補助輪パーフェクトパック


俺は期待していた。定期的に憎悪と寛解を繰り返す均衡が、何を以ってしても終わることがないだろうと、しかしもう今後、心の底から満足する事も、本気で怒る事もなく、潰しても潰しても出てくる問題にせわしなく蓋をしている無意識を、5年前の俺が見たらどう思うだろうか?あの頃の俺は、ただずっと・・・パセリを植林していた。


記録1

気が付けば呼吸は整い、関節が滑らかになり、空を見上げれば雲が綿毛のように分裂し、鴨が魚を獲る時の水飛沫が連続した空間の弧の曲面に次々と反射して、30m先の出来事なのに、頭に響いた。

フィルムの中にいる様だった。ポケットに手を突っ込んで触れた服の繊維、地面に手を着けて押し潰された雑草の反発が、寧ろ現実から遠ざけているのではなく、何処かで会っていたかも知れないもう一つの世界が、そんな感触が名状し難い形で何か意味を持って伝えている気がした。昔の事はあまり思い出せないが、まるで幼少に帰ったような、ずっと欲しかったあの頃の感覚が手に入って・・・気が付けば、陽が、空を真っ二つに分けながら、遠くに沈みかけていた。



しかし当たり前の話、やはり帰らなければいけない。帰ろうと思えば帰れるし帰ろうと思わなければ帰れないが、「今なら行けるんじゃないか?」と思えば直ぐにまた引き戻されて、やっと立ち上がった時思った。高低差が分からない。

街灯がやけにビカビカ光って気持ちが悪く、誰かとすれ違おうものなら身体がいちいち緊張する。ただ早く家に帰りたくて早歩きで道の端っこをなぞっていると、ふと思った、帰り道が分からない。いつもの散歩コースではあるが、同じ様な間隔で道が横に分かれていて同じ様な標識が並んでいる。
かと思えば、今どこにいるのか正確に分かるようになり、やはり急に別世界に飛ばされるので、分かっている時間の内にどこの角をどう曲がるか言葉だけで記憶させる作業をして、これを繰り返した。

何度目かの交差点に差し掛かった時、地面と平行に配置された2つの光が右手からスピードに乗って自分の方へ近付いて来るのが見えた。自分がそのまま真っ直ぐに歩いたとして、果たして危険かどうか分からなかった。タイミングの問題で自分が交差点に出るより先にそれが目の前を通り過ぎたので、運良く何も起こらなかった。
危険とそのサインについては、信号でも同様の現象が起きた。ただこの、四角いのが赤く光っている事象を"赤信号"という文字列のものだという事は何となく分かって、赤信号、赤信号・・・と唱えていると、「そうか、"赤信号"は渡っちゃいけないもんねぇ」と、正直目の前にあるヘンテコリンなオブジェクトは何なのか理解出来なかったが、"赤信号"なので渡らなかった。


記録2

これは意思決定に関心があるものではないが、いずれかの世界線における維持バイアスとの交信で、理想に気を遣ったあくまでパターンの一つであるという事を理解して欲しい。希少性があるというそれだけの理由で今も生きている三次情報に過ぎない。



「これは自分が思うように、そうなる」確かにその通りであったが、寧ろイメージとは真逆の、主体が受け手にある観点では芸術そのものではないかと思い返した。
いつからか自らを定義する精神世界と、あらゆるものに起因する可能性そのものが分離していると考える方が都合が良いと思うようになった。常日頃手に入れたいと思っていた、ぼんやりとしている、逸脱した感覚みたいな武器を一生手にすることは無いだろうと思えるまでに大した時間は掛からなかったが、これから先の不健康な習慣が少なくとも一つは減ったと言う意味では収穫だった。



昔より思いやりが減ってしまったという感覚がある。自分をより正確にしたくて誰かを攻撃しないように意識するようになった。もはや水で伸びきった記憶だが、ただ昔より増した感覚もある。過去の清算は、依存でしか快楽を得られない人間の明日を生きる活力の副作用の一つだと感じる。

