まだ舞える


人が仕事してる真後ろで悪口を言われながら、日曜だろうが祝日だろうが行って帰って30分で風呂と飯を済ませて、時間ができたら何をしようと考えて寝るだけの毎日、 それでも相変わらず運だけには恵まれ環境は万全、案件は極上といったところで、辛いと思えば辛いし辛くないと思えば辛くないし、自分もそれ以外の人間も文句を言おうと思えば幾らでも出てくるけど、結局のところ何が正解なのか、仮想敵を相手取っていかに自分が恵まれているか言い聞かせて今日までやってきたけど、多分限界が来た。時間と金せめてどちらかが欲しいところを双方ブッパされると無理。コンビニバイトの方がよっぽど楽に儲かるわクソボケチンカスイカレタコ焼きソースがよ。

ただ、これを自分で選んでいるのは間違いない。お勉強しなかったのも自分、部活動に一切真面目に取り組まなかったのも自分、学校行かずに一生ゲームしてたのも自分、こんな業界に飛び込んだのも自分、これは間違いない。しかしこの謎の鬱憤の行方と言えば何処にも行かないのが問題で、そのせいか知能の若干の崩壊が始まっている。世間のニュートラルな平衡感覚を失った瞬間年齢関係なく老害と化すこの業界では割と致命的な怪我で、ついに俺もその辺の石ころに感動しつつある。
一度ブッ壊れたあの頃はただ慰めて欲しかったのか何なのか正直もう覚えていないが、今は癒しとかアドバイスとか同情とか全部邪魔に感じる。自分が選んだクソみたいな社会と取り巻いている陰湿で無防備な人間たちのことを何一つ否定されたくない。

自分がどこまで行けるのかずっと知りたかった。未だに分からないのに、ただ本当に真横を通り過ぎていく。真横。自分に必要な何かが真横を通り過ぎる感覚、その時考える必要のある何かが置いてけぼりにされてもう一生距離感が分からない。難しい。今日まだ何も食ってない。

俺にすら理解されない俺を殺す


もはや死ぬ寸前まで追い込むべきなのか、実は自分を騙し続けているだけなのか、一歩間違えば俺が馬鹿にしてきた奴らと同じ肥溜めに落ちると身構えていた。




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フフハハハハハハハ!!!!!!!!!天啓が降りた!!!!!!!!
まずは家族と尊敬する人間以外の関係を全て終わらせる。ほぼ10割吹き飛ばす事になる。規則を社会とかいう好都合に任せるからいけなかった、生活に不必要なものを洗い出して、時間がある建前を押し付けるべきだった。



世間の普遍を材料にして多くの人間を敵に回すことで、自分を保ってきたつもりでいた。しかし気が付いた、他人なんてクソどうでもいいと。いや他人がクソどうでもいいのはいつものことだが、それはあくまで頭の中までの話だった。

真のクソどうでもいいとは、まあよく分からないが、俺にとって以前までのクソどうでもいいはブッ壊れた心の平穏の為にかつて必要だった。友達への諂いも家族への引け目もその辺に転がってる社会問題も弱い自分を守る為の妄想も当時は成長の種だったかも知れないが、気が付けば、ただ時間と精神を食ってるだけの癌に成り代わっていた。

ある日突然電流が走った。気が付いた気が付いたと呪文の如く唱え鼓舞してきた発見という名の通例儀式はたかが承認で、割とショボいリスクを背負ってきた。しかし今回は違う。

欲が出てきた事もあった。早く歳を食ってふんぞり返りたいと思っていた。今の内に若者の使い方を学ぶべきだと思っていた。定期的に刺激を与える必要があると思っていた。もっとシンプルでいい。




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仕事は必要だと感じる。人生のほぼ全ての時間を仕事に費やすのは果たしてどうかという安直な疑問に無駄な時間を割いたことは何度もあったが、現時点ではボンテージ的な性的興奮が腐らない限り黙って座りたいと思う。

それとはまた別の話、俺がやっているのはアートではないので要望が多くあるのは当然だが、情報を共有する機会が怠惰に義務化されているせいで相互に監視している実感がない。各々が決め打ちで満足を得ようとする構図が無限に続いている。具体案は一生出さないが意見はコロコロ変わるワガママ赤ちゃんクソ上層バブバ部オギャり会があり、大してやる事が無いオッサンの仕事してます感を出す手伝いを定期的にやらされて停滞したり、本当に・・・この点はクソつまらないと思う。まあ自分の仕事楽しいから別にいいやって全員思ってるのが非常にマズい。俺も思ってる。
責任を追われる機会を極限まで削減したこの空間というのが業界に棲む人間の産物で、構造的にスペシャリストとして生きるなら出世が存在しない。この仕事を何十年続けてもウマい金であったかくなる日は絶対に来ない。これだけは分かる。仕事を続けるのは好きでやってる人間か、辞めたところでどうしようもないと思ってる人間かのどちらかというところである。もしかしたらこれは普通のことなのかもしれない。




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金持ちには金持ちのプライドがあるし、知識人には知識人の情報網がある。金も知識も無え俺みたいな奴は身分相応の場所で他人がしゃぶられてるのを眺めるしかないが、行けるところまで行ってみたい素志がある。



当面の課題

0.考える
1.副業
2.引越し
3.株式投資
4.エンタメ
5.逃げ道



っていう今日に至るまでの話を、天啓とか言ってるけど小さな一歩を踏み出すだけに仕事を何回かサボって給料2万引かれた。

目を覚ませ


よく考えてみれば俺に仲間が居る必要が無い。口先だけの母親は今もそれで自分のメンツを守ろうとするし、父親は自分の満足が教育者の資格だと勘違いしていて、兄は周りの誰にも勝てないから俺に当たるだけの機械だった。今となってはもう過ぎた時間に感謝するしかないが、少なくともあの頃の俺に味方は一人も居なかった。こんな奴らに稼いだ金で孝行して喜ぶ顔を想像してた最近の俺って何?俺は俺が孤独だという事を絶対に忘れるな。
確かに、なんとなく考えても人間は人間のルールに守られ続けて生きているが、何の為に生きているかというクソみたいな問いに答えを持つ必要は無くて、俺たちは友情とか愛情を感じる一瞬で何かしらを信じたりするけれどそんなものはその日の孤独を消してるだけのまやかしに過ぎず、だからそんなものが元からない俺は優しくしてくれる自分を作って今まで弱い自分に勝つ妄想を繰り返してきたんだと思う。何もかもから逃げたあの時のツケはもう既に回って来ている実感はあるが、きっと何度やり直しても同じ失敗は繰り返すし、こうして不完全な自分の成長に甘えて生きていると何の前触れもなく潰されそうになる日がこれからも続いて、どうせいつかは耐えられなくなってその辺で野垂れ死んでいると思う。

万物を受け入れる器


財布が空なのに笑顔でうどん食ってたり、父親の再婚相手の娘がアイドルで陽キャだからという理由で安易に帰省したくなかったり、銀行のハンコが入れっぱなしのままのズボンを返品したりしてなお平然と生きていられる社会があっても、俺はまだ上手く立ち回れるなんて期待が常にある。
だが、どんな功績を挙げようが、何より優越感が勝ろうが、必ず最後には俺はゴミであるということを忘れてはならない。人より地頭が悪く、人より継続する力がなく、人より空気を読めず、人より浪費癖があって、人より学歴が低くて、人より自慰の数が多くて、この世に有能がいて俺は無能であることを俺は絶対に忘れてはならない。

生きやすいから狭い世の中がある。誰も捕まえないのに俺はまた逃げようとしている。
人間の持つ自信は引き算の結果であるという話がある。テストの点数が低くとも自分が他より優れているとずっと思っていたあの頃の自信は中学生くらいでグチャグチャに丸め込まれたが、この歳になって未だ自分が世界の中心だと思い込んでいる奴がいるとすれば、それはそいつが正しい。


