無題


蕎麦が食いてえ、蕎麦が食いてえとひとりクソ寒い中近所のやま岡そば屋へ足を運ぶ。表通りは車が多くて嫌いなのでいつも横道からぐるっと回って行くのだが、ようやく店の裏口に付いたところでいつもは表にある筈の看板が立掛けてあり、嫌な予感を抱えながら入口へ向かうとそこには「店じまい」の文字が書かれた紙が貼られて…
うせやろ?
まさかその場で自然的に淫夢語録を口に出す時が来るとは思ってもみなかった。いやそれはどうでもいいんだよ。しかもひと月も前の12月16日に畳んだとの事で、理由としては諸事情(体調)と書かれており…あぁ…オ゛ッ…もうマジかとしか言い様がない。11月末に一度行ってからというもの珍しく多忙で行けなかったとかいう苦し過ぎる言い訳をするほかなく、ああもう、あの…あの卵カツ丼セットを最後に食いたかった…幼稚園に入る直前にここへ引っ越してきてからというもの、蕎麦と言えば最初っから最後まであの店だった。数年前からひとり店に入ると必ず浮かぶんだよ、右奥にある座敷で家族と飯を食う風景が…あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あの店の卵カツ丼セットが食゛い゛て゛え゛よ゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛

反動


明けましておめでとうございます(10日遅れ)

この年末年始ではありがたい言葉を沢山いただきながら美味いもの食って…気が付けば80kg台におかえりなさいしてた、クソが。


40年前までの1,2,3日はどこも店は休みだったらしい。正月に財布を出すと縁起が悪いとか、我が家は特に意識が薄いのか一同に集まるといった事は少ないが、親族の帰省を当然としたりと時代の流れが少しずつ感じられるものだった。次いでバブルの話も挙がり、座ってるだけで時給1200円貰えたバイトの話や百貨店のお得意様の話などの面白い話が出て、決して誰も昔は良かったと言いはしなかったが、会話からひしひしとその雰囲気が伝わってきたのは間違いない。

自分が就職するのはオリンピックが終わった直後、つまり景気が落ちに落ちたその時になる。
2012年頃の東京五輪のあれこれでは売却前提の土地、施設の改装案、税金の未使用など前回の東京五輪終了後の不況を踏まえての説明があったが、小池知事の誕生で動きのあった2016~2017年ではどうだったかと言われると、いつものIOCも含め全体的に悪い印象を残していったのは残念なところではあるが、頑張ってもらいたい。





余談


偽善でないのは分かってあげたいが自己愛と自己顕示欲に乗せられた正義感をお持ちの社会派がどんどん世の中を狭く面倒にしていっているのに呆れる人も多いかと思う、極めて断片的な情報で毎回のように妄想を口に出せたものかと思えば立派かもしれない。
が、それすら負の反骨であるということをまず最初に理解しなければならない時代である為に、自然的な流れで思想の形成がある時に良くも悪くも主張が通る前提であるという事、これが当然とされるのがまた怖く、善にでも悪にでもなり得る偏ったモラルとも取れる人間性、寧ろ自分自身、概念が多様化されていく今日に便乗しようがしなかろうがそれは正しくも間違ってもある。
常識と銘を打っているものの正体はただの感情であることを言い聞かせたとして、言葉の次点が行動である時、それはブッ飛んで強いのは間違いない。ツイッターもこのブログも同じく、一方的に発信すれば大方は満足する。軽いとされた言葉を重く受け、逆も然り、何の生産性もない出来事が「ネットでは」として評価される中で、行動を起こせるのは本当に強いと最近思う、というお話でした。

DYNAMIC CHORDとかプリパラとか


ありがとうDYNAMIC CHORD
ここの顔すき

apple polisherの曲が終わる度に、色んな土壌と環境で、あなた達だけの音楽が生み出されてるんでしょう?がオート再生されて辛い。ライブ後ではカットされたが、生ま↑れた↓土地ィ→イエ゛ッの発音も好き。

