反動


明けましておめでとうございます(10日遅れ)

この年末年始ではありがたい言葉を沢山いただきながら美味いもの食って…気が付けば80kg台におかえりなさいしてた、クソが。


40年前までの1,2,3日はどこも店は休みだったらしい。正月に財布を出すと縁起が悪いとか、我が家は特に意識が薄いのか一同に集まるといった事は少ないが、親族の帰省を当然としたりと時代の流れが少しずつ感じられるものだった。次いでバブルの話も挙がり、座ってるだけで時給1200円貰えたバイトの話や百貨店のお得意様の話などの面白い話が出て、決して誰も昔は良かったと言いはしなかったが、会話からひしひしとその雰囲気が伝わってきたのは間違いない。

自分が就職するのはオリンピックが終わった直後、つまり景気が落ちに落ちたその時になる。
2012年頃の東京五輪のあれこれでは売却前提の土地、施設の改装案、税金の未使用など前回の東京五輪終了後の不況を踏まえての説明があったが、小池知事の誕生で動きのあった2016~2017年ではどうだったかと言われると、いつものIOCも含め全体的に悪い印象を残していったのは残念なところではあるが、頑張ってもらいたい。





余談


偽善でないのは分かってあげたいが自己愛と自己顕示欲に乗せられた正義感をお持ちの社会派がどんどん世の中を狭く面倒にしていっているのに呆れる人も多いかと思う、極めて断片的な情報で毎回のように妄想を口に出せたものかと思えば立派かもしれない。
が、それすら負の反骨であるということをまず最初に理解しなければならない時代である為に、自然的な流れで思想の形成がある時に良くも悪くも主張が通る前提であるという事、これが当然とされるのがまた怖く、善にでも悪にでもなり得る偏ったモラルとも取れる人間性、寧ろ自分自身、概念が多様化されていく今日に便乗しようがしなかろうがそれは正しくも間違ってもある。
常識と銘を打っているものの正体はただの感情であることを言い聞かせたとして、言葉の次点が行動である時、それはブッ飛んで強いのは間違いない。ツイッターもこのブログも同じく、一方的に発信すれば大方は満足する。軽いとされた言葉を重く受け、逆も然り、何の生産性もない出来事が「ネットでは」として評価される中で、行動を起こせるのは本当に強いと最近思う、というお話でした。