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子供が子供を騙すという思い込みで、"大人でも楽しめる"という安易なセールスが実は大人の常套句だったのが衝撃的だった数年前のショックだが、何故人が子を授かりたがるかがよく分かるようになった。

埋没費用なんてものを考えた事があっただろうか、常識をある程度身に付けなければいけない中で、前提を知らない地点というのが奇想天外な発想に繋がるわけで、発想という点では子供には戻れないという話を聞いて諦めがついた。無条件で吹き込みたがる大人からいつの間にか自分がその対象から外れていたと気が付いた時、大人が持つイメージと期待について、純真さや子供の興味への興味なんだろうとその時は考えていた。
確かにゴミカスみたいな大人ばかりだけどクズ野郎は居ない。弾圧されて生きてきたような大人の口は異様なまでに固い。

マジョリティーの正当性を盾とするのではなく、私と組織という構造で考えた方が否定一辺倒の主張で戦うよりも長期的に得をするということを知るべきだった。友達に昔読ませてもらった「キャラ化する/される子どもたち」という本のことを今もたまに思い出すのだが、学校内でキャラという評価経済の賜物が持つ権力というものが権力として当たり前だった。
だが多くの大人には仲間が居ない。万物を受け入れる器なんてものは存在せず、仕事も人間関係も妥協しながら同じ空間に平然と居座っている。


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一年前、話を聞きに行ったある企業の人間が「ソシャゲで課金してる人いる?手挙げて・・今挙がった人はこの業界向いてるからがんばってね、課金しないとゲームの良さなんて分かったもんじゃないからね、面接来る人も課金してる人かどうかで印象変わるから」なんてブッ込んだ奴をその場で殴りたくなるくらい腹が立ったことがあって、どこのどいつがガチャとか何とかでこの業界クソつまんなくしてんだか分かってんのかって、意識高い熟語並べただけの内容スッカスカ自己満講演よりはある意味勉強にはなったけど血の気が引いて上る瞬間をその場で実感するくらいのインパクトはあった。
自分達が気合入れて作ったものがガチャで当てるまでは届かないと改めて言葉にすると確かに嫌なところではあるが、今言えるのは体制なんてマニュアル通り動けばいいだけで顧客の事なんか真面目に考えてる奴なんて居ない。みんな潰れかけのパチンコ屋の店長みたいなテンションで毟り取る事しか考えてない。

商品センターでバイトしていた時、俺が叱られてまくっている目の前でパートのオバサンがミスっているのを、たぶん目線のやり場として、俺たちは見ていた。だがその後パートのオバサンへのお咎めはナシだった。理由はすぐに分かった。40や50の、自分と同じかそれ以上の年齢を重ねた人間に俺を怒った時と同じトーンで話すのが面倒だからだ。
俺はこの時、ある種許されていた。同世代の人間に「君のためを思って言っているんだよ」アンチは一定数存在するが、そんな奴らブチ殺して俺はもう、俺を叱ってくれる人を聖人君主と思うしかない。目の前の大人を必要悪なのか老害なのか何なのか考える時間は今はもう与えられていない。

干されろ


ここ2年の俺は面白くない。これには自信がある。遂にこれについて考える日が来た。
数日前に兄と話した。やはり奴は仏、正しく表現するなら僧だった。但しガンギマリだが。しかし夢と努力なくしてこのガンギマリなしと俺は肌で感じた。そもそもマジカルなキノコを取り入れる以前に方法論と実践を最適化するペースを確立し、一年前に会った時とは既に別のステージへ移ろうとしていた。しかし言わせればトライアンドエラーではない。俺も毎日、スマホを見ずに横断歩道で待つ時のポーズについて誰よりも考えているが、彼はこれを高校時代には解決したと言い、瞑想しろと一言放った。そして修行法として移動中の公共交通機関内でノリノリで音楽を聴くことを挙げた。俺はその瞬間この一連の会話が悩みの全てを包括していると理解した。俺が気にしていたのはポージングではなく、人の目だ。誰もが対象を顔や服装に関係なく0.5秒で隠キャと見分けられてしまう理由について、その佇まい、目線、歩く、座る、振り向く動作と枚挙に暇がないが、俺はそういった視覚的な特徴を人の目から除外しようと「横断歩道」を行っていた。実は記憶の中で一度だけ自信を持って赤信号を待てていた瞬間がある。異常に怒っていた時だ。それでも俺は満足感だけで気付けなかった。たったこれだけの事なのに圧倒的な差を感じた。
奴の凄さはこんなチンケな文章じゃ伝わりっこない。そして、具体的に何が俺をつまらなくさせているのかは分からない。この悩みを持って人と話すせいで結局考えざるを得なかった。



流行り物に対して忌避感を抱いている奴は沢山いて、俺もそのイキリアングラアヘ太郎の一員だった。一方で、ガンダム産廃とかCランだとか言われるものを好んで使っていた機体が、ある日唐突に環境トップに躍り出て世間的に意義ある存在となった時、以降一切使わなくなった事があった。サブマはP90、ハンドガンにはサイレンサー、投げ物は邪道といったような情緒以外で構成されていないFPS上のロマンの尊重を、ガンダムでも同じ事をしていると思い込んでいた。好きな機体が強くなったのを素直に喜べばいいものを、乗り捨てた理由についてロマンもクソもなくただ流行ったから嫌いになったという回答しかできず、これは流行り物が好きなだけの便乗野郎と同レベルという事、俺は流行り物が嫌いなのではなく流行った物が嫌いなだけだった。一定のジャスティス領域によって構成されている当時の俺はこの件がジャスティスに触れ、ジャスティス検閲対象となった流行り物語シリーズは正義の上書きを食らい、結果毛嫌いしていた星野源の歌が普通に聴けるようなった。



子供の舌なんてしょっぺえと勝手に思ってるけど、ボンボンの息子が将来グルメになるのかというとそうではなく、少しずつだったが、俺は変わろうと思ったあの日から本当に変わった。つまるところ、俺は小学生の頃自分の布団に小便を引っ掛けて興奮していた。金正恩は正直かなりそそる顔をしている。今爆発しそうなくらい暇だ。






俺は全てから逃げ続け、何一つ精算できていない。

兄は本当の意味で自己を貫き、言葉の全てに意味を持たせ、マイノリティーを掲げ、そして邪魔な記憶を消した。

感受性のピークは過ぎた。人生の分岐が何とやらも多分とっくの昔に終わった。生涯子供がいいとか前に言ってたがそれは子供に失礼だった。後ろめたさが消える瞬間が来たら死ねと自分に思ってたが、吹っ切れた気楽、今の頑張れば立派に就職できそうみたいな状況が絶望的にキモい。俺以外全員滅べみたいな頃の方が面白かった。見てるか俺、俺は正直に生きるとつまらない人間だよ。見栄もネガティブも幼稚な残虐性もあの時の焦りも全部取り戻す。俺は一度衰退する。

我慢の限界


もやしィ!?食わねぇよ!!!!!!!!!
俺がァ!!!!!!!!!!!!!
俺が食いたいのは!!!!!!!!!!!!!!!!



肉!!!!!!!!!

ラーメン!!!!!!!

カレー!!!!!!!

ジャンクフード!!!!!!

パスタ!!!!!!!

パスタ!!!!!!!