何度か繰り返し観ていると、オッドアイ役である江口拓也氏の演技がとても良かったと改めて感じる。最後までキングって呼ばなくてごめんね。何度も言うがRoots of Lifeのオッドアイver収録したCD出して(懇願)

回想で作画修正されてたり、ライブシーンのカットが追加されてたりと大満足の12話ではあったが、やはり終わってしまうのは寂しい。
制作スタッフ、原作プレイ済み姉貴達の心中は察するが、とにかく楽しいアニメをありがとう。それに尽きる。


SideMも残すところあと一話、大晦日が楽しみであります。


以上、今季アニメの感想でした。
薄っ…いや、キノの旅とか少女終末旅行とかの話もあるんだけどカットォ!記事が溜まりに溜まりまくってるから許して。前回も端折りまくったし。はい終わり!閉廷!ここからプリパラ!詰め込めるだけ、詰めっ…詰め込もうぜ。




プリパラではどれも夢は叶う、叶えるという曲が多くて、その背反としての曲もあり、常に危機感を与え続けてくれるのでプリパラやめられない。

ガンギマリ具合もファンタジスタドール、マジキチスマイルプリキュアとはまた別の方向なので非常に良い薬になる。それも最初期opである「Make it!」の「オシャレなあの子真似するより 自分らしさが一番でしょ」という歌詞を初っ端のAメロにブチ込むあたり、個性の主張を地で往くストイックなアニメだと思う。

アイドルタイムになってからは「アメイジング・キャッスル」とか「ぷりっとぱ〜ふぇくと」のような何だこの…ああ、何だこの曲!?という驚きと共にひと聴き惚れする曲たちとは打って変わって、どれも見事にスルメ。気が付けば脳内で無限リピートされている。中でも好きなのは、華園しゅうかちゃんの「Miss.プリオネア」、WITHの「Giraギャラティック・タイトロープ」。プリズムギャラクシィ…
プリパラの楽曲はどれも本当に良いので聴きなさい。Apple MusicとGoogle Play Musicにもあるから曲だけでも一通り聴いてください。






余談


苦労話も自慢もしたところで誰も得しないのは分かっているが今日はさせてくれ、いいだろお前クリスマスだろお前(もう過ぎてる)


地獄のクリスマスシーズン9時間連番バイトで82kgから77kgまで減量した。驚きのダイエット、なお筋肉は付かない模様。死にそう。食欲がない。足腰が痛い。大晦日と正月も地獄。独りで過ごすのも嫌だからってこんなヤケクソになった自分が憎すぎて首もげそう。街を往くカップル達よ、幸せを分けてくれ…
明日が休みなので、褒美のつもりで空かない腹に寿司を詰め込んで財布を空にしてきた。当方100円寿司で満足する身分ではあるが、今日は、今日だけは寿司を食ったという事実を残しておきたかった。その金でスカイリムVR買えたなんて考える暇もなく、人生最後のお年玉に懸けて散財するんだ、身を投じるんだ…

そしてSwitchを買う暴挙に出る。

どうして買ったんだ。もう金が、金がないんだ…俺に金を…


贅沢できるのは今年までと踏んでの出費っぷりだが、果たしてそれに見合うまでに有意義だったかと言われると…やめろそれ以上はやめるんだ…最後なんだ、胸を張ってキモヲタを名乗れる時間も残り少ないんだ…時間をくれ、夢よりも時間をくれ…

いろいろ 2

旅行中に撮ってきた写真をブチ込む。


滋賀-朝


滋賀 比叡山延暦寺東塔エリア-朝


滋賀 坂本ケーブル-朝

千手観音立像、五大明王像が展示される国宝殿内部、改装中であった根本中堂内部は撮影禁止だった。


京都-昼


京都 笠置観光ホテル-夕方


京都 笠置観光ホテル-夕方


京都 笠置観光ホテル-夕方

解体途中で手を引いたのもあり階段が抜け落ちているなど危険はあったが、老朽化は進んでおらず足場は比較的安全だった。


愛知-昼


東京 新宿-朝


東京-朝

あまり撮れなかった。


静岡 熱海-昼


静岡 熱海-昼


静岡 熱海-昼


余談

この旅行、予算が一応8万だったんだけど、結局10万を超えてしまった。予算って何だよ。というのも、青春18きっぷを紛失したり性欲のために金を使ったり(オブラート)とバカにバカを重ねたからである。こいついつも旅行で何か失くしてんな。
その金で他に有意義な時間が買えたと思うと息子を引きちぎりたくなる。

