自信が秘められているだろうとの嫌な確信はあるが、それでも脳内でそいつの人間性を否定してやることしか本能的に有り得なくなっていたのは、何を優先すればいいか分からなくなったからというものがある。単に言葉の重みを感じるか、存在そのものに説得力があるか、人間性を考慮するか、気分の巡り合わせでその場の思考がどうなろうが後で簡単に順序が逆転する。

似てようが似てなかろうが人生がどうにかなった事実を明確に自覚していたとして、何故どいつもこいつも主観性しかない、量りようのない程度で勝負したがるのか。イジメられた、虐待を受けた、家族が居ない…彼らが想像の限界を超える程に非日常を地で往く生活を送っていたと思うとあれこれと考慮しなければならないのは至極当然のことだが、それを盾に張り合った瞬間そいつは最悪の人間になる。自分が何をしてもいいと本気で思っている人間同士が、互いに嫌っている。ありもしない理解者を探し回り、たった一つの言葉やほんの少しの行動を時間が経つに連れ徐々に神格化していく人間の押し付ける価値観は常識から離れ過ぎている。

彼らも、信者も助言は必要としていない。だが信者には共通思想を掲げた仲間がいる。それが嘘でも幸せに暮らせる家族がいる。辛い過去があったからと簡単に放免できていいのかとかいうクッソくだらねえ疑問が常に付きまとうのは、「彼には何かが必要だった」と言ってしまえば全て終わりなのを分かっているからだ。

退化


結局、この人生の何がいけなかったのか。根本にある身の上の懸念がある訳でもなく、ただ当然のように今傍受している情報は全て結果である。社会の流れに何としても乗るために競走を経て就職進学を決めている世界があるというのにこちとら金さえ払えば入れる専門学校、それは悔しいというよりも疑問しか残らず、ではお前の夢はどうなんだってこんなもの「普通のサラリーマン」になりたくないから目指してるだけである。他人からだって同じようなもので、クソガキの頃一緒して毎日のように遊んでいた友人が、6年振りに会えば一分一秒の濃密さを放つだけの存在に成り代わっていた。何が起こるか分からない、何をさせるにしても不安しかない親の目には時間分の結果が付きまとっている。
親には感謝している。家に住まわせてくれること、金を出してくれること、ただお前は今の境遇に感謝しろと突き放されたくない脈絡上の嫌なプライドがある。後にも先にもこの話には正論がブッ刺さるが、神にも擬せる空想上の人間にフォーマルな意見は頂きたくはない。

結局、何が悪かったのか。

この3年間で人間の構築ができたものか。努力という言葉とは無縁のまま今日を迎えるというのは、圧倒的な説得力と訴求力の不足に繋がる。声を聞くだけでうんざりする程他の奴とは違うと主張したがる大層な人間はいくらでもいる。それを分かっていても、否定も肯定も認められるものとして説明する矛盾は道理として捧げられることを信じている。ある程度無難な人間にならなければいけないのは当然のことである。

抱えた夢を否定する余裕はないというよりも、諦めのように必然性を感じてきていることについて、内的なものとして認められている輪郭は一般論として変化することは無い。何度死んで生き返ろうと勉強をやるつもりは更々ないが、授業中は寝て部活はダラダラと向上心もクソもなくやり過ごした毎日はもう少しマシになったのではないかとは思ったことはある。


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学校を辞めたという噂を聞いて連絡してくれた友人達から慰めの言葉を貰った後、安心感と自己暗示に包まれながら通信制に入学したがそれを臆面もせず話すようになっていた。保身の為でも心配されたくなかったからでもなくこの過程そのもののステータスを貴重に思っていたという頭だったから以外に何の言葉もない。

しかし入学して半年、友人と久々に話すタイミングで前述の目論み通りにと回りくどい説明を乗せて披露すれば、そんなもの無職と同然であろうと直球で言われ、腹が煮え滾った。社会的にゴミベラの位まで落ちていたことを自覚したくなかった。人生で初めて明確に物事の決断を下したのが退学の瞬間だったと思い込んだ前後はヤケクソだったかもしれないが、逆にそれが自信となっていた部分は少しぐらいはあった。クソみてえな気分で他人に諂う必要はないと考えるだけで気が楽だった。処理上の感情と状況に満足していた筈が普遍的価値からの解放が常識の規範から外れる前提である当然のことを思い出されて電撃が走りまくった。気に入らない事があればすぐブチ切れて喚き暴言を吐き対抗意識しか芽生えなかった自分にとって、誰も何も言ってくれなくなったこのタイミングでのこの言葉はあまりにも気持ちが良かった。