パッ…

アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッッッッッッッッ貯金死ぬウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウううううううううううううううううううううううううう

あのね、いや俺も最初はね、ミートソース100円の半量50円生クリーム200ml100円の20ml10円赤ワイン720ml380円の20ml38円麺500g100円の150g30円サンドイッチ120円の半額60円合計188円+税 みたいなのを毎日メモっててね、ひと月当たりの食費と減量成功の様子をね、ブログで自慢する事で相応の満足感を得た上見栄の為に継続を義務付けられるんじゃないかと思ったんだけどね、無理だわ。ある日なんとなくツイッター眺めてたら美味そうなお昼の様子が流れてきてさ、その瞬間頭に贅沢してんじゃねえよって言葉が超高速で駆け抜けて…気付けば目の前のご飯通り越して投稿した人間の生活と仕事と身分を無意識に探り始めていて…だから贅沢は俺が俺でいられる為に必要なことなんだ、俺は俺から食の歓びを奪うんじゃねえよクソが。


今日はこの位の値段でこの位の満足感でこういうルートでこれくらいの時間が掛かって、そんな十数年分の知識がここに来て全てリセットされたんだなってことごとく買い物や外食で失敗してから気付いた訳で、頑なに人が一ヶ所に留まろうとするのは人付き合い以外にも要因があったんだなあと感じる。店が多い分ハズレも多いのに客引きにノコノコ付いていくと数百円ぼったくられたりするから中々精神的にキツいものがあって、それはただ時間が掛かるだけだからまあ妥協するとして一番は水、水道水が飲めないというのは流石に堪えた。この世で最も偉大な飲み物は水なのでお茶もジュースも買わないんだが1日最低2Lの摂取+料理分で3Lは堅く少なくとも月4000円は水道代とは別に消費されている。ふざけんな。

それとIROKA、お前だよFLAIR FRAGRANCE IROKA、なあ、俺はお前を世界一愛してたのに、ドラッグストアのバイトだった時俺はたまたま洗剤コーナー担当で…商品棚の端から俺は試供品やら何やらを片っ端から持って帰って最強の柔軟剤を選別して3ヶ月…運命的な出会いを果たしたIROKA エアリー、知らん間にエアリーリリーに改名しやがって、お前3年振りに再開したと思えば劣化しやがってこの野郎、いやもうそんな事はどうでもいい。何を隠そう今日は贅沢の日である。俺が適当に決めただけの贅沢の日。いつも贅沢してないみたいな言い方やめろ。は?いつも贅沢してるみたいな言い方もやめろ。でも贅沢の日だから俺は贅沢する。
ここに来てからは一週間の自炊の流れとしては鍋→パスタ→カレーの3種と非常にバリエーションに富んでいるものだが、鍋に関していつものように食ってたらこれもしかして肉と春菊が美味いだけじゃないかという出会ってはいけない真実に辿り着いたせいで今日の具材は肉と春菊のみである。

ッハァ絶対美味いこれよォ!だって今日は精肉店でグラム170円の豚バラ買っちゃったもんねぇ!

初登場時から随分と日も経って育ち切っていると思われた鍋の素市場が未だにイマイチなので今日は親の顔より見た10(出汁):1(醤油):1(酒):1(みりん)のSSR確定黄金比おつゆで白米パーティしようじゃないの。3合はいけるでこれ。

後は適当に具材に火通して終了。


あ〜〜〜これだよこれこの満足感だよ、レトルトにワインと生クリーム足しただけのパスタじゃ絶対に味わえないこの満足感、クソ美味い。不安要素が一切無え。
俺は化学調味料やら添加物といったものがだ〜いすきなんだが今回の食事はそういった成分が0っぽいのでこういうマジで素材の味しかしねぇみたいな食事は寧ろ斬新である。健康食品に踊らされた主婦の犠牲者は決まって我々子供であることを忘れてはならないが口うるさいオバサン達の気持ちが今少しだけ分かった気がする。少しだけ。この夕食どきに今まさに母親にアマニ油を料理にぶっ掛けられてゲンナリしている全ての子供たちに助言したい、隙を見て中身をオリーブオイルに差し替えろと。

もやしという選択


賃貸情報サイトを舐め回しながら地獄のような日帰り就職活動を続けた甲斐あってようやく東京行きが決まった訳だが、問題は地元に強制送還される可能性がまだ残されている点と(ヤバ過ぎる)、もやしGOである点と(ヤバ過ぎる)、デブである点(実はそんなにヤバいと思ってない)が問題として挙げられる。
マジ俺これユーチューバー卍つって動画作り出した奴が目の前に現れる現代版同級生ネズミ講勧誘事象を体験することで胸がいっぱいになる一般学生に出せる最大打点なのは間違いないという事にしておいて、住まいのお話に移らなければならない。


7万という価格帯は大前提として、木造ソテー騒音で包み焼きケツより小さい冷製トイレと4畳半ブランマンジェゴキブリ添え毎晩ゲーセン通いフラペチーノ駅から3分でアヘるか生きる為にもやしを食い続けるかの2択しか俺の頭ではあり得ない訳だが、摂取する養分が少なければ我慢するウンコも無いという事で満員電車1時間コースにも余裕が見え始め茶髪2ブロ好きなアーティストはあいみょんに転向し地獄に飛び込むには良い塩梅、詰まる所クッソ優雅な暮らしをしながら俺はもやしを食う事にした(?)。さよならエクバ2…さよならバンシィ・ノルン…お前修正来なかったね…


これほど時間と金をかけられたお坊ちゃまがいつ刺されるかもわからねぇ非正規雇用残業代込月給18万とかいう表の情報だけでもやべぇ業界にカチコミGOして肉体と精神と夢をブチ壊される予定な訳で(まあまだ就職決まってないけど)、このメンタルだと社会にしゃぶられまくった末に「去年までは目もくれなかった萌え豚御用達量産日常系アニメの温泉回ロングヘアー天然ポジのおっぱいに勝てなくて悔しがるツンデレキャラを演じる自分と同い年の新人声優にガチ恋してる俺」になる可能性があまりにも秘められ過ぎているのは恐れなければならない(まあまだ就職決まってないけど)。

それも就職した同世代の人間が揃いも揃って無味になっていたという恐怖があって、無味と言えど良くも悪くもあったとされない意味での無味なんだけど、今のところ彼等にとって脳内にあるのは期待と金とローカルな社会観のどれかといったところで、持ち合わせているのは旬を過ぎたゲームとクソ上司の話くらいなのにそれも他人事のような口調で話すから何の面白味もなくて俺は悲しかった。
何というかこの、頭の上に神が居るかも知れねぇんでみたいなと言うと違うけど、無難になったというよりかは自分自身っていう宇宙最強のはずの資本に付加価値を付けるインセンティブが一切働いてないみたいな感じで、脳が吸収を拒絶してるみたいな波動が、特に期待を寄せていた覚えはないけど恐らく会った奴全員に話してるであろう万民公開の自己顕示欲とこれ以上関係を持ちたくないと思った瞬間、昔はみんな面白い奴だったのにって感想が出てきて終了する。萌えアニメを棚に上げてはあんなの面白くねえわつってイキり散らかしてた仲の奴が今じゃ休日になろう小説読んで過ごしてたり、FGOのあの娘がシコいとか真顔で切り出して…なあ…どうしちまったんだよ…おい…目を覚ましてくれよ…お前人がイラスト一枚で勃起するのがどれだけ難しいか分かってんのか…?

まあ10人20人とお友達が居る訳ではないのでアレだけど、彼等の生活や苦労なんてこちとら知ったこっちゃねえけど、ここまで来ると次はお前だと言われてるようなものなのでいかに脳内お花畑な日々を送り続けられるかを課題にしなければならない。

                                          • -

っていうのが11月までの話で、引越し完了した。

クソ広いんだけど。


てか何なの?蒲田何なの?やたら家賃安いと思って調べたら治安ヤベェとかいうサジェスト出た時の俺の気持ちは何だったの?女の子のパンツ脱がしてファファファ!!!!!!つってキー上げた暗闇の雲みたいな男女の笑い声が響いてた新宿の方がよっぽどヤベーわ。涙拭く暇もなくズボン上げながら俺の真横通ってった時の顔は一生忘れねぇよ。


深夜なのにオラオラ言ってそうな容姿の兄ちゃん達がちゃんと喫煙所で煙草吸ってるって何なの?誰も見てないのに標識通りバイク降りて橋渡ってんの何なの?毎朝9時から30分間上の階の住人によって行われる自慰のあまりの激しさにアパート全域が震撼してんの何なの?何でみんな道幅3mも無ぇ交差点で赤信号見て律儀に足止めてんの?何でそんな清らかな心備わってんの?駅のド真ん前の交差点を毎日突っ切ってるけど横断歩道は渡ってないからセーフとか思ってた俺が間違ってたみたいになるじゃん。昨日5年振りくらいに歩行者用押ボタンとかいう文字列視界に入れたわ。

勝ちたい


オイオイオイオイ

オイオイオイオイオイオイオイオイオイオ

いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやおかしいおかしいおかしいおかしい



何で?



