ゆるい思想

脳ミソからケツまでイった男の雑記

勝負を前から見る


大前提として2対2のゲームという環境で、もう少しで負けそうという時に足掻いて足掻いて勝てる確率というのはほんの10%程度だが、その10%を重く見るか軽く見るかで変わるかと言われれば相当変わる。
クソ簡単に言ってしまえば足掻いて負けた時は悔しくて負けるべくして負けた時は悔しくない。どれだけ集中力を切らして一試合に望むかという事と諦めない姿勢が大事という事では全くなくて、対戦において勝ち負けのビジョンに見向きもしないのがこれ以上なく大切と最近感じる。

運の存在しないものにおいて、統計を取り、ランダムな数字をもろともしないように錯覚が掴めないのは弱い。精神論を推している訳ではないが、結局武器になるのは自分を知らないこと、他人に悟らせてはいけない、可能性と呼んでいいものが爆発した瞬間に勝負を仕掛けられる人間が強い。


1対1ならば相手と自分、または相手のみという解釈を取るが2対2ならば数え切れるパターンから大きく外れてほぼ無限に何もかもの原因がある。つまり「勝ちパターン」なんぞ存在しないも同然、2対2のゲーム、それもシャッフルという誰が相方になるか分からないものに固執する理由はそこにある。バランスが悪いと言われようがシステムの出来が良いので5年も同じゲームやってる。相手をいかにして潰すか、意思疎通の出来ない味方とどれだけ息を合わせるかというチーム戦の面白さが良い。基本はもちろん大事だが、セオリー通りに動けと指示するのは典型的な自分しか見えていない、勝った瞬間しか覚えてないプレイヤーである。

相手があからさまに弱いと分かっていて負けた時に、上手だったと振り返る事はまずありえなくて、自分が弱いという当たり前の解釈を取るのが本当に死ぬ程難しい。勝負においては自身は強くも弱くもなってしまう事を理解しておかなければ楽しくない。


余談

これ読んでて気が付くと思うがここでの強いというのは単に勝利への方程式を組み立てられる人ではなくて一直線上の一貫された勝ち方を選択してから実力を乗せる、考えを水で伸ばせるかどうかという人が強いということ。麻雀や格ゲー、スポーツでは全くの別問題になってくる。

卓球は中学の間触れてなかったとは言えかれこれ10年続けているもんだが未だに勝ち方分かりません(半ギレ)上で言うのはゲームという限界値のあるものからくる感覚的な自論であって生身の人間で為すスポーツについてはとりあえず根性論を推しておきます、気合いだ気合い。
さっきから数字をやたら出したがるのは説得力を高めたいが為だが本当の強者はそんな事しないと思う。


他者からすれば結果のみが反映されるのが勝負ではあるが(もちろん主観でも勝ち負けは一番に大事だが)それでも当たり前かもしれないがプロセスに課題点を見出せるのは割と大切かもしれなくて、向上心など失くした個体が初心に帰る事が間違いで、人間と対戦する上では自分ではなく相手を見ようという話でした。


まあこんな事長々と書いていてもこちとら対戦中は口開けながら何も考えずにやる挙句負ければコントローラー投げつけそうになるんですけどね。前科があるので大切にしようとは思ってます。前愛用コントローラーさん貴方の事は次割らない内は忘れません。