適当


気が付いたらネット中毒なんて言葉は聞かなくなった。
文化をビジネスが支配しているせいで、人生なんて見栄で塗り固められた名刺みたいな扱いで、不自然を意識外で排除してるみたいでインターネットが昔より楽しめなくなった。こういった場合、しかし結局自身が原因にあるケースが殆どであったりする。ネットに割く時間が減り、年齢が増し、趣味が変容し、純粋な心を忘れて一々余計な事を考えるようになっただけの話で、ただ単に有象無象から面白いものを探し当てるのに疲れたのかもしれない。企業は中央集権的な構図でクソガバガバなデータの取扱いに何となく誇りを感じていて、だからこそ世相の無視は自然的な処理なのに、自分はと言えばシステムに取り憑かれたみたいな生活をしている。

結果として将来的にそうなるかと言われると微妙だが、ユーザーの感覚として何でもかんでも無料で楽しめてしまう時代は終わる。Youtubeが死ぬ程つまらない動画とカスみたいなコメントで埋め尽くされてるように、ビジネスモデルが確立され過ぎていてコミュニティが自力で消費を抑制する方法が多くの媒体で存在せず、プラットフォームが主に手段としてしか機能していない現状で、質が高いものを、評価的なインセンティブが価値基準の環境で無料のコンテンツとして構築するにはもう限界に近い。才能がある人間が労力をドブに放り込み、娯楽を楽しむハードルは下がり続ける。提供者の動機に生活があって、客に制限がないサービスなんてどんな面白いコンテンツでも最終的に薄っぺらくなる。