一変したと言うには仰々しいが人間としての及第点へ距離を詰めようと意識はしていた。良く言えば自由だがその分迷惑のかかる行動に呆れられることは多かった。圧倒的に一人でいる時間が長くなってからは単純だった。学校はどうだ、学校はどうだと友人に聞きながらその話に嫌気が差していた。


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やるからには倦怠感のみで構成される傍受サイクルはブッ壊さなければならない。もうここまで落ちぶれるとやるしかない。ようやく個性やら特技やらを身につけるために早起きするのだからマジでやらなきゃ終わる。後悔もクソもない人生だが、この2年間をすっぽかしたら確実に破滅する。

他人はどうだとばかり予備動作を重ね、感情に起因するべきものを探っていた毎日は一瞬で消え去ってほしい。たかが人生の猶予を伸ばすと考えていたいつしかの自分では気合が足りなさ過ぎた。
初速は最底辺だが時間の使い方を弁えることができればいくらでも追いつき、追い抜くことはできる。せめて自分の才能に絶望するまでは猛スピードで小便ひっかけ回しながら走り抜けたい。

それでも正直、実感が無い。スイッチが入る瞬間を今か今かと待ち望んでアホ面する余裕は無い筈なのに、無意味にこの文章を書き続けている。この3年間何を求めたか、強制の2文字しかなかった。


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などと1ヶ月前は考えていたが、何もかも遅かったことにやっと今気が付いた。来年の今頃には就活を通り越し就職が決まっている。ここでダメなようなら全くの無関係の一般企業にこんにちはしなければならないのは当たり前、少なくともこの学校のこの学科では9割以上がそれを強いられる。2年生は現時点で同コースに2人しか残っていないことに加え、希望職に就いたという話は聞けなかった。

大方は分かっていた、わざわざ地元から学校を選んで楽をしたかった分の苦労はしなければならないのは当然だった。張り合いのない人間ばかりが集まってダラダラと教師の言う事をなぞっているだけの毎日に何の誇りもない。

専門学校の1日は短い。必要最低限のカリキュラムの中で気が付けば1ヶ月が経ち、身に付けたスキルの実感だけでモチベーションを維持しようとはするが、日常生活の中で圧倒的に無駄な時間を消費している自覚は痛いほど滲みてきている。自覚のない前提を説明する余裕もポリシーも嘘もなければ何がどうなっても言い訳は出来ない。


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単に高校生活を普通に送っていたとして、今のような立派な人間になったつもりでいる執着心は得ていなかったかもしれないが、どうせ同じようなものになっていたと想像するのは別におかしくない。時間が必要だったと確信的な結論を吐きまくったが、後退した分の時間を取り戻しただけの進歩だということを知らなかったからいつまでも幼稚なことについてずっと疑問を持っていた。

馬鹿な人間なのは間違いない。他人からの扱いがどこへ行っても同じようなものな時点で察してはいた。ただ、どれだけ考えたとしてもここに残る時点で他人と何ら変わらないのは一番理解しなければならなかった。県や国の外に出る選択について考える時間は十分あったのにわざわざここを選んだのは馬鹿だったと今更感じている。
毎日愚痴と自慢を聞くだけのクッソつまらねえ人間関係も含めて「倦怠感のみで構成される傍受サイクル」は当分解決できそうにないが、少なくともそういった奴らを見下す為に奮起になる自分も同類だった。