これでも一応余計なものに使わなかったつもりだが、秋葉原にてアニメ雑誌、コミック誌で古いものが残されている店を発見、割と抑えてきた購買意欲が一挙に押し寄せてVガン放送期間のものを買いまくった。
このカテジナさんキマってて好き

1998年、2003年のものはそれぞれジェネレイターガウルガンスリンガーガールの記事を拝見できると思い購入。


ただ、どの店舗にもダイナミックコードの関連商品が無かったのには草も生えなかった。vita版本編(KYOHSOのみ)をどっかで定価で売ってたのを見たのみ、CDはアニメイトにシャッフルとシングルとキャラソンがいくつか、残念ながら一番欲しかったアルバムは無かった。どの店舗にもOPEDはあったけどそれじゃない。何よりもグッズをひとつも見付けられなかったのが心残り。






旅行の記事は他に書きかけていたがしつこいのもアレなので(無への配慮)これで終了。ダイナミックコードやらVR関連の記事も早いとこ書きたい。

いろいろ


先日「スターウォーズ 最後のジェダイ」を観てきた。が、SW初見である。
これはどういう風の吹き回しか、SWを人生で一度も観たことがないのも既におかしいのに最初に観たのがこの新作3部作の2作目なのは、俺が既に「フォースの覚醒」を視聴済みと思って友人がチケット取ってくれていたからである、SWはいつか観たいと思っていたので良い機会だった。ただ過去作をいくつか観て今作の評価がどんくらい変わるかは心配なところ。


率直な感想としては、普通。アメコミみたいなイメージ無かったから、これがSWなんか?と思ってしまった。誘導するようなシナリオ、小動物のマスコット売り、危機一髪でコミカルに助けに来る味方、BGMなしのシーンが殆ど無い…何だかディズニーみてえだなと思ったら、そういえばルーカスフィルム買収されてたんだった。


今作から観たせいで大元のストーリーは断片的にしか理解できなかったが、それでも充分楽しめた。しかし裏付けのない状況描写は「ここいる?」ってシーンばっかりで各キャラクターの繋ぎも雑、もっと勢いでブッチギってくれたら
わざわざ挙げるのもちょっと嫌らしいが(こちとら批判しているつもりはない)、特攻シーンはベタ中のベタのキャラクターがベタな事やってて、いくら王道人気シリーズだとしてもアレで泣いてもらおうとでも思っているのかなとふと考えてしまうのはつらい。


ただセリフは総じて好き。それでも視聴者が心で感じるべきものをいちいち説明するのはなんだかなぁ〜(阿藤快)
アクションシーンは重々しくて見応えあった。


そしてカイロ・レン、このキャラクターが一番印象に残る。レイとのニュータイプ空間みてーなやり取りも良かった。レン役のアダム・ドライバーのビジュアル、演技が物凄く好みなので主演映画を漁ってくる。
特にウユニ塩湖での一対一のシチュエーションで身体を一度だけ揺らしてライトセーバーを腰で構えるあのカット、あれは死ぬ程好き。あのポーズのポスター欲しい。
グッズにはマスク被ってるものが多くて、レンの顔が好きなので少し残念だが、ダースベイダーなんだからマスク被ってるのは普通か。そもそもダースベイダーなのあの人…?やはり初見野郎は色々と危ないのでここまでにする。