あれ?あんたこのゲーム何年やってんの?え?まあまあまあまあまあまあまあまあ待てや落ち着け落ち着け。まだ500戦もやってねーじゃねえか。いや寧ろこの低階級帯で勝てないってまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあマアァァァァァァァァァ・・・・・・・・マァァァァァァァァァァァァァァァァァァ・・・・・・・
落としたァー!
アー! 落としちゃった😫 ゲームの対戦(カード)落としちゃった!
どうか、しましたか?😀
ハイ✋ ゲームのカードを落としてす、しまったのですが😢
それ後でうんにゃ100円貰いに行きますから、地元まで来てください、ね?ちょっとも、大人しくしててくれる?😅


つら💢💢🍄🍜💥💥💥
つらたん。。。。もぅマヂ無理。。。。。。。
クシャトリヤとゎかれた。ちょぉ大好きだったのに。ゥチのことゎもぅどぉでもぃぃんだって。
どぉせゥチゎ格チャ撃たされてたってコト。 今全覚切った。ゥチ達は自らを器と規定している。宇宙に捨てられた者の想い、ジオンの理想を継ぐ者たちの宿願を受け止めるための器だ。



精神不安定安定。なんか勝てなくなった。勝ちたい。お前どうした?あの時何のために部活サボってたんだ?え?お前サッカーで勝てなかったからゲームで勝ちたかったんだよな?お前高校時代はどうだったんだ?やる事なさ過ぎて気が付いたらガンダムしてたよな?お前毎日欠かさずやってたよな?あの時使った時間はどこへ消えたんだ?なあ、どうした俺の左手・・・まともに後格出なくなったんだけど・・・

いやとにかく真面目に考えよう。いやおかしいんだよ。稼働1ヶ月は魔境だからしょうがない。正直一番面白いのが稼働初期、勝率は妥協するとして今月どんくらい上がった?4割まで落ちた。
????????????
オイオイオイオイオイ11月やり過ぎたから12月一切触らなかったしその間銅プレ帯も落ち着いたらしいし修正も入って強機体落ちて来たし今流行りのヴァーチェ君はレギルスのカモだしで今月から再開したら負ける要素無いのにこれだからおかしいよオイ
今日休みだから行くしかねえよ。待ってろエクバ2・・・ここまで意識して負けて来たらどうしよう・・・いや勉強しろクソッタレが間に合わ

めんどくさい話


男同士で結婚しようが犬や猫と結婚しようがエッフェル塔と結婚しようが、ハハッめでてえなくらいできっとみんな幸せになれる。まあ自分の子供が居るという妄想をしたとしてそいつが2次元のキャラと結婚するから式挙げる手伝いしてくれと言われたら気絶する自信はあるが、結局他人事だから、人間の尊厳に関わるからギャーギャー騒げるのはこの社会の話題として優秀過ぎるという嫌味はある。この流れでいくら男性だ女性だアジア人だと自分を差別の対象に追加できようが、その差別するバカをダシにして自分まで可哀想な存在に仕立て上げる時点で話は少しも進まない。というかそもそもこの手の話をする人間は話を進めるつもりがないと思う。そら差別発言した奴がブッ叩かれるのは当然だけど、これほど世間の無関係の人間同士で取り沙汰しても困るのは自分だけなんじゃないだろうか。俺は今その無関係の人間同士を取り沙汰してこうして困っている。


どいつもこいつも口を開けば差別差別、差別差別差別のオンパレードで頭がおかしくなる。インターネットなんてクソどうでもいい、おかしいのは社会問題を人間の目を見て発言する奴があまりに多いことである。企業も大人も同い年の奴らも何をアピールしたがるのか。いくらジャンルは絞っていようが差別という言葉の擁する不特定多数の名前も顔も知らん存在によく汚ねえ正義紛いの正論もどきを目の前の奴に余裕ぶっこいた顔で披露できると思う。知ったこっちゃねえよ。俺に何の用だよ。同意でもない、ただ意見する自分への称賛しか求めてないんじゃないか。そんなに好きかよこいつら。訳がわからない。みんな腹の底はそんなくだらねえ事で一々感情爆発させてんのか。小さい頃は誰もそんな話してくれなかった。話が1%でも分かる年齢になった俺が悪いか、俺はいつまでも逃げ続けるぞ。


優しいホームレス、清掃員の過去、水商売の敵、照準はほんの一部、ほんの一人でも耳に入れる人間にとっては完全なエリア、レッテルの塊と概念、何が逸話やクソが、ホームレスだろうが頭ブッ壊れた奴もいればまともな奴もいるに決まってんだろうが、ゲームに負けて台パンして叫んでる大学生も警察の前で小麦粉落として全力ダッシュする動画配信者も太鼓叩きながらナントカ反対ってクソでけえ声で歌ってるジジイも毎日夕方5時に人の庭で犬の糞させるババアも、俺の中では等しく人間として終わってんだよ。こんな奴らを見聞きする度に嫌になる頭の中が、これが差別野郎ってんならきっとそうなんだろうが、いつだって社会的地位はそいつの人間性そのもので各々から決定され、決定するべきなんじゃないか。世間の風潮やら評価なんかで判断したつもりで腫れ物に触れるような態度見せたらその時点でそいつは人間として終わりだと思う。こちとらホモでもレズでも頭スッカラカンにして娯楽や人間に触れてるのに何の事情か突然社会問題ブチ込まれてもヒエヒエのヒエである。

俺が嫌いなのは男でも女でもカマでもなく、ギャラルホルンを名乗る身ならばこのモビルスーツがどのような意味を持つかは理解できるだろうと言わんばかりのドヤ顔で嘔吐物を披露する中正を装った自己愛我欲迷妄不躾野郎に間違いない。
たぶん社会の底辺っていうのは経済的にでも文化的にでもなく、ただ努力のしてこなかった人間の集まる場所、俺が今いる場所のことなんだと割と本気で思う。こいつらはもう大人になった気分でいる。酒飲んでチ◯ポ振り回す程度のものは最早ただの通過儀礼、自分が大人として対等に大人に意見すべきであると、今この瞬間子供として人生得しまくってる癖に思想だけ大人に加わりたいと、そういった意味で社会の底辺に足がついているんだと、ある程度の受動的な心理から危機管理の自意識が逆に危険な方向へ走らせてしまうおかしさが、現実に並行しながら追いかけ続ける利己主義の、認知的不協和の滑稽さをより加速させているんじゃないかと、根付いた規範の中心に自分が居るべきだという欲に気付かずに自分が良い人だと思い込んでしまうところは誰にでもあるんじゃないかとぶっちゃけ感じる。


