憎しみ


単純に不快という感情が上滑りして、度々ひっくり返ったモラルと自己保身のアンバランス係数が金玉の中で製造され続けていると思うと無心に何かを破壊したくなる。恐らくこれが現時点での人生で一番伝えたかった事だと思う。


何も変わってない、万遍ない程に身体に快感を建前上でお送りする破壊妄想は、いつもはその予兆だった。子供の特権、ただただ自分が怒り狂う原因を心待ちにする悪趣味な時間、完璧であるべき頭の中を覗いてもらう絶好の機会、そんなものを孕みに孕んだ腹の底は凍りっぱなしな純血混血混血純血のシークエンスに水を差すのは「まともな感性」という社会の共通認識、あたり前田のクラッカーじゃクソボケチンカスアロエヨーグルト。シバキ倒すぞ。ふざけてる訳ねえだろ。どいつもこいつもスッケスケの自己愛にまみれた頭未就学児が幼稚園児扱いされているのを真横で見て「勉強しておけばよかった」とかいう無意味無価値無安打無農薬で創造性のその字もない言語のような何かが脳内を猛スピードで駆け抜けた挙句の破壊衝動とまるで意味不明因果不明の幼児退行、俺も同類だった。まともだと思っていた常識とは別の場所にあった感性が完全に死んだ。

感性とかいう2文字で俺は大衆に逃げているつもりは無い。自分に見せつけたい幼稚な野心の中でやっと本性が目立った所に出し抜かれて、ひとりを指してまるでそれが人間の全てかのように語るループに見せかけたトリックについて、ごく自然に物語として呑んでしまう時間の流れの不都合さがあるからだと、いつの間にか世界中の人間は自分にとって都合のいい存在であるかと勘違いしたのに気が付いて、こんな前提で事を進めた訳でもないけど本当に少しずつこういう思考になっていったというバカみたいな話が信じられてしまう今の自分のセンスの無さが何もかもに出ていると何をやっていてもそう感じる。


1000円の支払いで999円しか無かったら1円すら支払えないのと同じで常識というのはそのうちひとつだけでも破られた時点で常識がないという認識というかルールがあるのは素晴らしい事だと思う。たかが他人の評価なんて気分でコロコロ変わるのは当然の話であったとして、そういった単純な感情に対して理屈で畳み掛けたがるクソ下らない話を何で真面目に聞いていたんだろうか。何でどこに行っても俺に安心させるような話を延々とするのか、まるでこっちからわざわざカウンセリング受けに行ってるみたいで気持ちが悪い。俺は宗教なんかに興味ねえんだよ。自分の理論でそれがまるで社会のスタンダードなんだとマネキンに話すのが得意な奴らは全員まとめて脳味噌ブチ撒けろ。マイノリティーの絶妙な魅力の線引きを破って蔓延した偶然というのはいちいち目新しいだけでクソ面白くもないから時代とか人間とかいうスケールのデカいものを持ち込まないで欲しい。


どうしてダメと言った人間に対して「何で?」と返せるか全く理解が出来ない。たかが様子見の言動を頼りに理解の範疇で物を量ろうとする精神は失礼だと感じないのか疑問に思う。他人の事が気になってしょうがないんだろうとでも言えば何か飛んできそうな勢いだが、もし自分が納得する答えが欲しいだけと言うならまるで俺を人間扱いしていない。目の前にいる奴が人間だと思ってない。俺の性格を考慮しろとか俺と同じ思考回路で接しろとかそんなバカな話じゃない。自分の判断で他人の評価を下すのは当然の事であっても理解の前に納得をしないで欲しい。こんな下手したら相手にとっちゃ何も考えてない質問ひとつに対して怒り狂えるのは異常かも知れんが俺は気に食わない。嫌だよ本当にこの「俺は」気に食わないっていう感情。



















余談:人間としての終わり


学校に残っていると偶に愚痴祭りが開かれる。
そこに教師も加わっているもんだからタチが悪いと言いたいところだが、正直しょうがない部分もある。普段から面倒事は起こしたくないオーラが漂っている教師にとってアホみたいな金払って入ってくる生徒もとい客に穏便に済ませて貰う方法はたったひとつ、否定をしない事である。
こんなもので穏便に済むものかと思うかも知れないが、実際穏便には済まされない。何が穏便なのかって、生徒間の問題に教師が介入しない事について穏便なのである。教師がその問題を解決に走らせようともすれば嫌に事が大きくなる場合がある。問題事を起こす生徒に問題があるんだから勝手にしろというスタンスはこの場所では最適解なんだろう。それのせいか学校に来なくなる生徒が多い。

教師云々は置いといて、そもそも性格に問題のある奴があまりにも多い。揉め事が多過ぎる。と他人事のように説明したが俺もその面倒の内のひとりである。ハナクソレベルのくだらねえ理由で面倒を起こされ周りに拡散され、4月から半年しか経ってないのに同じような喧嘩、喧嘩とか大層に呼びたくないが、これが2度もあった。下らなさ過ぎてブログに書く気すら起きなかった。よく感情を抑え切っているなと自分でも関心する。ブチ殺すぞゴミ共がと思いながら生活している。俺は人間として終わってると思う。

ほんの少しでも俺に可能性を見出してくれた人、俺を良い人だと思ってくれていた人には本当に申し訳ないが、俺は正真正銘のゴミと化したと思う。さっき「面倒を起こされ」と書いたように自分の言動全てに、自分に落ち度は無いと意識的に思ってきた事に気が付いて今こう感じている。話す内容から読点の位置まで何もかもが滑稽だと思う。その都度面白いと思って書いているブログも一週間経ってみれば驚く程に面白くない。我欲と自己愛が駄々漏れの気持ち悪い文章で見る度に寒気がする。果たしてこの記事はどうなんだろうか。

他人に舐め腐った態度で接している連中に関して、つまらない存在なんだと、人間としてこうはなってはならないと感じていて、恐らくその感情は正しい。だが自分はどうなのかと言うと俺には分からないが、そいつらとは違った形で同類なんだと賢い奴は察知していると思う。そういった賢い奴から順に俺から離れていくんだと思うと、ひどく悲しい気持ちになる。


この数ヶ月、気が狂ったように追っかけ回してきた俺の可能性や信用について、何ひとつ間に合わなかった。何ひとつ。全部やったら全部間に合わなかった。
何度無意味に東京に出ただろうか。理由を見つけては逃げるように都会に行った筈が、自分より能力のある人間を見つけては突っ立ったまま嫉妬するだけして、人混みに酔っ払いながら、目の前を歩いている人間のどれだけが俺より有能なんだろうかと思った途端逃げるようにして地元に帰る。それを何度も何度も繰り返す。どの場所からも逃げ続けている。一瞬で一日が終わっている。