ただラストのルークはどう足掻いても某超越〇力の方にしか見えないので(俺の頭を)どうにかして欲しい。




余談


旅行で重要なのは目的やその達成感などではなく、人間の快楽、ただそれだけに集約されていると、持っていたかもしれない疑問に上手いこと引っかかった。「どこへ行ってどんな事をした」という自覚がどれだけ不必要か、勿論その快楽と目的の必然性もクソも考える間もないが、因果の存在するかもしれないけど否定したいもの、そこに寄せる感情がどれだけ人を幸せにするかどうかを思い知ってこその旅行だと、自分にとってそれが一番大切なのだと感じた。

東京という街、みんな自分のことに手一杯の筈なのに、その中に余裕があるようで非常に魅力的に見える。自信と不安の隙間にある愉悦、関心と無関心の方向性、全てがバランス良く整っていて、人のわずかな欲望、悦びというか、劣等感などとうの昔に捨てたような、突発的な感情を受け取るか無視するか、そんな事を皆本能的に判断しながらこの街に居ると思うと…確かに地元は悪い訳ではないし小さく感じる事もないが、ただあの街と人は広いようで狭くて、とにかくこの非日常と呼びたいものに取り憑かれている少しの間だけでもいいから、あんなところを飛び出したいと思う苛つきを一生覚えていたい。

一泊だけして通り過ぎようと思っていたが気が付けば三泊、ここに溶け込みたくて、もはや錯覚なのは分かってるけど、こんなにもたかが個人を楽観視できる自分がたまらなく好きで気持ち良いと思ったのは初めてだから、しがみつきたくもなる。
正直に言うと相対的な価値(と言ってしまうと大袈裟かも知れない)が確実にあって、結論付けているのは間違ってはいない。目に見えるだけでも情報量は膨大で、人と関わってやっと個人の生活の一端が垣間見えるだけなのが、都会なんだろう。

行動原理


自分の弱点というか悪い部分は、嘘をつくところである。常日頃嘘をついているという話ではないし、かと言って嘘は滅多につかないと言いたい訳でもなく、具体的な現実ではなく無意識的な感情という訳のわからない説明になるが、自分も分かってないので問題ない。行動原理が伴うのは無意識の嘘が呼ぶ危機感からやって来るものではないかと思い始めた。

結局、ただの不安や恐怖そのものがスリルかと勘違いしていたが、危険性を敢えて顧みた上で使命感と妙に噛み合う常識に追われるのがスリルというものかもしれない。
普段から重度の自意識過剰のせいもあるだろうが、幻覚や幻聴を伴ってこれまでにない疲労感に見舞われた。大袈裟じゃないし冗談でもなく、どれを本当か嘘か考えれば解るだろうが考えたくないっていう変な感情になり、その場を離れた。

嘘でも何でも、一般的に悪とされるものの自覚について、自身に対して物凄く良心的な見解を当ててやるのは簡単で、その対比としてやはり背景がしっかり残っていると、街の生活が透けて見えるようで、一種の劣等感というか、とにかく長くは居たくなかった。

過信


言葉の礼儀や違和感を察知できるか、そもそも経験が浅いために備わっていない自分だが、そこでインターネットを頼りにしてしまうというのも危険だという事を思い知った。

「了解しました。毎度ながら、ご配慮下さりありがとうございます」

こう、送った。社会人からすればブチ切れたいくらいの醜い文だろう、実際注意された。ネットには常識と呼ばれるものがそのまま落とし込まれているとの事ではないのは理解していたつもりだったが、浅い認識であった事実が結果的に露呈した。


「了解しました」は目下の者は使わないとの事。友人間でもよく使うので使い慣れてしまっていたのが問題だった。「毎度ながら」は口頭では使われるケースもあるが文面では汚過ぎるらしい。これは丁寧だと勝手に思い込んでいた。「ご配慮下さり」については日本語が正しいか誤っているか以前の話だと言われた。この言葉がネットで得た知識であった。


無論、インターネットが悪いと言いたいわけではない。委ねられる責任とその判断が自分にしか存在しないのは当然で、メディアでもネットリテラシーやモラルについて取り上げられるようになったものの、解決の具体例が明確に提示できるかと言われれば難しい。(まとめサイト等の三次情報媒体を除く)
まあ、あくまで個人としての傾向で顕著なものが"知恵袋"等の質問サイト。これは複数の回答からひとつ「説得力のあるもの」として選別されている所為か、信憑性の高いものとして脳内で変換される節がいくつかある。