こんなの現実じゃあり得ないという非リアリティーは、現象そのものでなく受け手の心象、ファンタジーの説得力を増すための解釈なんて"現実でない"部分と噛み合いがあるかという、才能を見ただけの凡人の発想で、誰もが持っていると信じて止まない才能とかいうものは、俺が欲しいのはこんなハリボテの価値のないものじゃない。俺が本当に欲しいのは、まあ、まどろっこしい説明は抜きにして、頭の回転の速さだった。
もっともらしい言語を装備して、ある程度の人間が良しとするセンスを世に放出できる能力なんかはいくらでも根本から修正できるが、この、良好なレスポンスというものはどうしたって手に入れられない。だから俺は、理論も大事だが、"類似する何か"の組織構成パターンを増やし続けなければいけない。凡人の発想だが、奴等に食い付くにはこれしかない。

異常と才能の紙一重を演出する方法は、一番良いのは環境に溶け込む事だが、情報発信について「ローコンテクストさを恣意的に隠す」と友人が昔言っていたような事を自分が試したくても、主体性は欠如しても主語はあるという、育ちが悪いだけの健常者であるということが俺の一生付き合っていかなければいけない問題として挙げられる事実には心底ガッカリしている。もう欲しいものは何もないと胸を張って言えるような人間になれたら良いとかいうクソつまらない事を考えるようになってしまった。人と話すにも電車に乗るにも一苦労だったが、自己嫌悪を振り切っておかしな理論で自分を勇気付けていたあの時は楽しかった。だが当時から不均衡のギャップでブッ飛んでいくような爆発力は俺には存在していなかった。



悟り、理解といったものは恐らく自分のポテンシャル依存でしかない。人の事は知ったこっちゃないが、人格や意識の根幹部分に関係するのは間違いないと思っている。俺にとっては興味を産む為の幻覚だと説明することも出来る。


記録3

草。何言ってんのコイツ?
ともかく今日は足おっ広げて全力でオナニーすると決めた。レッツ、夢をコレクション!
その前に掃除するか。


確かにこの旅は、忘れそうになるが、文脈を探るな、とにかくそう・・・そういう事だよ!分かれよ!いや、この理解を文字で伝えられてるってのが仕事で物書いてる人の凄い所だよなあ。
今回は文字にしているが、いや、この様式によってまた違ってくるんだよな、ほんとルートがありすぎる。それはそうと、ASMRでシコりながら明日の仕事の処理ルート考えてスマホにライティングしてんのヤバ過ぎる!!!!!情報量!!!!!!!!!!!!!!!!!

この楽しさと、少し正気に戻って何かを考えるのと天秤に掛けた時の重要性の明らかな差、でもね、このシラフになったつもりという脳への信号そのものが作用する効果は記録したい感じではある。ちょっとパターン書く前に前提として、これは日常にも言える事だが、必ず"芯"をつつく為には条件があって、人と会話していたり身体を動かしていたりする時と、ベッドにへたり込んで真剣に物事を考えたり音楽を聴いてる時では明らかに違う、だから今まさに両手を開ける必要があるが、それを遮って何かを試す、というのはかなり難しい。つまるところ、今の時点で俺は愚か者という事だ。これは自覚しろ。だが、面白い事にこれも選択なんですねぇ〜〜〜〜〜!!!!!!!世界ふしぎ発見!ビッグバン!

まあ、今の状態は、選択と実行の相互利用を言い訳しながら文字を書いている演出効果という一つのパターンに過ぎない、説明が難しいがとにかく言っておく、物事は全て要素と要素をこう、絶妙に組み合わせた結果そのものが、目の前に現れている・・・いや、この、賢い奴呼びたい。
とにかく俺は、今この時間そのものを使って複数のパターンで構成された結末を試しているという事を伝えたい。伝われ。こういう人生で何度あるかも分かんねぇクソ貴重な時間に習慣だけで何となく肉体に頼ってるバカ共とは違うという評価を自分で下している真っ最中なんだよ。
こういう事言うのは良くない。いや寧ろこれが、分かりやすく記号化された人間心理というものだろ。俺は人より高度なオナニーをしているだけという、分かれよ、これも含めて全部宇宙と繋がってんだよ、でも、人間みんなフラットで、こんな言葉なんて演出に過ぎないのを分かってくれ〜〜〜分かってくれ〜〜〜〜一日後の!!!!!!俺!!!!賢くなれよ!!!!!!!!!!!
やめろ、出来なんて気にすんな、ありのまま伝えろやボケが、リアルタイムを今この瞬間崩したら文脈そのものが伝わらなくなる、そんでパターンの話なんだが、いやー、この間にも時間が過ぎているのがあまりに酷だ、分かる訳ねえじゃんこんなの、書いとけよ!書けよ!補足書けよ!クソ〜〜、書けねぇ!!書いちゃダメ!!!!!!趣旨から逃れられねぇ!!!!!!!!!!!!!!!!!