大人だってそうだ。身体が小さい頃はそいつがどんな経歴でどんな性格だろうが、自分より図体がデカいだけで大人はみんな偉い人間に見えていた。当然違う。どいつもこいつも悟ったような口を、大人になってから大人の気持ちが分かるようになったじゃねえよ。子供の頃の感情を忘れてるだけだろうが。でも普段家族は言わないような事を選んではペラペラ喋る大人が、内容はどうであれ自分にはとてつもなく有難いのは間違いない。そこには教えるという気持ちがあるかどうかの違いがあるが大人は確かにいい事は言う。でもツイッターで"いい言葉"をひたすらリツイートするような大人は嫌だ。得体の知れない奴の"いい言葉"っていうものをただ傍受していつか身動きが取れなくなるのを恐れるべきだ。この人達は目の前に現れた人間の、人間性ではなく社会性そのものに興味があるのではないか。大人だから大人になる為だからと自動的に先進的に精神が形成されていくと勘違いしてるのではないか。
この人たちはみな大人になってからインターネットというコンテンツに触れている。現実より緊張感がないという意味で脱却したところにインターネットコミュニティがあったとしてブッ飛んだコンテンツや非日常、才能そのものというより人間の適当な無関心の本音が共感を産みたがらない場所としての魅力、瓶に白紙の手紙を詰めて何処かへすっ飛ばした空っぽの理が自分の字で書かれていつの間にか手元に戻ってきている馬鹿馬鹿しさが語る人格の曖昧さが面白いと感じることはかなりある。
しかしここで常に生み出されようとする観念は強者と弱者という単純なもので、どんな分野内でも地位が確立されている自覚があるという現実の強い感情を持つ人間が、これの為にひとつの手段としてインターネットを利用しているのではないかと思った。
良心的な部分で言うと、相手に理解して貰いたいという欲の証明が、他人の発した言葉が正しいかどうかではなく自分の信じた言葉が正しいかどうかという攻撃的な側面に変貌を遂げて、まさにその時、自分ひとりが「ある集団」の中心だと錯覚した上で総意と自惚れてしまう結局の既存カテゴリーのハマり具合がすれ違って絶対的な存在を守るかダシに使うかのすり替わりがある。これが外部からは見えにくいせいでその者の言葉を真に受けてしまうし不快に思った者が同じ経路を辿りやすいのはあると感じる。匿名の文字という対等なツールに憧れたことを自覚せずに、自己を対等な位置に置いて発言する裏返しで他人を蔑み易いという事実は割とあるんじゃないかと思う。
正論、正論に対する正論、どちらが屁理屈かなんてどうでもいいが、その中でなお輝き続ける正論という救いあるいは暴力は、社会のルールとして人間の中にあるべきだという共通認識が強いもの、良くも悪くも正しく量れない何かが宿るとして、俺には学がないから証明のしようがないが、きっと物事には端っこがあると信じている。人間の思想も永遠に続いて受け継がれている訳がないだろうと勝手に思っている。どんな思想であろうが、それを中心に風潮というものが作られていくんじゃないか。


話が逸れまくったが、この先大人とかいう曖昧過ぎる枠に取り込まれたくない。男か女か、国か肌の色かで差別用語が生まれてる世の中で大人と子供という言葉には差別的な要素が一切含まれていないのはあまりにも不思議で、寧ろありがたい話でもある。

一瞬でも抱いた妬みの感情から解放されずに、どこか別の場所で自分ひとりだけで満足感を得てしまった時、何も気付かないまま斜めにおかしな人間になっていくことを恐れなければ、一定の期間で出し続けた満足感の集合体が強制的にプロセスの相対性を鑑みた、自己存在意義であると他人から思われるよう付け上がった時に、個性だ多様性だと手にしたばかりの感情を信じきってしまう馬鹿に気付くことはない。
自分の利用したものに呑まれ過ぎた人間というか、わかりやすい話オタクになる以前と以後の同じ女の子への反応の違いと同じようなもので、いわゆるそれが良識かどうかは置いといてスタンダードな世間の印象という建前を履き違えたら、常に付きまとう後ろめたさの方向がどんどん変わってしまうんじゃないか。

残念な事に今年で20になってしまうが、永遠に子供のままでいたい、よくある大人として子供心を忘れないでいたいとかいう加減のいいものではなく、これからも生意気で身勝手でミルク臭い子供でいようと思う。でも頼むから親の介護受けるって意味で子供のままでいないでくれ。 2年後実家でゲーム三昧しながら親の脛しゃぶってたらいい大人が何してんだっていうテンプレ投げ付けながら殺しに行くから。

憎しみ


単純に不快という感情が上滑りして、度々ひっくり返ったモラルと自己保身のアンバランス係数が金玉の中で製造され続けていると思うと無心に何かを破壊したくなる。恐らくこれが現時点での人生で一番伝えたかった事だと思う。


何も変わってない、万遍ない程に身体に快感を建前上でお送りする破壊妄想は、いつもはその予兆だった。子供の特権、ただただ自分が怒り狂う原因を心待ちにする悪趣味な時間、完璧であるべき頭の中を覗いてもらう絶好の機会、そんなものを孕みに孕んだ腹の底は凍りっぱなしな純血混血混血純血のシークエンスに水を差すのは「まともな感性」という社会の共通認識、あたり前田のクラッカーじゃクソボケチンカスアロエヨーグルト。シバキ倒すぞ。ふざけてる訳ねえだろ。どいつもこいつもスッケスケの自己愛にまみれた頭未就学児が幼稚園児扱いされているのを真横で見て「勉強しておけばよかった」とかいう無意味無価値無安打無農薬で創造性のその字もない言語のような何かが脳内を猛スピードで駆け抜けた挙句の破壊衝動とまるで意味不明因果不明の幼児退行、俺も同類だった。まともだと思っていた常識とは別の場所にあった感性が完全に死んだ。

感性とかいう2文字で俺は大衆に逃げているつもりは無い。自分に見せつけたい幼稚な野心の中でやっと本性が目立った所に出し抜かれて、ひとりを指してまるでそれが人間の全てかのように語るループに見せかけたトリックについて、ごく自然に物語として呑んでしまう時間の流れの不都合さがあるからだと、いつの間にか世界中の人間は自分にとって都合のいい存在であるかと勘違いしたのに気が付いて、こんな前提で事を進めた訳でもないけど本当に少しずつこういう思考になっていったというバカみたいな話が信じられてしまう今の自分のセンスの無さが何もかもに出ていると何をやっていてもそう感じる。


1000円の支払いで999円しか無かったら1円すら支払えないのと同じで常識というのはそのうちひとつだけでも破られた時点で常識がないという認識というかルールがあるのは素晴らしい事だと思う。たかが他人の評価なんて気分でコロコロ変わるのは当然の話であったとして、そういった単純な感情に対して理屈で畳み掛けたがるクソ下らない話を何で真面目に聞いていたんだろうか。何でどこに行っても俺に安心させるような話を延々とするのか、まるでこっちからわざわざカウンセリング受けに行ってるみたいで気持ちが悪い。俺は宗教なんかに興味ねえんだよ。自分の理論でそれがまるで社会のスタンダードなんだとマネキンに話すのが得意な奴らは全員まとめて脳味噌ブチ撒けろ。マイノリティーの絶妙な魅力の線引きを破って蔓延した偶然というのはいちいち目新しいだけでクソ面白くもないから時代とか人間とかいうスケールのデカいものを持ち込まないで欲しい。


どうしてダメと言った人間に対して「何で?」と返せるか全く理解が出来ない。たかが様子見の言動を頼りに理解の範疇で物を量ろうとする精神は失礼だと感じないのか疑問に思う。他人の事が気になってしょうがないんだろうとでも言えば何か飛んできそうな勢いだが、もし自分が納得する答えが欲しいだけと言うならまるで俺を人間扱いしていない。目の前にいる奴が人間だと思ってない。俺の性格を考慮しろとか俺と同じ思考回路で接しろとかそんなバカな話じゃない。自分の判断で他人の評価を下すのは当然の事であっても理解の前に納得をしないで欲しい。こんな下手したら相手にとっちゃ何も考えてない質問ひとつに対して怒り狂えるのは異常かも知れんが俺は気に食わない。嫌だよ本当にこの「俺は」気に食わないっていう感情。



















余談:人間としての終わり


学校に残っていると偶に愚痴祭りが開かれる。
そこに教師も加わっているもんだからタチが悪いと言いたいところだが、正直しょうがない部分もある。普段から面倒事は起こしたくないオーラが漂っている教師にとってアホみたいな金払って入ってくる生徒もとい客に穏便に済ませて貰う方法はたったひとつ、否定をしない事である。
こんなもので穏便に済むものかと思うかも知れないが、実際穏便には済まされない。何が穏便なのかって、生徒間の問題に教師が介入しない事について穏便なのである。教師がその問題を解決に走らせようともすれば嫌に事が大きくなる場合がある。問題事を起こす生徒に問題があるんだから勝手にしろというスタンスはこの場所では最適解なんだろう。それのせいか学校に来なくなる生徒が多い。