先程少しだけ出したネットリテラシーも一般社会での正しい礼儀も、ネットのルールはネットで学び、社会のルールは社会で学ぶのが最適なのかなと今回の件で学んだ。
結局どこからどこへ行っても痛い目に遭うのが近道なのは間違いないが、自身の認識という曖昧なものは取っ払って、一方からの意見ではなく現実もネットも同じだという事を理解しなければならない。


ということで修正すると、
「承知しました。いつもご配慮いただきありがとうございます。」
になりましたとさ。

勿論上下関係があると言えばあるのだが「承知しました」「畏まりました」と改まりが過ぎるのも不快感を与えかねない関係なので(めんどくせえな)その間に位置する言葉が欲しいのが正直なところではある。

黄金


これ何だと思う?



糞じゃねえよ、芋だ芋。



我が家には薪ストーブなるものがありまして、冬はこいつが無いと死ぬ。

つまりは芋を薪ストーブ内にブチ込んだ訳で、これがクッソ美味いんですわぁ…
今回食ったのは福井県あわら市特産品である「とみつ金時」で、甘い。とにかく甘い。

こいつを

こうして

こうじゃ

作り方としては、洗ってキッチンペーパーで包み、その外から銀紙でまた包んで火が直接当たらない位置に設置して1時間待つ。

そんなに待てる訳ねえだろ。
という事でこの後薪を焼べまくった完全燃焼中の炎の中にブチ込んで15分で完成させた結果があの哀れな黒焦げ姿。上記の正しい作り方であれば皮ごと食える焼き芋に仕上るそうです。いやあ自分そんな気が長くないんで…

先の通り黒焦げでも中身はホックホクの焼き芋なのでスプーンでほじくりながら食う。口の中が火傷するかしないかの瀬戸際な温度が堪らん。



そんでこの薪ストーブ、内部は耐火レンガで囲ってあり、一次燃焼で発生した炎はバッフルプレート(天板みたいなもん)下付近でスリット(上部の隙間)から供給される二次燃焼用空気によって再燃焼される構造。室内温度は300℃にまで達する。

一次燃焼時の薪が燃えるときに出る煙、これには未燃焼ガスや水蒸気などが含まれ、それをもう一度燃やすのが二次燃焼。二次燃焼構造のいいところは、やはりその燃焼効率の良さ。しかも垂直燃焼型の煙よりも煤を70〜80%減らすことができるので基本的に掃除は不要、煙もクリーン、もうダブル☆驚きですよね。
輻射熱による暖房というのは他とは違うポテンシャルを秘めていて、確かに火を付けるのも薪を焼べるのも面倒だがその暖かさは何にも代え難い中毒性と安心感がある。


分かり易い弱点と言えば、サンタさん(隠喩)の死体や死臭を味わわなければいけないこと。いや、ストーブを稼働しない期間にスズメが年平均5~6匹煙突から私がクリスマスプレゼントですと言わんばかりに身を捧げに来るんだよね…
暇さえあれば飯を食うとされるスズメは1日も経てば全く音を立てなくなり(ストーブから脱出しようとするのも結構な体力を使うのだろう)、恐らく2日以内に死んでいる。数年前まではゴミ袋を破り3連結させたもので覆い、ドアを開け捕まえたスズメを逃してやってたんだがそんな人情溢れる奴はこの家から居なくなってしまったので現在は文字通り焼き鳥になって頂いてます。いや食べないよ。