そろそろ我に返れよ。何ふざけてんの?いや本当に良くないね。そろそろ真面目に物考えなきゃ取り返しつかなくなる。いや本来は、音楽の良さを、世界の凄さを伝えたかった。本当はこの世界の素晴らしさを、いや本当に凄いんだよ?まぁそれはまた今度でいいか。

俺はどっちなんだ、今の俺をバカにしたいのか、評価してあげたいのか、いや待て、真面目に考えろ。その前に10分だけ音楽に集中する。
よし、音楽は本当は伝えたい事が3万文字くらいはあるが、今回は省略する。でも俺っていつもこうして先延ばしにしてるけど、次があると思ってんの?今の感覚が後から手に入ると思ってるの?バカだった・・・
純粋に音楽楽しむなら草でいい、これは結論としてとりあえず設置。シラフ、草の3点があって成立する話である。 草と違って"全体が掴める"、いやそもそも草の時の音楽を説明しないといけないのか。当然記録してあるので
こっから
(めんどくさいので省略)
ここまで書いておく。
聴力が極まってるのは同じだが、あっちが「表情」だとしたらこっちは「」で、いや「」の中がいつまで経っても埋まらねえじゃねえかよ。無理だこれ。説明するの無理。とにかく性質がマジで違う。

なんか、音って感じじゃないんだよな、世界って感じ。曲一つ一つの世界。草の方だと理解できない音楽無慈悲にディスってて草なんだよな。まあ事実の部分もあるけど。多分突き詰めると「質」って草の方で言ってたものが正しいけど、音楽ってそうじゃねぇんだよな〜〜〜〜ガキンチョがよ。

もっと広い目で見た時に、例えば、単純に音楽を発信する事を目的とするアーティストと、TVアニメに出てるキャラクターのイメージソングっていう複雑化した音楽の形態も世の中にはあって、とにかくこんな風に畑が違う音楽が、音楽として俺たちに伝えられている感動がある。そしてもっと突っ込んだ話、世界の違いによって全ッッッッッッッッッッッッ然聴き方が変わってくる。Don't Stop 'Til You Get Enough(https://youtu.be/yURRmWtbTbo)なんかは音と映像が完全に融合してる 。これって本当に凄い事なんだよ?どれが良いとかそんなチンケな話をしたい訳じゃ無い、全部「そう」なんだよ。Anarchy in the U.K.(https://youtu.be/cBojbjoMttI)とか見てみろよ、存在してんだよ、そこにさあ。ほんと、物事の良し悪しなんてテメーの基準でしかないんだよ。この2つだけでも全然違うだろ?聴き方が。それと同じ事が毎日、日常生活で起きてる。その上でPiano Man(https://youtu.be/gxEPV4kolz0)見ろよ、もはや言葉で説明すんの無理だわ。お前、自分の持ってる全部捨てて、Purple Haze(https://youtu.be/cJunCsrhJjg)がStarman(https://youtu.be/sI66hcu9fIs)なんだよ。本当に・・・・・凄えよ。見えるだろ?世界が。



まあとにかく言いたかったのは、俺も世に伝わってる様なイメージに踊らされた愚か者の内の一人だった訳で、何もかもどうでも良くなって人間辞めるつもりで腹決めてこっちの世界来たってのに、結局思うのは、現実より面白いものなんて無いっていう、なんだろうね。