教師云々は置いといて、そもそも性格に問題のある奴があまりにも多い。揉め事が多過ぎる。と他人事のように説明したが俺もその面倒の内のひとりである。ハナクソレベルのくだらねえ理由で面倒を起こされ周りに拡散され、4月から半年しか経ってないのに同じような喧嘩、喧嘩とか大層に呼びたくないが、これが2度もあった。下らなさ過ぎてブログに書く気すら起きなかった。よく感情を抑え切っているなと自分でも関心する。ブチ殺すぞゴミ共がと思いながら生活している。俺は人間として終わってると思う。

ほんの少しでも俺に可能性を見出してくれた人、俺を良い人だと思ってくれていた人には本当に申し訳ないが、俺は正真正銘のゴミと化したと思う。さっき「面倒を起こされ」と書いたように自分の言動全てに、自分に落ち度は無いと意識的に思ってきた事に気が付いて今こう感じている。話す内容から読点の位置まで何もかもが滑稽だと思う。その都度面白いと思って書いているブログも一週間経ってみれば驚く程に面白くない。我欲と自己愛が駄々漏れの気持ち悪い文章で見る度に寒気がする。果たしてこの記事はどうなんだろうか。

他人に舐め腐った態度で接している連中に関して、つまらない存在なんだと、人間としてこうはなってはならないと感じていて、恐らくその感情は正しい。だが自分はどうなのかと言うと俺には分からないが、そいつらとは違った形で同類なんだと賢い奴は察知していると思う。そういった賢い奴から順に俺から離れていくんだと思うと、ひどく悲しい気持ちになる。


この数ヶ月、気が狂ったように追っかけ回してきた俺の可能性や信用について、何ひとつ間に合わなかった。何ひとつ。全部やったら全部間に合わなかった。
何度無意味に東京に出ただろうか。理由を見つけては逃げるように都会に行った筈が、自分より能力のある人間を見つけては突っ立ったまま嫉妬するだけして、人混みに酔っ払いながら、目の前を歩いている人間のどれだけが俺より有能なんだろうかと思った途端逃げるようにして地元に帰る。それを何度も何度も繰り返す。どの場所からも逃げ続けている。一瞬で一日が終わっている。

チョコレートに舐められる


何というか、高級品、それを聞いただけで味わおうと身構えるものだけど、我々一般庶民からすると実際「おいしい」はもとより理屈ではないという認知があると思う、色々すっ飛ばして最終的に。


話は今年1月末から2月後半にかけて催された西武のバレンタインイベントまで遡る。市内ではお馴染みのユアーズホテル、エスポワールをはじめとする洋菓子店からデジレー、カカオサンパカ等の国外ブランドまで多数の出店があり、是非この機会にと沢山の人が押し寄せた。

何を思ったかこれに狂ったように通い詰め、とことん一人で贅沢してやろうとクッソ高いチョコを食いまくって財布をマッハさせていた。流石にどう考えてもイカれてた。
普段チョコレートという食べ物に馴染みはあれど特段深い思い入れもないというこの肥えない舌を唸らせたのが、ジャン・フィリップ・ダルシーのガナッシュ。いやこの表現じゃ美味かったかどうか分かんねえな。

このイベントで一番最初に買ったチョコでもある。クソ小さいし食い方なんか知らんからひと口で豪快に行った後は「ふ〜〜〜ん…………これが高級チョコ……………(思考停止)」とついてきた冊子の解説読みながら何とも普遍的な回答を出していた。美味しいかと聞かれれば美味しいんだけど、どう美味しいか解らなくて非常に困っていたらいつの間にか全部食ってた。この時はその程度の感想だった。


国内のものでは、べルアメール、神戸風月堂六花亭、ロイズのチョコを購入した。神戸風月堂とロイズ以外は取り寄せた。どれも奇抜で発想に関しては足り過ぎてるくらいなんだけども、普段食べるものとは一線を画した味わいなんだけども、何だか納得がいかなかった。もうちょっと調べ上げれば良かったなと思う。機会があれば日本有数のチョコを堪能したい。意外と言うと失礼極まりないが西洋菓子倶楽部と先のエスポワールの方がよっぽど美味しくて、近所にあるもんだからと、今まで変に意識した事はまず無かったから余計に驚いた。


海外のものでも特にイースクは印象的だった。マンゴーユズ、果実達がホワイトチョコで包まれているということで甘ったるさを想像させるけど全くそんな事は無い。ラ フェヴァリにもあったけど、生姜を使ったチョコも美味かった。何というかそのまんまの味がする…うわ今めっちゃ頭悪いぞ。そのまんまの味と言うとアレだけど、香り、基本的に香りだけなんだけど生の味がしてビックリするくらいチョコと合う。甘さが絶妙なラインまで抑えてあってとにかく口にしやすかった。
甘さ控えめであればとりあえず喜ばれる印象(俺も喜ぶ)だけど、ゴディバなんかは甘々な感じで、ダークですら口にすれば「うお甘っ」と顔をひきつらせかけるが、途端スーっと溶けてほんのり苦味が残る。嫌味がない。


あそこまでヤケクソにチョコに手を伸ばすのはあれで最後になるだろうが、今でもその味は鮮明に記憶されている。バイトの休憩時間に飛び出して、贅沢できるのは今だけだろうと勝手に思いながらニッコニコでビニール袋を引っ提げて持ち場に戻るその姿は、メチャクソ気持ち悪かったであろう…
それでも一番強く印象に残るのは、最初に食べたダルシー。当初はこんな高い金を出して食べるものなのかという最悪の疑問が付きまとっていたが、次へ次へと手を出す度に、あれがどれだけ美味かったのかを思い知らされた。ものすごく不思議だった。何故最後にもう一度買わなかったのか…





実はここからが本題である。
今日、一体どんな巡り合わせなのかゴディバのチョコを食べる機会が設けられた。ここまでは良かった。ひと粒500円だの何だの説明されながら食ったトリュフ、ピスタチオのチョコ、紅茶のチョコ、キャラメルのチョコ…ビックリするくらい美味しくなかった。そら当然美味いもんだと思って口にすると、えっ…あれ?としか浮かばなくて怖くなってくる。
水あめをそのままブチ込んだようなえげつない甘さがいつまでもまとわりついて正直一周しただけでもうキツかった。こんなん市販の板チョコの方がよっぽど美味しいわクソが。

いや本当、何が何だか分からないのでこんな記事を書いてるんだけども、もしかして俺の舌がおかしくなったんですかね?俺、死ぬんか…?

おえかき

ペンタブ買っちゃった。

というのも本命はお絵描きではなく同梱されているZBrush Coreたるデジタルスカルプトソフト利用の為で、こいつがとんでもねえ代物である。が、わざわざ今回これを置いといて(まともに使えるようになったら記事書く)お絵描きする理由については単に「絵が描けないとお話にならない」ことに気が付いてしまったからで、これを機に精進しまくりたいところである。

思ったよりデカくて良かった

業界目指してんならある程度はいけるんでしょとなりそうだけどマジで小学生と張れるレベルの画力なのでがんばります。はい。というか言われたのが原因でがんばってます。

フォトショでいいかなと思ったけどDL版が5000円だったCLIP STUDIO PAINT PROも買って準備万端、さあ行こうぜ。



板タブということで机上のモニタ見ながら書いてみるものの距離感が全く掴めなくて鼻水垂れる。

うわめっちゃそれっぽい、それっぽくない?