両刀論法


幼稚園児や小学生が当たり前のようにインターネットでの出来事を話題にしていることに親近感、あるいは妬みや羨望を強く感じるものだが、これらは大人もいつしか同じことを思ったかもしれなくて、同じ社会に生きる者として自分との同一性という期待をかけてきていることは先の「インターネットが生まれた頃にはもうあった人間」に親近感を覚えることと同じで、たった10年違うだけの人間にかける想いはあっても、それを感受する側は煙たいとはね除けてしまうことを自分が証明してしまった。
大人からの褒め言葉は人間性の肯定にはならない、寧ろ「嫌な出来事も含めて」もっと経験したかったという大人が自らへの環境を否定しているものだと解釈した時に、とても褒められているものではないと感じたなら、時代として簡潔に答えが出た時にも、抱いた感情は途切れないという非可逆的なものはこの先信じたいものではある。
それでも、「やりたい事があるなんて羨ましい」と言われた時には何て言えばいいか分からなかった。30代、40代の人が自分という10代の人間のどの部分とどう照らし合わせて喋っているかも分からないが、この時点で何か潰されそうになったのは、こんな落ちこぼれの人間を見て自分への後ろめたさを感じないで欲しいと腹を立てたからである。どうも、こんな奴でもやり通す意思があるのかと過去の自分の落ち度を責めているように見えて異様に悲しくなる。
「大人が」大人や子供を定義付けるのは糞を撒き散らす程この世で一番嫌いだけど、わざわざ感情を取りに来る価値が良くも悪くもあるんなら、提示できているという証明が自然的にされている事になる。自分の理解が及ばない事柄についてそれを可能性と呼ぶか否定の意思を示すかなら大いに賛同したいが、都合の良いものを言葉で説明せずに嬉しく思うなら疑問の上で破壊したい。

このブログでも散々書いてきたけど自己欺瞞を自覚しながら正当性を確保しようとする自分とその過程における矛盾が嫌いな訳はなく、「一般的に」違うんだよ、逆でもそう、たかが個人から通俗的なものを感じるなというどこからかの言葉を常に警告されることに嫌気がさしているから、個人の尊重が対置された時に愛想つかしてケツを振る。

これを読んで「被害妄想」「楽観的になれよ」と思われたとして、そんなもの何の指摘にも慰めにもならない。個人の前に社会的地位として裁かれた重さが認識の中に存在するなら、抽象的な規範と同時に上から目線で定義付けられる共通意識はブッ壊していきたいと思う。



余談

あっという間に一週間が経ち、また2人だけの生活に戻った。
勿論手厚く歓迎しようという気持ち以外有り得なかったが、この家に他人を住まわせるという行為はどうも落ち着かなく、人間として保守的にものを所有するという欲を掻き立たせ無意識の内に高圧的な態度をとっていたせいか、何か一緒にやる時に露骨に嫌な顔をされていたが、最後の2,3日はお互いストレスフリーに生活出来ていたと思う。一週間という長くも短くもない期間に救われた。
無計画な父親に腹を立てまくっていたのでまあ邪魔な存在でしかなかっただろうけど、これも含め正直反省する点があり過ぎる。呼応とか抜かしたが考える暇も無かった。

襲来


詳しくは話せないが、今夜から外国人が一週間この家で生活する。そして今週バイトが一日たりとも入ってない。これがつまりどういう事かと言うと、「日本人の子供はまともに学校にも行かず仕事もせず家でダラダラしている」なる印象を与えてしまう危険性を孕んでいるという事である。

日本という先進国にどんな期待や懸念があるかはサッパリ分からないが、自分が海外で人の生活を客観的に見たように、というか主観的に見るなら失礼極まりない行為だがまあとにかくそれと同じ目が「子供の」自分という人間ひとりにフォーカスされる確実性には自信があって、そして何を提示できるか、いや提示という一方的なものでなく呼応する環境を秘めているという前提の期待もあるかもしれない。
途上国でも、子供は学校に行くものである。それが日本の子供は全日制を捨て遊びにほうける選択肢を持っているという見方をされた場合、果たしてそれを楽観視してくれるかどうか。自分で言うのも悔しいが、通信制なんて高校行ってないのと同じである。幸い卒業に向けての課題に追われているため「勉強している姿を見せつける事ができる」のは間違いないが、こう考える自分が悲し過ぎるのもまた間違いない。

まだ家に来てもいないのに既に面白い。夜までの時間に追われまくってんのにそれどころじゃなく嬉しそうにこれを書いてるのでヤバい。
何をしなきゃいけないかって、一番に掃除である。この家は落ち着くとの評判を得ているがそれは絶妙な汚さ故にもあるので清潔感を第一に、幸い汚いとされる原因に当るそこら辺に散らかっているものの所有者は9割方この俺なのでまず掃除。そして自室、家族以外に誰も上がらせた事は一回もない理由は圧倒的な汚さにある。これに限り文章で説明するとしても想像には難くないと思うが、エロ本が積み上げられ下着は散乱し、(何とは言わないが)中身が一杯のゴミ箱が平然と2つ並んでいる。そして日を追うごとに増えていった飾る予定とされたアニメグッズが机の上で山を作っている。当然この部屋も見るだろうからさっさと掃除して換気してグッズを飾らなければいけない。お前この前掃除したって記事書かなかったかってか?あれは部屋の半分の話だ。という事でネオジム磁石を速達で購入した。160円から300円に大幅値上がりしてんじゃねえよ。早くしろ。


