退化


結局、この人生の何がいけなかったのか。根本にある身の上の懸念がある訳でもなく、ただ当然のように今傍受している情報は全て結果である。社会の流れに何としても乗るために競走を経て就職進学を決めている世界があるというのにこちとら金さえ払えば入れる専門学校、それは悔しいというよりも疑問しか残らず、ではお前の夢はどうなんだってこんなもの「普通のサラリーマン」になりたくないから目指してるだけである。他人からだって同じようなもので、クソガキの頃一緒して毎日のように遊んでいた友人が、6年振りに会えば一分一秒の濃密さを放つだけの存在に成り代わっていた。何が起こるか分からない、何をさせるにしても不安しかない親の目には時間分の結果が付きまとっている。
親には感謝している。家に住まわせてくれること、金を出してくれること、ただお前は今の境遇に感謝しろと突き放されたくない脈絡上の嫌なプライドがある。後にも先にもこの話には正論がブッ刺さるが、神にも擬せる空想上の人間にフォーマルな意見は頂きたくはない。

結局、何が悪かったのか。

この3年間で人間の構築ができたものか。努力という言葉とは無縁のまま今日を迎えるというのは、圧倒的な説得力と訴求力の不足に繋がる。声を聞くだけでうんざりする程他の奴とは違うと主張したがる大層な人間はいくらでもいる。それを分かっていても、否定も肯定も認められるものとして説明する矛盾は道理として捧げられることを信じている。ある程度無難な人間にならなければいけないのは当然のことである。

抱えた夢を否定する余裕はないというよりも、諦めのように必然性を感じてきていることについて、内的なものとして認められている輪郭は一般論として変化することは無い。何度死んで生き返ろうと勉強をやるつもりは更々ないが、授業中は寝て部活はダラダラと向上心もクソもなくやり過ごした毎日はもう少しマシになったのではないかとは思ったことはある。


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学校を辞めたという噂を聞いて連絡してくれた友人達から慰めの言葉を貰った後、安心感と自己暗示に包まれながら通信制に入学したがそれを臆面もせず話すようになっていた。保身の為でも心配されたくなかったからでもなくこの過程そのもののステータスを貴重に思っていたという頭だったから以外に何の言葉もない。

しかし入学して半年、友人と久々に話すタイミングで前述の目論み通りにと回りくどい説明を乗せて披露すれば、そんなもの無職と同然であろうと直球で言われ、腹が煮え滾った。社会的にゴミベラの位まで落ちていたことを自覚したくなかった。人生で初めて明確に物事の決断を下したのが退学の瞬間だったと思い込んだ前後はヤケクソだったかもしれないが、逆にそれが自信となっていた部分は少しぐらいはあった。クソみてえな気分で他人に諂う必要はないと考えるだけで気が楽だった。処理上の感情と状況に満足していた筈が普遍的価値からの解放が常識の規範から外れる前提である当然のことを思い出されて電撃が走りまくった。気に入らない事があればすぐブチ切れて喚き暴言を吐き対抗意識しか芽生えなかった自分にとって、誰も何も言ってくれなくなったこのタイミングでのこの言葉はあまりにも気持ちが良かった。

一変したと言うには仰々しいが人間としての及第点へ距離を詰めようと意識はしていた。良く言えば自由だがその分迷惑のかかる行動に呆れられることは多かった。圧倒的に一人でいる時間が長くなってからは単純だった。学校はどうだ、学校はどうだと友人に聞きながらその話に嫌気が差していた。


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やるからには倦怠感のみで構成される傍受サイクルはブッ壊さなければならない。もうここまで落ちぶれるとやるしかない。ようやく個性やら特技やらを身につけるために早起きするのだからマジでやらなきゃ終わる。後悔もクソもない人生だが、この2年間をすっぽかしたら確実に破滅する。

他人はどうだとばかり予備動作を重ね、感情に起因するべきものを探っていた毎日は一瞬で消え去ってほしい。たかが人生の猶予を伸ばすと考えていたいつしかの自分では気合が足りなさ過ぎた。
初速は最底辺だが時間の使い方を弁えることができればいくらでも追いつき、追い抜くことはできる。せめて自分の才能に絶望するまでは猛スピードで小便ひっかけ回しながら走り抜けたい。

それでも正直、実感が無い。スイッチが入る瞬間を今か今かと待ち望んでアホ面する余裕は無い筈なのに、無意味にこの文章を書き続けている。この3年間何を求めたか、強制の2文字しかなかった。


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などと1ヶ月前は考えていたが、何もかも遅かったことにやっと今気が付いた。来年の今頃には就活を通り越し就職が決まっている。ここでダメなようなら全くの無関係の一般企業にこんにちはしなければならないのは当たり前、少なくともこの学校のこの学科では9割以上がそれを強いられる。2年生は現時点で同コースに2人しか残っていないことに加え、希望職に就いたという話は聞けなかった。

大方は分かっていた、わざわざ地元から学校を選んで楽をしたかった分の苦労はしなければならないのは当然だった。張り合いのない人間ばかりが集まってダラダラと教師の言う事をなぞっているだけの毎日に何の誇りもない。

専門学校の1日は短い。必要最低限のカリキュラムの中で気が付けば1ヶ月が経ち、身に付けたスキルの実感だけでモチベーションを維持しようとはするが、日常生活の中で圧倒的に無駄な時間を消費している自覚は痛いほど滲みてきている。自覚のない前提を説明する余裕もポリシーも嘘もなければ何がどうなっても言い訳は出来ない。


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単に高校生活を普通に送っていたとして、今のような立派な人間になったつもりでいる執着心は得ていなかったかもしれないが、どうせ同じようなものになっていたと想像するのは別におかしくない。時間が必要だったと確信的な結論を吐きまくったが、後退した分の時間を取り戻しただけの進歩だということを知らなかったからいつまでも幼稚なことについてずっと疑問を持っていた。

馬鹿な人間なのは間違いない。他人からの扱いがどこへ行っても同じようなものな時点で察してはいた。ただ、どれだけ考えたとしてもここに残る時点で他人と何ら変わらないのは一番理解しなければならなかった。県や国の外に出る選択について考える時間は十分あったのにわざわざここを選んだのは馬鹿だったと今更感じている。
毎日愚痴と自慢を聞くだけのクッソつまらねえ人間関係も含めて「倦怠感のみで構成される傍受サイクル」は当分解決できそうにないが、少なくともそういった奴らを見下す為に奮起になる自分も同類だった。