なお清書、悲しいなぁ…

ただ紙に描くよりとにかく早い早い早い、ピンポイントで消せるわ戻せるわで修正が楽なのに加えてレイヤー切り替えてお構いなくアタリを足せるのが精神衛生上よろしくて非常に良い。

アゴだけやたら濃い線になっているように綺麗に描こうと手に力が入るとこうなっちゃって、全体的に筆圧の調整が思ったより難しい。そんでゆっくり描くとどうしてもガッタガタになっちゃうので手ブレ補正なるものを使いたいがこれ一生紙に戻れなくなりそう。



正直これでも最初よりはマシになったもので、1〜3日目とかこんなんだった。


まあこうなるよねっていう…


5日目からはちょっとずつマシになってきた感はある。



同人誌とかの表紙をガン見しながら描いた三次創作物をネットの海に放り投げてる訳だけどこれ大丈夫だよね?お金とってないから大丈夫だよね。


ちなみにこの上手い感あるマヤちゃんはガッツリその手の先生にアドバイス頂いて描いたもので、定規でキッチリ測って輪郭取った。

果たしてこれは「絵を描く」と言っていいものかと思ったけどクッソ大切らしい、虚無になりながら毎日続けたら自然に身体のラインが描けるようになるとのこと。やっぱ指導者が隣にいると安心感が違えわ…


そんなこんなでCGほったらかしながら最近はめっきりこんな感じで時間があと2,3年は追加で欲しい。そろそろ人間のモデリングに手を掛けないと手遅れになりそう。
フォトショ、イラレ、CG、web、絵、その他もろもろ検定と、ダラダラ過ごしてたら明らかにどれも中途半端に終わってしまいそうなので流石にアカン。入学してから2ヶ月間ほぼ何もしなかったのが痛すぎる。それと写真が思ってたより重要だったみたいでこれも詳しく触りたい。やる事多過ぎてダイエットとか言ってる場合じゃなかった。

勿論違和感のない絵を目指したいのはあるんだけどそれ以上に人より速く描けることを目標にやっていきたい。

話を聞いてはならない人たち


教団の信者たちは意見を求めてはいなかった。
普通だけど普通じゃない。幼い頃の価値観は親の存在そのものであるという常識が際立って見えていたのは、文字通り別世界に住んでいるような雰囲気が漂っていたからで、居場所があるという信心よりも彼らには社会からある程度隔離されている自覚と常識という類において逸脱した存在ではないという謙虚さがその立場の必然性を感じさせていたからだろう。

もしそうでなくとも誰もが思うのは彼ら中心で回る世界は狭すぎるということである。ルールとはまた別の法律のようなものがもうひとつ形成される中で矛盾とギャップの水平区間に介入することなく生きなければならないのは、閉鎖的になることを初めから推奨されているようであまりに不憫に思えたが、彼が宣教師になりたいという素志を抱いていたことを知った日からは何も言えなくなっていた。

一般世間との距離を垣間見ながら受け入れるシーンにおいては客観的に見てしまえばこちら側としては都合が良く、表では周りに合わせようがある程度は許容したいと本心で感じている人間もいるだろう。生活の中で宗教に身を寄せる人たち対してほぼ無条件で好意的な感情を持つようになったプロットが完成されつつあった前に、大局的に社会不適合者の烙印を押されるプロセスが重要だと何の感慨もなく言い切ったある「同類」の存在がこれを肯定できなくしていた。


社会への反抗心から自らが宗教化してしまった人物の最期はあっけなかったが、彼には超然とした精神が常に備わっていた。
彼の行動の因果はいくら考えたとしても理解の外であったと前置きしておくが宗教を利用して宗教を作り上げて飯を食っていたことくらいは分かる、行動が何であろうと経験の説得力は時代そのものであり頭のネジがしっかり留まっている確信があったからこその人間としての認識、信頼の理由、他人と比べられるだけの正当性があった。正しく世間を知らない子供に放つ言葉には直感で傍受させる力が必ずあった。

彼は、社会が間違っていると突き放しながら自らが社会不適合者であることを自覚し、国も世代も超えた流れ者と共に暮らしていた。ただ簡潔に反抗心の裏返しではないとは感じてもそれ以上は分からない。いかなる童心を利用するなれば憎むべき相手ではあるものの、理想を掲げる熱い心は「教団の信者たち」とは一線を画すものだと感じてしまった。

ただ、セーフスペースから一歩踏み出してみればどこだろうがそこにいる人類はほぼ敵だということを彼は知っていたのだろうか。ほんのくだらない理由と少しの暴力で彼の積み上げてきた量り知れない努力と知識と小さな社会空間は一瞬でこの世から消えた。その報告と言い訳を電話越しに話していた仲間の会話は聞こえなかったが、その様子はいつまでも滑稽だった。彼らは最初から対話は必要としていなかった。


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偏見は持って欲しくないと、些細な選択がある度に諭されるのは悔しい。その言葉を発した後に返答がないことについて価値を有した瞬間の自信が秘められているだろうとの嫌な確信はあるが、それでも脳内でそいつの人間性を否定してやることしか本能的に有り得なくなっていたのは、何を優先すればいいか分からなくなったからというものがある。単に言葉の重みを感じるか、存在そのものに説得力があるか、人間性を考慮するか、気分の巡り合わせでその場の思考がどうなろうが後で簡単に順序が逆転する。

似てようが似てなかろうが人生がどうにかなった事実を明確に自覚していたとして、何故どいつもこいつも主観性しかない、量りようのない程度で勝負したがるのか。イジメられた、虐待を受けた、家族が居ない…彼らが想像の限界を超える程に非日常を地で往く生活を送っていたと思うとあれこれと考慮しなければならないのは至極当然のことだが、それを盾に張り合った瞬間そいつは最悪の人間になる。自分が何をしてもいいと本気で思っている人間同士が、互いに嫌っている。ありもしない理解者を探し回り、たった一つの言葉やほんの少しの行動を時間が経つに連れ徐々に神格化していく人間の押し付ける価値観は常識から離れ過ぎている。

彼らも、信者も助言は必要としていない。だが信者には共通思想を掲げた仲間がいる。それが嘘でも幸せに暮らせる家族がいる。辛い過去があったからと簡単に放免できていいのかとかいうクッソくだらねえ疑問が常に付きまとうのは、「彼には何かが必要だった」と言ってしまえば全て終わりなのを分かっているからだ。

退化


結局、この人生の何がいけなかったのか。根本にある身の上の懸念がある訳でもなく、ただ当然のように今傍受している情報は全て結果である。社会の流れに何としても乗るために競走を経て就職進学を決めている世界があるというのにこちとら金さえ払えば入れる専門学校、それは悔しいというよりも疑問しか残らず、ではお前の夢はどうなんだってこんなもの「普通のサラリーマン」になりたくないから目指してるだけである。他人からだって同じようなもので、クソガキの頃一緒して毎日のように遊んでいた友人が、6年振りに会えば一分一秒の濃密さを放つだけの存在に成り代わっていた。何が起こるか分からない、何をさせるにしても不安しかない親の目には時間分の結果が付きまとっている。
親には感謝している。家に住まわせてくれること、金を出してくれること、ただお前は今の境遇に感謝しろと突き放されたくない脈絡上の嫌なプライドがある。後にも先にもこの話には正論がブッ刺さるが、神にも擬せる空想上の人間にフォーマルな意見は頂きたくはない。

結局、何が悪かったのか。

この3年間で人間の構築ができたものか。努力という言葉とは無縁のまま今日を迎えるというのは、圧倒的な説得力と訴求力の不足に繋がる。声を聞くだけでうんざりする程他の奴とは違うと主張したがる大層な人間はいくらでもいる。それを分かっていても、否定も肯定も認められるものとして説明する矛盾は道理として捧げられることを信じている。ある程度無難な人間にならなければいけないのは当然のことである。

抱えた夢を否定する余裕はないというよりも、諦めのように必然性を感じてきていることについて、内的なものとして認められている輪郭は一般論として変化することは無い。何度死んで生き返ろうと勉強をやるつもりは更々ないが、授業中は寝て部活はダラダラと向上心もクソもなくやり過ごした毎日はもう少しマシになったのではないかとは思ったことはある。