見栄の前に衣食住の要素を考えなければいけないがそもそもこんな記事書いてる場合じゃねえ。

デスクトップ・デビュー


遂に愛用のAcerタブレットPCがブッ壊れたので、急いで新調したい。

正直この低スペック(AtomZ3735F,メモリ2g)低価格で何の問題もなく無料オンラインゲームやofficeを利用でき、マインクラフトでもシェーダー、テクスチャ導入してのマルチプレイで十二分に遊べ、60fpsアクションゲームの動画編集やエンコードがWin10にアップデートしても不備なくこなせたので近年のパソコンが凄いことに間違いはないのだが、何といっても3年持たずに壊れたこの脆さは記憶に残る。まあWindows8.1が出たばっかの時の商品で(買ったのは2015年)、着脱可能タッチスクリーンで厚さ1cmにも満たないコンパクトさ、バッテリーも8時間持つという夢のようなパソコンだったのでしょうがないっちゃしょうがない。よくここまで動いてくれた。


これからミドルスペックのものを買うにあたり、いくらいいものを積んでいても5年は使いたい。去年のニュースかなんかでゲーミングPCの需要が増えていると家電量販店の店員が話していたのを見たが、その顧客を狙った罠はどうしても踏みたくないので最低限の知識はつけておきたい。

そもそも何故、PS4でしかゲームをやるつもりがないのにミドルスペックPCが欲しいかと言うと、3DCGのモデリングレンダリングをやるからである。CPUは勿論、グラボもメモリも必要になってくるので必然的にゲーミングPC辺りを探る事になる。
そしてノートからデスクトップに乗り替える。ノートのゲーミングPCはちょっと怖い。ノートにスペックを要求するのは違うという固定概念がこびり付いているのもあるが、CPU冷却において貧弱であるとか、空きスペースがないとか、バッテリー駆動であることが不安要素として挙げられる。

問題なのはそもそもPCのスペック関係において全くの素人の身分であること、「これ使うとこんだけ動く」くらいしか関心も知識もない。グラフィックボードとか3日前に知ったわ。必死こいて勉強と情報収集を繰り返す中、数値だけを見てはいけないことはとりあえず念頭に置いている。
予算は税込送料込で15万。


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前置きはもういいのでCPUやCPU。
Intel Core i5にするかi7にするかだが、まずなるべく新しいものを選びたい。お値段的に考えて、i5なら8世代の8400、i7なら7世代の7700でいこうと考えている。この2つ実はそんなに変わんないらしいし、じゃあお安いi5 8400でいこう。つってもi7は7700Kへの無料アップグレードとか結構見るのでその辺も視野に入れておく。


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お次にグラボ。

中でもよく名前が見られたGeForceにするかQuadroにするか。調べて出てくるのは
「ゲームならGeForce、3DCGならQuadro
「ゲームも3DCGもGeForceで事足りる」
どっちだよ。誰か助けて。

そもそもこいつらの何がどう違うのか。そこで出てきた単語が「DirectX」と「OpenGL」。
どちらもソフトウェアで、あらゆるPCの動作を快適にしてくれる優れものらしい。この2つでその「あらゆる」が変わってくる。DirectXはゲーム・マルチメディア処理用APIOpenGLはグラフィックスハードウェア向けのコンピュータグラフィックスAPIなんだと。同じ括りのソフトウェアなので基本的には「選ぶ」動作があると思うんだけど、こうして用途が分かれていると理解しやすい。
そんでGeForceDirectX特化型で、QuadroOpenGL特化型という事で、Quadroに狙いをつける。

しかしどうだ、3DSMAX(使用予定ソフト)を実際に使ってる人のツイッターとか覗きに行くとGeForce使ってる人結構いる。3DSMAX初心者質問スレ行ってみるとDirectXは当たり前になってたりバージョンによってOSそのままにしてるから基準が…え?ま、まあまあまあまあまあまあまあ待てや。落ち着け。これ以上考えると頭がショートする。マルチタスク非推奨。この頭マルチタスク非推奨。ひとつひとつ処理しろ。

