エロで感じるアニメ


一般アニメのエロってのは罪深く、需要があり過ぎてちょっと面白くないアニメだとこれエロ要素ブッ込めば売れるんじゃねえのと思ってしまうくらい憎いのにシコい。まあその要領で現在のライトノベルが形作られたんだろうが…

中でも群を抜いて物語シリーズのエロはそそられるもので、真面目な(だと思っていた)シーンにブチ込んでくるのは正直興醒めすると確定的に脳に示してもエロ過ぎて掌返すように、とにかくシチュエーションの重要性を、ワンカットに魅せる技量が大き過ぎてこの作品に関しては本当にアニメを娯楽として楽しませて貰ってるなあと賢者タイム時に再確認させられる。



なんて書いてたらME!ME!ME!を思い出した。(個人的な見解では)あの作品は2分化された世界から為すストーリーではなく、あくまで部屋の一角で行われたサイクルのようなもの、ループとは少し違うが単に1人のオタクが見てしまった世界から逃れられない様を描いている。1人の男、2人の女が出てくるので当時の視聴中、また直後はこの関係性について深く考えてしまっていたがこんなにも上手く腑に落ちてしまった瞬間というのはエロ目的でもう1回観ようと思ったまさにその時である、本当にやられた。

そもそも筋というものを通さなくていい作品なので的外れだしこれは違うと言っていいが、基本的にオタクというのは年齢=[禁則事項]なので作中で描かれている「彼女と思われる存在との思い出」というのは想像で補える、または最優先で望まれているエロの快楽からすればそんなものは知らない感情、であるからラストで呑まれて終了となる。男の頭の中でどういう解釈があろうがどちらも性的対象だという事に変わりはない。
話を広げるとすれば青髪は現在で橙髪は過去になる。青髪に関しては男の目には尻と胸しか見えていないが橙髪に対しては思い出が見えている、「アニメにハマる切り口となった存在の女(アニメ)である橙髪と現在の女(アニメ)である青髪を見る目の男」ということで、あっ今日はこのキャラクターで抜くか なんて初っ端から思う訳がないピュアな男の思い出として映し出されている橙髪、もはや目にした瞬間そのキャラクターで抜くつもりでいる対象である青髪との自己における対比、それを抑制する自分、そして敗北。思い出があろうがモニターの前だけで完結できてしまう現代において全て名前をエロ検索さえすれば簡単にシコれてしまうようにどちらにせよ時代または自己の変化のせいで(先にも言ったが)1人の性的対象という事に変わりはなくなってしまったと見られる。

まあ何かしらへの批判だとかそういうものは全く感じられないんだけども、個人的にはただただエロくてグロくてカッコいいとシンプルに感じていて、正直こういった単純な感性が一番大事だと思っている。



これから先インターネットの存在で明らかに供給部分が多くなったという時代に沿って「エロく見せる」こと自体がもはや商業色にまみれているのではないか、なんてクッソ飛躍的な意見が飛び交う事になるかもしれない…わけないか。