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学校を辞めたという噂を聞いて連絡してくれた友人達から慰めの言葉を貰った後、安心感と自己暗示に包まれながら通信制に入学したがそれを臆面もせず話すようになっていた。保身の為でも心配されたくなかったからでもなくこの過程そのもののステータスを貴重に思っていたという頭だったから以外に何の言葉もない。

しかし入学して半年、友人と久々に話すタイミングで前述の目論み通りにと回りくどい説明を乗せて披露すれば、そんなもの無職と同然であろうと直球で言われ、腹が煮え滾った。社会的にゴミベラの位まで落ちていたことを自覚したくなかった。人生で初めて明確に物事の決断を下したのが退学の瞬間だったと思い込んだ前後はヤケクソだったかもしれないが、逆にそれが自信となっていた部分は少しぐらいはあった。クソみてえな気分で他人に諂う必要はないと考えるだけで気が楽だった。処理上の感情と状況に満足していた筈が普遍的価値からの解放が常識の規範から外れる前提である当然のことを思い出されて電撃が走りまくった。気に入らない事があればすぐブチ切れて喚き暴言を吐き対抗意識しか芽生えなかった自分にとって、誰も何も言ってくれなくなったこのタイミングでのこの言葉はあまりにも気持ちが良かった。

一変したと言うには仰々しいが人間としての及第点へ距離を詰めようと意識はしていた。良く言えば自由だがその分迷惑のかかる行動に呆れられることは多かった。圧倒的に一人でいる時間が長くなってからは単純だった。学校はどうだ、学校はどうだと友人に聞きながらその話に嫌気が差していた。


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やるからには倦怠感のみで構成される傍受サイクルはブッ壊さなければならない。もうここまで落ちぶれるとやるしかない。ようやく個性やら特技やらを身につけるために早起きするのだからマジでやらなきゃ終わる。後悔もクソもない人生だが、この2年間をすっぽかしたら確実に破滅する。

他人はどうだとばかり予備動作を重ね、感情に起因するべきものを探っていた毎日は一瞬で消え去ってほしい。たかが人生の猶予を伸ばすと考えていたいつしかの自分では気合が足りなさ過ぎた。
初速は最底辺だが時間の使い方を弁えることができればいくらでも追いつき、追い抜くことはできる。せめて自分の才能に絶望するまでは猛スピードで小便ひっかけ回しながら走り抜けたい。

それでも正直、実感が無い。スイッチが入る瞬間を今か今かと待ち望んでアホ面する余裕は無い筈なのに、無意味にこの文章を書き続けている。この3年間何を求めたか、強制の2文字しかなかった。


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などと1ヶ月前は考えていたが、何もかも遅かったことにやっと今気が付いた。来年の今頃には就活を通り越し就職が決まっている。ここでダメなようなら全くの無関係の一般企業にこんにちはしなければならないのは当たり前、少なくともこの学校のこの学科では9割以上がそれを強いられる。2年生は現時点で同コースに2人しか残っていないことに加え、希望職に就いたという話は聞けなかった。

大方は分かっていた、わざわざ地元から学校を選んで楽をしたかった分の苦労はしなければならないのは当然だった。張り合いのない人間ばかりが集まってダラダラと教師の言う事をなぞっているだけの毎日に何の誇りもない。

専門学校の1日は短い。必要最低限のカリキュラムの中で気が付けば1ヶ月が経ち、身に付けたスキルの実感だけでモチベーションを維持しようとはするが、日常生活の中で圧倒的に無駄な時間を消費している自覚は痛いほど滲みてきている。自覚のない前提を説明する余裕もポリシーも嘘もなければ何がどうなっても言い訳は出来ない。


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単に高校生活を普通に送っていたとして、今のような立派な人間になったつもりでいる執着心は得ていなかったかもしれないが、どうせ同じようなものになっていたと想像するのは別におかしくない。時間が必要だったと確信的な結論を吐きまくったが、後退した分の時間を取り戻しただけの進歩だということを知らなかったからいつまでも幼稚なことについてずっと疑問を持っていた。

馬鹿な人間なのは間違いない。他人からの扱いがどこへ行っても同じようなものな時点で察してはいた。ただ、どれだけ考えたとしてもここに残る時点で他人と何ら変わらないのは一番理解しなければならなかった。県や国の外に出る選択について考える時間は十分あったのにわざわざここを選んだのは馬鹿だったと今更感じている。
毎日愚痴と自慢を聞くだけのクッソつまらねえ人間関係も含めて「倦怠感のみで構成される傍受サイクル」は当分解決できそうにないが、少なくともそういった奴らを見下す為に奮起になる自分も同類だった。

両刀論法


幼稚園児や小学生が当たり前のようにインターネットでの出来事を話題にしていることに親近感、あるいは妬みや羨望を強く感じるものだが、これらは大人もいつしか同じことを思ったかもしれなくて、同じ社会に生きる者として自分との同一性という期待をかけてきていることは先の「インターネットが生まれた頃にはもうあった人間」に親近感を覚えることと同じで、たった10年違うだけの人間にかける想いはあっても、それを感受する側は煙たいとはね除けてしまうことを自分が証明してしまった。
大人からの褒め言葉は人間性の肯定にはならない、寧ろ「嫌な出来事も含めて」もっと経験したかったという大人が自らへの環境を否定しているものだと解釈した時に、とても褒められているものではないと感じたなら、時代として簡潔に答えが出た時にも、抱いた感情は途切れないという非可逆的なものはこの先信じたいものではある。
それでも、「やりたい事があるなんて羨ましい」と言われた時には何て言えばいいか分からなかった。30代、40代の人が自分という10代の人間のどの部分とどう照らし合わせて喋っているかも分からないが、この時点で何か潰されそうになったのは、こんな落ちこぼれの人間を見て自分への後ろめたさを感じないで欲しいと腹を立てたからである。どうも、こんな奴でもやり通す意思があるのかと過去の自分の落ち度を責めているように見えて異様に悲しくなる。
「大人が」大人や子供を定義付けるのは糞を撒き散らす程この世で一番嫌いだけど、わざわざ感情を取りに来る価値が良くも悪くもあるんなら、提示できているという証明が自然的にされている事になる。自分の理解が及ばない事柄についてそれを可能性と呼ぶか否定の意思を示すかなら大いに賛同したいが、都合の良いものを言葉で説明せずに嬉しく思うなら疑問の上で破壊したい。

このブログでも散々書いてきたけど自己欺瞞を自覚しながら正当性を確保しようとする自分とその過程における矛盾が嫌いな訳はなく、「一般的に」違うんだよ、逆でもそう、たかが個人から通俗的なものを感じるなというどこからかの言葉を常に警告されることに嫌気がさしているから、個人の尊重が対置された時に愛想つかしてケツを振る。

これを読んで「被害妄想」「楽観的になれよ」と思われたとして、そんなもの何の指摘にも慰めにもならない。個人の前に社会的地位として裁かれた重さが認識の中に存在するなら、抽象的な規範と同時に上から目線で定義付けられる共通意識はブッ壊していきたいと思う。



余談

あっという間に一週間が経ち、また2人だけの生活に戻った。
勿論手厚く歓迎しようという気持ち以外有り得なかったが、この家に他人を住まわせるという行為はどうも落ち着かなく、人間として保守的にものを所有するという欲を掻き立たせ無意識の内に高圧的な態度をとっていたせいか、何か一緒にやる時に露骨に嫌な顔をされていたが、最後の2,3日はお互いストレスフリーに生活出来ていたと思う。一週間という長くも短くもない期間に救われた。
無計画な父親に腹を立てまくっていたのでまあ邪魔な存在でしかなかっただろうけど、これも含め正直反省する点があり過ぎる。呼応とか抜かしたが考える暇も無かった。