価値のないもの


知った味を食って食らって、アニメゲーム映画漬けの毎日、外に出ているのは自主的なものとは言い難い。それを繰り返すこの生活を気に入ってしまっている。ボヤボヤしてると後ろからバッサリな世界にほっぽり出されてギリギリを生き延びたいと思っていたあの頃の自分はどこへ行ったか知らんが、小学生の頃に描いていたニートよりもなりたくなかった実家暮らしのフリーターという将来がすぐそこに来ている。
しかしそこに当てはまる人たちは、みな嬉しそうに身の上話をしてくれる。面白いことに、仕事と生活が同列で、マイペースに見える。同じ歳でも家庭を持つ人は、どことなく切羽詰まっているというか、何か使命感に追われているように感じる。どうしたものかその人を羨ましいとは思わない時点で人間的なものや夢をここで示さなければいけないのは当然だが、どうして動けないのか。

相対的に見なくとも、ここ数ヶ月は確実にいい生活を送れていると言える。どっちにしろこのまま冬を乗り越える足となればこれ以上良いことはない。ただ投げ出したいという気持ちは、何かの助けになるのだろうか。これほど恵まれた個体が、関わるもの全てに放っておいてくれと言っている。矛盾が楽しいと生意気に言っていたクソガキが、繊細さの欠片もなく整合を取ろうとしている。昔に戻りたいなんて中身のないゴミのような感情が湧いてくる。例えリアルとは呼びたくなくともほぼ完璧にやってるつもりではいても、本能が怯えるなら、劣化部分が適合という形で成形されていくのが分かるなら実際そこは自分が最適に生きていける場所だと思う。ものの大きさで高低差は変わらないと言いたい訳じゃない。ただ絶対にそこはリアルではないと言いたい自分がどこまで持つか。要は課せられるものを現実と言って受容出来るかどうか、ここに懸ける気持ちは人一倍でなくてはならない。
反面、リアルかそうでなくとも二分化したがる自分をもっと面白がりたいと切実に思う。人間の本質なんてものに当てはまっていく様がどうもイラついてしょうがないが、ここまでで得たものを頼りに、レベルの低い自己完結を塗る覚悟を決めなければいけない。

猶予を延ばそうとすれば破滅する。何故だか知らんが確実に破滅できる自信はある。しかし都合の良いこと悪いことをやり過ごした数が多すぎるこの町で消化されることなく過ごしたいというのは紛うことなき本意で、モラル、保身すら気にする必要のない空間がここに完成しているなら、プロセスと結果に意味を求めてはいけない。甘えでも何でもないものを卑下と罵って、また繰り上がる感情を一生続けるつもりならそれはそれでいいんじゃないか。

ひとり歩きしているただの言葉が、どれだけ意味をもたらさないか。こんなものを理解したところで、あらゆるものの上下関係が人間の中ではなく間に存在しているか、していないかは考えたくも聞きたくもない。放ったらかしだとしても常軌を逸した存在を目の当たりにした時に、一番最初に受け取った感情が恐怖であることを覚えている。これが本能なら、とっくに弱い人間だと証明されている。関わってはいけない、潰される、早く逃げたい…あの恐怖があったからこそ、今があるとこんなにも安っぽく一言で表現できてしまうが、客観視したならば絶対に見ることのできない、人生の因果が交通事故を起こした瞬間など、記録もせずに生きてきたこと、無駄ではなかったいう証拠がないならば自分は今ここで文句を言い、言われ続けなければならないのか。人間なんて自然の摂理と何の関係もないとしても、自分を殺しにくる人間が一人くらいは居てもいいのではないか。

偶然か必然かすら理解の及ばない、あの感情、言葉、可能性、思い返せば自分がどれだけ自堕落で生産性のない人生を送ってきたか、その結果として現れたシチュエーション、どうしてこんなにも分かり易くやってくるのだろうか。死にたい、死にたいと意味もなく誰かを探しに街へ駆け出したあの日々、今じゃ自分にすら理解されなくて、薄っぺらい。褒めるところがあるとすれば、よく死ななかったという事だけ、あそこまで自分を追い込んだ非日常が、もっと決定的な不幸、不条理へ導いて欲しいと願う異常なまでの薬へと変化させていったのは、誰のせいなんだろうか。

