懺悔5

もう目の前の人間に対して、強い論法を使うべきではないと最近考えている。役職、学歴、年収、分かりやすく可視化されている競争のデータと、年齢に嫌でも付いて来る責任について、もっと深く考えるべきだった。


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金も経歴も一切持ち合わせていなくても意見は平等であるべきだという思想を根幹としたコミュニケーションをしようと、まあ普通に考えて人として当たり前の意識ではあるのだが、訓練として積極的に内側から放流していこうという動きが最近の自分の周りでのスタンダードになっていて、その精神については俺も賛同できる、人として面白くいられるだろうという継続性と期待もある、でも社会に適用するとつまらないというか、空気そのものを他人に強要しないと会話が成立し難いハードルの高さ、個々が持っている常識の平均化の難しさが寧ろ利己的にさせやすいというか、俺が王様でいいじゃない的なテンションが、これがいくら健康的でも結末としては傾いていくだろうと思った故の、あえて「黙っていた方が長期的には成長性があるんじゃないか」という可能性が今自分の中に新しく浮かび上がっている。

良い事をペラペラと上辺だけで垂れ流してる奴は無限に存在するが、気合い入れて現実世界で殴り合おうという奴らに会ったのは初めてだったというか、マインドの共有ってこういうものなんだという衝撃があったが、自分もそれに影響されていく過程で、それら全ての熱意を跳ね除けて、意識が云々よりも勉強の方が大事だと何となく思ってしまった。自分が生きる空間で通用するものを見つけたり、弱点を見つけたりするのは、視野を広げ過ぎたら逆に難しい。 理想は高い方が夢があっていいし、世の中を変えるのはそういう奴なんだろうけど、純粋な感想としては掲げる理想に嘘偽りなく向き合うというのは不可能だろうと思った。理想を成し遂げる為に理念を破らなければいけないというか、綺麗なものから汚いものが生まれるのと汚いものがあるから綺麗なものがあるという考え方では心の状態としては俺は後者の方が綺麗だという結論に至った。


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俺が偉そうに講釈を垂れる危険性を自分で理解しないといけない時期はとっくに訪れていて、それに気付くべきだった。俺は専門卒社会人2年目低賃金の雑魚で、世の年功序列みたいな風潮に対して反抗心があったが、確かに血を滾らせてブッ込む方が圧倒的に伸びやすく感じる、感情のアップダウンが激しい、その分受けるダメージも大きいというのは若年者としての立場が利用された好循環の現れだと思っていた。

しかしこのまま年齢を重ねて、自信が膨れきった時に絶対クソ面倒な人間になる。今回の案は転換性があるというか、生の感情が俺の持つ情報みたいな今のスタンスを捨ててケースバイケースで問題を切り分けられるなら、自分の中に新しい時代が来た時に思想を再び改め直せる期待がある。ダラダラ生きてるつまんねえ大人共に取り込まれたくないのは変わりないが、偉いのはあっちだぞと、俺よりメンツがある、俺より金がある、俺より長く生きている、その情報だけで自分は下手に出るべきだった。


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結局のところ俺は何も知らないだけで誰にでも人生があることを全く分かっていなかった。他より実力がある自覚はあった、でもそれ一本で全てが許されると本気で思っていた。もうどうしようもないからオフィスで一人ただ座っていたことを思い出すと込み上げるけど、次は上手くやっていこうと何回も修正を繰り返して適応しようとすると段々味がなくなってくるんだろうなと思うけど、それよりも今は、怒り狂って何もかも投げ捨てて、金と保身の為だけに世話になった先輩達を全員敵に回して、申し訳ない気持ちの方が強くて、でも謝る機会もとっくに失って、本当に馬鹿だった。