ゆるい思想

脳ミソからケツまでイった男の雑記

映画を映画館で観る


自分自身映画館へ足を運ぶ機会と気分をバランス良く持ち合わせていなかったせいか、ここ1年レンタル始まってからでいいやと割り切っていたものだが、やはり映画館で観て家に帰るというプロセスが記憶の中で確固たる「映画を評価する」人間の自動的な、何の悪意もない心理を助長する、と言うと頭おかしいかも知れないがとにかく再び映画館で映画を観るようになった。


著作権法が改正される2012年以前の話であればそもそもこの家では映画を映画館で観る習慣が全く無く、実際に映画館へ足を運んだもので記憶の一番古いものは「カーズ2(2011)」で、その次が「あの花(2013)」「ゼロ・グラビティ(2013)」、以降は2015年までお預け。

初の映画館デビューであるカーズ2は3D目当てで観に行ったものの、気持ち悪くなってしまった上に話がイマイチだったせいでいい思い出は無かったと思われる。あの花はTV放送版未視聴、それでも本編ダイジェストだから大丈夫だと友人に唆されて足を運ぶが、泣き所さんがサッパリ妖精で困惑した思い出。ゼロ・グラビティに関しては話の内容も特に面白いと思わず、宇宙って怖いねとしか感想が出てこなかった。

という風に数も少なく良い感想が出なかった為に、最初に書いた文には映画館に特別な思い入れや憧れがあったからという理由は入らないとする。


しかしその2年後、ふとゼロ・グラビティの評価が気になってレビューを漁ると「ストーリーとは裏腹に佇む宇宙の映像美に圧倒された」という旨の感想を見かけて、やらかしたと自覚する。急いでレンタルするも観続けていくに連れ、ああもう一度映画館で観たいなあ…としか思わなくなり、あまりの悔しさからこの年はアホみたいに映画館で映画を観る事となる。

多方面から攻めてくる圧倒的な情報量に呑まれてヘヴン状態となったスクリーンの前の人間は観終わった後に思考が追いつかず、いつの間にか歩道を外れてたり信号の色を間違える事となる。危ないね。
今思うと、映画館で観たものはやたら記憶に強く残っている。ヒトの習慣とは面白いもので、自分の場合は気を抜けば話の内容をスッポリ忘れるもんで映画館から家に帰るまでの間ひたすら集中してこの映画はどうだったか考える時間が設けられ、10分と決められた時間内に完結させることが出来ればもう観に行かない、出来なければもう一度観に行くという実際には定められても決められてもいないがルールのようなものが存在していた。
例を挙げれば先日苦言を呈した「マイ・インターン」、3回も観てしまったせいであの変な感想が出てくる。

ともかくこの過程が最適(どう最適だったかは知らん)であったが為に、映像・音・スケールという要素を差し置いたとしても映画館へ足を運ぶというのは大事だと知り、相変わらず上映数は少ない上に遅れてやってくる田舎ではあるが映画を映画館で観る悦びを取り戻しつつある。


分かりやすい話2015年という年は自分にとっていつよりもここが絶対的な、符号化すらされていない神経パターンが宙を漂いながら全てをブッ壊して再構成させる意識が強く在りすぎるせいで「2015年を思い出させるイメージ・行動」という逆算が成り立った時に、規範内の合否と善悪が釣り合わなくとも「あ、そっかぁ…」と池沼化してまで行動を起こすのである。

やっぱり映画館に思い入れがあるんじゃないか(呆れ)