ある時は「してはいけないこと」を堂々と披露し、数秒前まで普通に接していた人間にも拒絶され、誰が正しかろうが社会で生きていくには自分の頭ではあまりにも不十分と思い知った日もあるにはあった。いや何もかも言葉のまま受け取らないで欲しい、俺は悪くない。和解する努力はしたんだよ、話を聞けばきっと納得出来るだろう…いくらでも弁明の言葉は出てくる程に、憎たらしい思い出ではある筈なのに、奴を言い負かす妄想を数え切れないくらい繰り返してきたのに、誰が見ても明らかに人生の分岐点だったというのに、思い出したところで何も感じない。
どうして感情的になれないか、ずっと考えてきた。それは偶然にもアドバンテージを生み出した、正確にはアドバンテージを生み出したと思っているからだ。あの頃の自分とは違う、あれは本当の自分じゃない、そんなことを無意識に感じているのだと、やっと気付いた。自分の事なんて知りもしないから日常的なあらゆる物事と行動に、どれが本心で本物なのか、偽物なのか模索しながら矛盾と因果を疑問の上に割り当てている。さっきまでこれを個性だと思っていたものが、こんなにもアホらしい。これまで本意であるものか本意ではないものか処理する前にごっちゃごちゃに混ぜて誰の言葉も借りずに書いてきたが、実は全部借り物だったんじゃないか。

本音を言えば、嘘か誠かなんて誰も知りやしない。結局どんな感情にも、「湧いてくる」などと思いたいだけの地位、環境は確かにそこにあったんだろう。誰も分からないと悟るなら、可能性を模索される妄想をしているだけの毎日に変化は来るのだろうか。
これでもかと哀しみを乗せてここまで書いたが、読み返せば無頓着な人間にしか見えない。

癒し


SideM前日譚の存在を今日知った、どうしてもっと早く気が付かなかったのか。
内容はJupiterが961プロを抜けてから315プロに入るまでのお話。ストーリーの完成度、作画レベル共にTVアニメとは思えない出来だった。35分という一般的なアニメより10~15分程長いもので、これ劇場版として売り出しても良かったんじゃないかと思うくらいの観終わった後の満足度があった。
キャラクターの想念と心意の駆け引きが素晴らしく、愛というか、そういったものが感じられた。良い意味でも悪い意味でもアイマスらしい部分はあったけれども本編とは全く違う良さがあるので、これはこれ一本で勧めたい。



はいそんで8話、合宿という事で今度は誰がサイコガンダムMk-IIになるのかと心配になるも、その逆を行きやがった。キャラクターの個性、個性、もう顔中個性まみれや。

よくぞまあこんなに多いキャラクター達をたった20分で満遍なく描ききりましたね…

ピエール君は今週もかわいい

マジな顔もかわいい

その為の右手

タカキも頑張ってたし(幻聴)俺も頑張らないと→ニュータイプ演出→ピエール君を守るみのるさん…鉄血リスペクトかな?


ダイナミックキメてから観るもんだから、線がとにかく綺麗でおったまげる。身体の動きも滑らかでブルっちゃうよ…



それと彼ら(歴代)の合宿所、福井県高浜町にございます。(唐突な売り込み)

実際はここまで整備もされてなく閑散としてるけど、嶺南の海は綺麗で関西からの旅行者が涼みに来るというのは地元メディアが毎年しつこく報道しているので間違いない。ガッチガチの観光地感が好きではない方には割とナチュラルな時間をお過ごしになれるんじゃないでしょうか。夏は通り越したのでこれからは蟹を食いまくれ。高浜原発の夜景もご一緒に。原発好きなら敦賀も寄ろう、しかし地元の人に原発の話を持ち掛けてはいけない。
西川知事も伊原木知事の様に自分を売る(至言)かの如くTV出演すれば人気が出る可能性が微粒子レベルで存在する…?


