感じろ


"よい"と自分の感性で算出された、大して根拠のないであろう評論は、結果的に万物を汚しているのだろうか?でも恐らく評論を論として消化する余裕は持たれずに正解か不正解で決定されるこの謎を知るにはどうすれば良いのだろうか。何故強くて何故弱いのか、表現の100%は技術であると認識してしまえば理論化されている前提になるが、俺が知りたいのは理論が今この時代に偶然その形を保っているか真理かの判断材料で、これを人間に依存するのは何かキモいと思った。


それとは別の話、感受性というものは確かに経過する時間と反比例に薄れていくが、それでも人間の脳は決して衰えないようにも思えるくらい、子供の頃より深くなっているという発見があった。赤ん坊も俺も求めているものは快楽で、そして快楽にはいくつも種類がある。人間の脳ってどうなってんだろう?