ゆるい思想

脳ミソからケツまでイった男の雑記

脈絡のない話


ミリオンアーサーでも少し触れたけど、個人的にソシャゲに求めるものって、完全オートで進むバトル。コンシューマーで頭と手を最大限に使って、スマホゲームでまったりしたい願望がある。というかただの偏屈。
艦これなんか正直最強だと思ってた、あのクッソ長い時間かけてやる運ゲーが良い。スマホ版が出るぞ!出るぞ!って時にIOSちゃんが除け者にされたのと自分用のクソ安いPC買ってしまったせいで起動してブラウザ開くのも一苦労になったから摩耶改二辺りで記憶が止まってる。結局vitaとか劇場版とかどうなったんかね。アニメ放映後から人気がようやっと落ち着き始め、最近はあんまり話聞かないけど地元で稼働してるアケの様子とか見ると割といつでも賑わってる、よかった。
そんでアニメ、艦これ未プレイの方からは好評価な傾向にあったことを記憶している、当時問題視されていたキャラデザや性格の改変が彼らにはそのままひっくり返って見えていた印象。まあそういう(批判の)意味では本家運営にもユーザーの愛が伝わって良かったんじゃないかな、ただ圧力が強過ぎて新規が「えぇ…」ってなってたのは間違いない。
それでも世間の評価だとか成り行きというものは絶対に決めつけてはならない。まして艦これというビッグなコンテンツには大量の人間が後ろから前からやってきたもんだから、一概には言ってはいけない。新規でアニメ止まりだった奴もいれば、のめり込んだ奴もいるし、初期からのファンでもアニメを受け入れた奴もいれば、拒絶した奴もいる。リアルの話をすればバランス良く分かれていた。正直、受けれ入れた奴は凄いと思う、あれだけインターネットでボロクソ言われて芯を曲げなかったのはオタクのあるべき姿、人間の鑑。エヴァで以降で作り上げられてしまっていた、オタクのオタク批判という流れをもろともしない。
自分は悪い波に完全に呑まれた。今年改めて観る機会があったんだけれども、普通に面白かった…とは思わなかったんだよなぁ…ノリがいや〜キツいっす(素) でも当時よりまともな神経で、というか過去作漁る要領で観れた。キャラデザ、性格の改変なんて全く気にもならなかった、主人公吹雪でいいだろ上等だろあいつ駆逐艦やぞ(意味不明)

存在しないものを模様見する仮想をしてまで尽くす必要はあるんだろうけど事が終わったものをわざわざここで言うのは流石に気が引けるので止めておこう…これ続けた方がいいんかな?いや止めた方がいいかもしれへんわ。主張すんのやめとくわ。(ブチギレされない)確信がないわ。



続いて艦これに対して全くと言っていいほど批判がなく評価の高いマイ・インターンという映画、これは理想の男女像を挙げて露骨なダメ人間との対比表現で自分もこんな人生を歩きたいと思わせる対象の視聴者と、それと逆手に受けた視聴者のギャップをわざと狙い、比較的流されやすい視聴者のポジティブシンキングを利用した、あるいは現代社会に中途半端に溶け込もうとする老人の鬱陶しさ(これが実際アメリカにあるかは知らんが)を滑稽に捉えさせて、オールドタイプの人間を交互に登場させることで結局高齢者の居場所は用意されてないという構成かと、よくありがちな女性向け映画の落とし穴を用意したクッソ皮肉な作品かと最初は面白がっていたがどうやらそうでもない。観終わればマジでロバート・デ・ニーロダンディー♡しか出てこねえ作品だった。クソ程も面白くなかった。
もしかしたら上記を含めたコメディだったのかもしれんが空回りする前に脚本も笑いも中途半端、総じて薄っぺらい。こんなものが絶賛されてるのを見るともしかしてこれ俺の感覚がおかしいのかもしれないと思い始める。これ以上は止めておこう…これ続けた方がいいんかな?いや止めた方がいいかもしれへんわ。主張すんのやめとくわ。(ブチギレされない)確信がないわ。
普段Twitterやこのブログですらまともに意見できないせいで溜まりに溜まりまくってるだけだから許して。開いた瞬間閉じるようなこの長文記事に紛れさせればきっと大丈夫だと信じている。映画観ていい歳のとり方をしたいと思いたいなら「最高の人生の見つけ方」の方が3億倍勧められる。
しかし俺の数倍は作品を網羅してる父がやけに楽しそうに観ていたので、大人にしか分からない面白さがあるんじゃない?(適当)
どうしてこの作品を挙げて批判するかというと、好評価の割に面白くなかったからではなくてレビュアーが口を揃えて、先にも書いた「経験を積んだ大人にしか理解できない面白さ」を謳っているから、だと断言する。これは子どもの嫉妬だとも言っておく。自分には映画的な面白さを全く見出せなかった。そういう事じゃない、そういう事じゃないんだよって言いたいのは分かる。完璧は求めてない。分からない奴には分からないで良い。でもね、この作品を大人になってから観て面白いと思いたくない。歳を重ねると堅持したがる、共有はできても通用はしない「大切なもの」を底の方から理解したい大人にはなりたくない。ああいう人間こそ、形の見えないものに固執して一個人を尊重しようとしない。もういっそ強い言い方するけどこんなん観て泣いてるようなら富野由悠季作品を一から十まで観てまわって、一切の解釈も必要ないストレートな言葉に度肝抜かれて欲しい。アニメをやたら毛嫌いする一部の映画通というクソつまんねえ人間ならば「ニュー・シネマ・パラダイス」を何度でも観て、サルヴァトーレから全ての感情を子どもの心でも大人の心でもいいから素直に感じ取って欲しい。
以上、好きなアニメと映画へスムーズに導くステルスマーケティングというマイ・インターンへの最大のリスペクトを込めての殴り書きでした。これがやりたかった。


余談

ここまでフリーダムに書くと最高に気持ちがいい。しかし「自分は〇〇という言葉が嫌いだ」と初っ端に書くようなブログにならないようには気を付けたい。得体の知れない人間に訴求力もあったもんじゃないのは悲しいながらも理解はしてるから気持ち悪がられるような話もやる。
しかし気が付いたのはインターネット上と現実を切り離して考える人は、果たして切り離せているだろうかということ。他人ぶった話をして、一番に人間であることを理解していない。良くも悪くも、思い込みが激し過ぎる。メロンの皮だけ食っておいてメロン農家に不味いと言ってるよりも異常だ。何が大人だ、クソが。メロンの皮じゃなくてクソ食っとけ。現実もネットも同じなんだよ、映画のレビューや、ヤフーニュースのコメントを、見下すような目をして書いてる大人はどんな顔をして、どんな声を出しているのか知りたい。まるで他人事のように書くな。自分自身が書いているという自覚を持って欲しい。あまりにも悲し過ぎる。
たかがこんなことでブッチギれてる俺を笑ってくれ、ただこれは絶対に取りに行かなくていい感情ではないと言っている。少なくとも自分の中では大切な気持ちだなんて死んでも思いたくないけど、気が付けば呑まれていたなんて事になる前にこれだけは言っておきたかった。