干されろ


ここ2年の俺は面白くない。これには自信がある。遂にこれについて考える日が来た。
数日前に兄と話した。やはり奴は仏、正しく表現するなら僧だった。但しガンギマリだが。しかし夢と努力なくしてこのガンギマリなしと俺は肌で感じた。そもそもマジカルなキノコを取り入れる以前に方法論と実践を最適化するペースを確立し、一年前に会った時とは既に別のステージへ移ろうとしていた。しかし言わせればトライアンドエラーではない。俺も毎日、スマホを見ずに横断歩道で待つ時のポーズについて誰よりも考えているが、彼はこれを高校時代には解決したと言い、瞑想しろと一言放った。そして修行法として移動中の公共交通機関内でノリノリで音楽を聴くことを挙げた。俺はその瞬間この一連の会話が悩みの全てを包括していると理解した。俺が気にしていたのはポージングではなく、人の目だ。誰もが対象を顔や服装に関係なく0.5秒で隠キャと見分けられてしまう理由について、その佇まい、目線、歩く、座る、振り向く動作と枚挙に暇がないが、俺はそういった視覚的な特徴を人の目から除外しようと「横断歩道」を行っていた。実は記憶の中で一度だけ自信を持って赤信号を待てていた瞬間がある。異常に怒っていた時だ。それでも俺は満足感だけで気付けなかった。たったこれだけの事なのに圧倒的な差を感じた。
奴の凄さはこんなチンケな文章じゃ伝わりっこない。そして、具体的に何が俺をつまらなくさせているのかは分からない。この悩みを持って人と話すせいで結局考えざるを得なかった。



流行り物に対して忌避感を抱いている奴は沢山いて、俺もそのイキリアングラアヘ太郎の一員だった。一方で、ガンダム産廃とかCランだとか言われるものを好んで使っていた機体が、ある日唐突に環境トップに躍り出て世間的に意義ある存在となった時、以降一切使わなくなった事があった。サブマはP90、ハンドガンにはサイレンサー、投げ物は邪道といったような情緒以外で構成されていないFPS上のロマンの尊重を、ガンダムでも同じ事をしていると思い込んでいた。好きな機体が強くなったのを素直に喜べばいいものを、乗り捨てた理由についてロマンもクソもなくただ流行ったから嫌いになったという回答しかできず、これは流行り物が好きなだけの便乗野郎と同レベルという事、俺は流行り物が嫌いなのではなく流行った物が嫌いなだけだった。一定のジャスティス領域によって構成されている当時の俺はこの件がジャスティスに触れ、ジャスティス検閲対象となった流行り物語シリーズは正義の上書きを食らい、結果毛嫌いしていた星野源の歌が普通に聴けるようなった。



子供の舌なんてしょっぺえと勝手に思ってるけど、ボンボンの息子が将来グルメになるのかというとそうではなく、少しずつだったが、俺は変わろうと思ったあの日から本当に変わった。つまるところ、俺は小学生の頃自分の布団に小便を引っ掛けて興奮していた。金正恩は正直かなりそそる顔をしている。今爆発しそうなくらい暇だ。






俺は全てから逃げ続け、何一つ精算できていない。

兄は本当の意味で自己を貫き、言葉の全てに意味を持たせ、マイノリティーを掲げ、そして邪魔な記憶を消した。

感受性のピークは過ぎた。人生の分岐が何とやらも多分とっくの昔に終わった。生涯子供がいいとか前に言ってたがそれは子供に失礼だった。後ろめたさが消える瞬間が来たら死ねと自分に思ってたが、吹っ切れた気楽、今の頑張れば立派に就職できそうみたいな状況が絶望的にキモい。俺以外全員滅べみたいな頃の方が面白かった。見てるか俺、俺は正直に生きるとつまらない人間だよ。見栄もネガティブも幼稚な残虐性もあの時の焦りも全部取り戻す。俺は一度衰退する。