記事だとQuadroSNSや掲示板だとGeForce。なるべく新しい情報を選んだ。記事では数字だけを載せている場合が殆どで、Quadroは基本という一種の常識のように語られている。一方SNSや掲示板では数字は全く出てこない。信憑性があるのはどちらか…
記事というのは根拠や説得力が必要となってくるので数字は勿論、言い伝え的な話も用いる場合がある。PCに限らず「実は使ったことがない」から他の情報媒体から仕入れるケースが本当に多いのが困るところ。人間って怖いね。ということで、今回はGeForceに決定。

決定するにあたっての判断要素は他にもある、Quadroはクソ高い。免許取りたての時は軽安定と説得されるのと同じで一発目は金をかけ過ぎたくはなく、逆にグレードの低いQuadroを買って後悔もしたくない。


GeForceに決まったところで、どれにすりゃええんや。
GTX 960Mを搭載したPCを購入した友人が後悔しまくっているのでこれを基準として、次に出てくるのがコスパ最強の(ってどっかに書いてあった)GTX 1050Tiだが、2018年になっても購入者は沢山居る模様。ゲームするならこれで十分だけど今回は余裕を持って上のランクに。
となるとGTX 1060 3GB または6GB、商品によって単品の差額を大きく超える場合があって面倒臭い。これなら1070選んだ方がいいんじゃないの…と気が付いたら予算ブチ抜いてたまげる。しかし最新バージョンの3DSMAXで1060 6GB使ってもカクつくわという声があり恐ろしい。でも3DSMAXで何をやってカクついてんのか分からないので判断出来ない。め、めんどくせぇ…
とりあえずこれもどっちでもいい。


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次にメモリ。

8GB(4×2)か16GB(8×2)のどちらかにするか、ここまで割と幅を利かせてきたので16GBでもいいところ、または8GBシングルにして足りなければ買い足すという手もある。描画処理はグラボがやってくれる筈なのでデュアルではなくても問題ない…んだよね?(疑心暗鬼)
しかし広く選べるとは言えメモリの場合はショップによってデュアルばっかりだったりするのでこれも頭に入れて8GBシングルまたは16GBデュアルどっちでもいい。
一応この記事書いてる時も探しては比較しているんだが、どのパーツもひとつに絞ってしまうと納得する商品が出てこなかったり割引やらキャンペーンやらを見逃すので妥協案と名乗ってワイドに行こう。できれば8GBシングルで。


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最後に容量やらその辺。

これは最初からある程度は決まっている。SSD搭載してるやつ。250GBあればいい。システムドライブとして運用して余った分は好きに使う。
HDDは1TBあれば大丈夫でしょ、大丈夫大丈夫(適当)でも2TBのアップグレードで+3500円はどう考えても安いが、いざという時はPS4の外付けHDDブチ抜けばいいでしょ。
自作じゃないのでマザーボードも考えない。
ポンポン出てくるオプションは要らない、この手のオプションは一切不要と叩き込まれているので便利な身体です。


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最後に父親に相談すると、「やめとけ」の一言で打ち切られて草枯れた。用途が違うとは言え、いくつ買い替えてきたか分からない人間の発する言葉は重いんだろうが、俺にはそれが解らんのでジレンマがありすぎる。

本当のところを言うと、たかが初心者が3DCGをやる最低ラインのスペックはもっと低くていい。学生の頃にいいもの揃えたって意味がないという意見はいくつも見かける。最初に5年は持ってほしいとか抜かしたが、パソコンなんて2,3年で買い替えるのがオチなのは知っている。

じゃあ何で拘りたがるのか。そりゃ初めて将来の為に金を使うからよ。プリパラに射抜かれてようやくアニメ業界に足を運ぶ準備ができる。ID-0とかで興奮しまくっていたセルルックCGのプラグインも備え付け。結果的に希望の職に就けなくとも、CGを学ぶ機会を得られるというだけで有意義だと思っている。それと今まで手の届かなかった、というか届ける必要のなかったパソコンを今こうして買う事になったので純粋に楽しみなのもある。
御託を並べたってスペック分の高度な作業できなきゃ意味がない。じゃあ腐らせない為に、娯楽に使っちまえばいい。つまるところはVR、最近ゲームの熱も冷めてきたと思ったらVRの登場で少年心がモロに帰ってきた。VRという単語を聞くだけで勃起する。じゃあ購入できるじゃない!クンツォ!いやVive買う金あんの?


