時代遅れ


フォーマルな格好をして、背筋を伸ばしている方が人が横に座りやすい。走るくらい急いでいるのに赤信号は守る。ニュースは現実で他人事だから面白いのか?分からない。もう誰も信用しない、誰も助けない、誰も許容しない。



世間を知れた覚えは無いが、あまりにも娯楽に溢れているのに、どれもこれも公共性があり過ぎて一体感を感じない。
病気と呼ぶべきなのか、誰もが致命的な欠陥を抱えているのに、どいつもこいつも他所行きの感情で喋りやがって、それが用意されたポジションなだけであって、あの出来事が生んでるのがこんな構造だとか、みんなそんな様な物語を求め過ぎて誰も人そのものに興味なんてないんじゃないか?

いつの間にか俺はヌルい湯に浸かりながらブツクサと文句を言いながらただ座ってるだけになった。殺したい奴の顔をゲロと吸い殻まみれの用水路にハメてメチャクチャに蹴り潰す妄想の推進力だけで仕事をするようになった。昔は気に入らない事にはブン殴られて分からされるまで抗議したが、一方的に拒絶して終わらせる方がよっぽど簡単という事に気付いてしまった。問題や腹立つ言動を目の当たりにしてもチンカスの枠に突っ込んでさっさと忘れる方が合理的であるのは至極当然の事実である。しかし今もこれが自分に出来た覚えは無い。全部これが原因で俺の人生は失敗しかしていない。



素直に上手いと尊敬する奴に共通して感じるのは、なんだこのクソガキと感じる一点のみである。少なくともこの業界を支配する奴らは全員揃ってクソバブおギャり太郎であるのは間違いない。全員毎日乳首取れるくらい吸って生きてる。右手にマウス・左手にキーボード・口に乳首・下半身の世話は20年くらい前の作画の美少女、勝てる訳無えだろ。そして澄まし顔の目が死んでる奴らは独りよがりでギャグを言ってるのかどうか判別しかねるレベルのクソセンスで何を取ってもつまらない。今のところどっちにも絶対なりたくない。

何をするにも年齢は関係無いと言うが、それは行為そのものが安心材料になっているだけである。"えらいね"の4文字で片がつく。挑戦できてえらいね。マジ物のセンス、大量の時間、センセーショナルな色の起伏、成功・失敗体験の積み重ねの実績がないと雲の上に居るの奴らにはひっくり返っても届かない。大人になってから手を付けたところで間に合わないものは一生間に合わない。そもそも生活が第一な時点で弱い。この世で一番強いのは脚にジェット付いてるウサギである。大抵のウサギは休んだまま一生動かねえか場外まで走って行くせいでカメ共に負ける。才能まみれの奴は幼い頃から芸術に勤しみ、試行錯誤し、破壊と再生を繰り返し、そして俺はバンシィ・ノルンで2000コストを焼いていた。



俺はどうすれば良いだろうか?乳首を吸えばいいのか?俺が乳首になればいいのか?いつだって評価されるのは他とどう違うかという希少性とそればかりで、面白いのか面白くないのか、それなのに一々型にハメたコミュニケーションの手続きが寧ろ全部から遠ざけていてキツい。




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しかしこれは昨日までの話、俺は間違っていた。人がどうでもいいなんて言うと人生のコンテンツ9割消滅する。ただ、事実として結果的に誰も俺の事は守ってくれなかった。未払いの残業代と3ヶ月の休職の付与で形式的に事が片付いたが、これを受け取れば明けには解雇が待っている事を意味する。何も食わない日と食いまくる日を繰り返し、怒りとも悲しみとも言えない謎の感情を消す為に精神安定剤精神安定剤にする毎日が終わると思うと、何も解決していないのに俺は安心していた。

トラブルメーカーであるという自覚はある。それでも未だ売られた喧嘩を買っている認識でしかない。だんまりは嫌だ。でも上手くやれている周りの人間を見て、その情報だけが頭を支配すると、自分以外の人間が敵にしか見えなくて混乱する。
今どういう気持ちでいれば、この出来事が人間として成長できる材料に昇華するのだろうか?社会なんてゴミだと言い切ってしまうとラクになり過ぎるし、執拗に自分を責めると奴らと同じ道を歩く事になる。