ということでパソコンの方は注文済みなので届いたら書く。

懺悔タイム4


嘘だ。「嘘は滅多につかないと言いたい訳でもなく、具体的な現実ではなく無意識的な感情」なんて立派な嘘。実際は嘘をつきまくる本物のクズ野郎、ただ見栄を張りたいだけの、焦燥感ひとつで行動し、生きている人間。
善も悪も構わず正直過ぎる人たちを間近で見て真に感じたのは、紛れもなくこの俺が嘘つき人間であるということ、この前書いた「行動原理」、自分が嘘つき人間であることの証明を踏みとどまって誤魔化した。それを説明しても今はまだ、これとこれについては事実と一々弁明したい自分が確かに存在しているのはとんでもなく憐れで、クソクソクソクソオブクソ。
最近妙にリアリティを感じられなかったというか、これまでやってきた事はもはや他人事のような気がしていたのは風情もクソもなくそこに対置されていたからだ。何もかも中途半端な文を書いてきたのは捻りもなく現実から逃げたかったからだと理解した。
他人が嘘をつき始めればすぐに分かる。「まーたその場しのぎに話作ってるよ」こんな思いが、自分にも当然のように向けられていることに何故気が付かなかったのか。本物とされた嘘が年月を超えてやって来た時、もの凄く惨めな気持ちになった。それは、周知の事実として完成しきっていることに腹を立て、ただ肯定する。あるいは、既に見抜かれていたのだろうかと思い、どうしようもなく互譲を見る思いで応答する以外に選択肢が与えられなかった。相手が本気なのに、対してはこの有様、あまりにも酷い。大した話じゃない、そんな事は分かりきっているが、敗北感というか、見下されているというか、ただ申し訳ない気持ちで一杯だった。
半年前、一番付き合いの古い友人とこれでもかと腹を割りまくる機会があった。初めてだった。日が落ちる前の小学校の校庭で、感情をそのままに話し、ただひたすら謝罪と賞賛を繰り返し、深夜を回り親から電話が掛かってくるまで時間を忘れて話していた。そこには嘘なんてひとつもなく、高め合おうという意識もなく、2人の間にあった出来事で認知していたもの、していなかったものとその相違を互いに確認した。自宅に着いてベッドになだれ込んだ瞬間の満足感、後ろめたい気持ちのなさ、一種の勝利感は懐かしいものがあった。
その勝利感は母親を言い負かして部屋に籠らせた後、自室に戻り、なぞるように自分の発した言葉を思い出して悦に浸る瞬間のあの感情と似ていた。久しぶりだった。日常的に行われた喧嘩の中で原因は見事にひとつも覚えていないが、既成事実の塗り合いが必ずあったこと、結果の先にあった勝利感、敗北感は鮮明に覚えている。そのうちの片方が物理的に震える事無く、それも事実の塗り合いだけでやって来たのは快感だった。意義や証明の過程として「母親を言い負かし」ていたあの時の行動、母親がついに出て行った後は自己の正しさを証明する手立てをついに失い、どんな人間であるかサッパリ分からなくなっていた時に同じ感情を抱いたのは、友人との間にあった会話の正しさを証明する前に、母親との間にあった喧嘩の正しさも結果的に証明してしまった。
それからは、これまで行ってきたことに対しての絶対的で必然性も秘めていた嫌悪感が消え始め、時間は何も解決してくれないと思っていた正しささえも消え、本当に時間は忘れさせるものだと悲しく思いながらまるで美談のように贖罪のつもりで反省を文字に書き起こせる自分は一枚岩ではなく、二枚舌でもあると惚れていた。その結果として12月の記事で「相対的に見なくともここ数ヶ月はいい生活を送れてると言える」などと最悪の思い込みが言葉として出た。全ては自分が招いた嘘だったことをやっと今理解した。愚かすぎる。

もう正直に生きたい。道徳的な堕落なんて常に起こっていた。後悔しかない。心機一転とかほざく前に甘えた人生の汚点を洗い出して、それからやっと、金使って、金稼いで、アニメ観て、ゲームして、友達と遊んで、美味しいもの食べたい。

あくまで強気に


あるいは惨めに、旗幟の不透明さが裏目に出たのか方向性の疑念を煽るこの体たらく、それでもまだ五分だとセーフだと安堵しているつもりが、実際は端から心配すらしていないという楽観、疑問に疑問を返す始末。結果論がどうしても欲しいと回顧してしまえば正解か不正解か、あっさり答えを出した。しかし採点などという一貫性など求めてもなく、良く言えば無造作。次に良いか悪いか、要するにストップモーションではなく「口上」の問題としてはどうかと言われるとあまりに物語がなさすぎる。減らすものは減らし、消すものは無視した過程はあれど(これを進歩というかは別だが)、人間に近付く為か遠ざかる為か知らねえが身になったものには一旦区切りがつく。

重要なのはここで示すもの、つまり威厳である。それがあるかないか…なくない?
理解の及ぶ感情の肯定をある程度は嫌ってきたものの、先にも似たような事は言ったが高低差という相対評価、否定と同情の中での優位性、そういった類のものの結論を出されるタイミングが来てしまったからにはそれをどう表現するか、その「くだらなさ」で勝負をかけたい。

勝負したい以上、ここで興味もクソもない話をするのが最適なのには自信がある。例えば友人、こいつに彼女とかできる訳ないやろと思ってたのが5人くらい作ってたとかそういう表面の表面上でもうらやま…正しくルサンチマンが形成されている事実に並行して俺が出せる最強の武器は、布団から起き上がるモチベーションの管理とか昼飯のやり過ごし方とか風呂に入らなくても臭い的にセーフな最長時間くらいしかなくて結構困っている。

文字で叙情する上では余裕がつくもの、そこに人間と人間が関わっているかどうかの人間の会話に対抗しようという時に、どうしたものか折衷する余裕もない。何かはあっただろと思った瞬間、あまりに人と日常会話をする機会を失ってしまった愚かさに気が付いたと共に何をどんな風に話せばいいのか忘れてしまったのである。
これが威厳の尺度となる。このくだらなさでいい。本当はもっとスケールの大きい話であると傲慢になる必要は無い。これが俺のレベルだ。


アホな話で何やら説得力が消え失せたようだが、つまりは猫背を直し、痩せなければならないという結論に至る。威圧をかけろ。格好で勝負だ。全員ブッ倒すくらいの気持ちでIKEA。そんな感じで心機一転、走らさせて、頂いてます。

最大瞬間風速


やることが分かっているならモルモットでいい、分からないなら人間を使いましょう。何に舌を巻き、何を見下すか、答えが出たと思ったらいっっっっつも一枚剥がれてやり直し、魂は消えて、羽が生えました。等価交換でも喜べない。尺度が分かってない。価値、あるいは長所と呼んでいいものが通り過ぎるタイミングは簡単に可視化できているはずなんだけどまさしくここで「道徳的な堕落」が並行するという、ちょっと面白い現象が起こる。

という毎日があったとして、果たして進むか戻るかと言われれば止まったままのはず、今日はこういうことにしておいて、つまり現在って未来でも過去でもなかったんやなって思う。クソ当然だけど割としみじみ感じてしまったので余程のバカかアホかのどっちかだけど、敢えてスッカラカンの頭でパッと思い付いた言葉で言うなれば希望、何やったんやろなぁ、苦労というか孤独というか…

結局思想の問題でなくやっぱりただの感情、周囲で「あほくさ」って出来事か「ええやん」って出来事のどちらが、上かな?(天地創造)とかいう単純で自己中心的な概念が見解やら世論やら呼ばわりされている事実、いや外的なものじゃなく、内面としての。

情熱も優しさも厳しさも要らないと言えば嘘になるが、どうにもこうにもできない輩がちょっと目立つからには、別に不便な言葉ではないんじゃないかと思う。もっと小さい頃は大人は嫌な生き物だと散々思わせてくれたもんだが、今もまたナチュラルでピュアな幻想が戻って来るとは流石に予想もつかなかった。変に意地悪に考えてみれば大人は子供に優しくて当然と無意識的に感じていた可能性が微粒子レベルで存在する…訳ねえだろ。
どっちにしろ常にこのクソ寒くてくだらない町からさっさと逃げ出したい気持ちではあるけれど、もちろん成長を感じられる部分は少なからずあるものの、いやそれすら否定するつもりは更々ないが、因果は因果っていう縛られたものだったら時間だけ取られていくんじゃねえかと。

まあ「常識的に」考えられたら社会性の話なんかアンチテーゼなる一単語聞いただけで笑われるから、派手な格好するんだったらその理由を探してもらえばいいだけの話。