他にグラスリップ、メガネブとかいうアニメ界のやべーやつらが県内に居る中で聖地として残るのは有難い事やこれは…



余談

ドラマも好きなもんでよく観るんだけれども、どいつもこいつも怒鳴るシーンばかりで折角楽しく観てたのに急速で禿げそうになるんだよね…人が怒ってるのって、やはりウケるんだろうか。皆誰かに怒りたいんかね。
率直に怒鳴るシーンに嫌悪感がある訳ではなくて、大抵世の不条理に向けているせいか慰めの代わりに友情や勝利を目的としているものを多く感じて、題材がプリミティブな上に一方的というか。視聴率が変動しまくるTVドラマでは視聴者をどれだけ気持ち良く(意味深)させるかが重要なんだろうが、これ漫才か何か?

例外として半沢直樹は怒鳴るの度が過ぎてて好きだけども。下町ロケットは…ナオキです…国内ドラマの方向性としては最近のもので言えば(最近のしか知らんが)ゆとりですがなにか、流星ワゴンがストライクゾーン、やっぱ日曜劇場の…金のかかったドラマを…最高やな!
それと植木等とのぼせもんを婆ちゃんに解説して貰いながら観たおかげで非常に楽しめた。

普段観ない恋愛物も柴田理恵が主役やるってんなら観たい…観たくない?恋愛なんて要らないわぁなんて言いながら若い男と福運積んで砕け散っていく様をリアルと折り合い良くジレンマ掛けながら上手いこと演出出来るんじゃなかろうか。

いや、この前かな子と柴田理恵のスリーサイズが一致しているという事実を知ってから彼女が頭から離れないんだよね…

外郭


最近雨ばっかじゃねえかお前ん惑星ゥ!折角ひと月前からウッキウキで連休取ったのに5日間全部雨とかもう許せるぞオイ!そして今度はダイナミックコード7話がいなくなってしまった。くっそ〜、野球のやつ〜!


本題。
基本的にコミュ障と呼ばれる括りの中のひとりであるのが自分ではあるが、正直心持ちなどという簡素で難しいもので克服できないのではないかと最近感じる。
例えば外食の際に落ち着いて飯を味わえるかどうか、とは食欲を従える以前の問題で、「頭おかしい上に不便極まりない」のは感情として処理していいかどうかシビアではあるものの、結局のところ心の置き場がない。
まあこんな人間が居るせいで回転寿司でわざわざタッチパネルで注文しなければいけなくなったりする訳だが。多分共通したささやかな理想に技術が追いついただけかと思うので関係ない。

話を戻そう、結局は世間一般的に言う自意識過剰なのではと、うんその通りだよ。電車やバスの中でも、人混みを歩く中でも、誰もが自分をエバリュエーション一直線で巡らせているのではないかと、思考を看破されているのではなく、そっくり読まれている可能性を可能性のままで空間に居座らせているのが事実でありクソ要素。文章だと意識的な欠陥に見えるだろうが、全くの無意識であるから腐るものは腐らせ、焼くものも腐らせるので結局のところ何もしていない事になってしまう。


で、最も重要な解決策についてだが

そんなものは ない

DYNAMIC CHORDの揺るがない立ち位置


DYNAMIC CHORD、執拗にこのアニメの話するから覚悟して。
ここの顔すき

やはりDYNAMIC CHORDにしがみつく理由は、女性向けアニメらしからぬキャラクターの魅せ方のせいだと思う。モブ含め媚びる様子を見せない登場人物達の言葉が、いやらしくもしつこくもない。腰が据わり主張する貫禄を見せる彼らとは裏腹に進み続ける時間、キャラクターが創り出す物語というのは正にこれを言うのではないか。

4話で戦士の休息とヨリトさんがホモっぽい発言をするのも、5話でオッドアイとバナナがカマネキにオホッとするのも、しつこさがあれば絶対に映えないシーン。(SideMの)あざといピエール君を見てがわ゙い゙い゙な゙ぁ゙ピエ゙ー ル゙ぐん゙と感極まるのも勿論間違ってはいないが、男にとって女性向けアニメの癒しの究極系はこのDYNAMIC CHORDにある。キャラクターの感性も言葉の意義もガバガバ風景作画も視聴者から受け取りに来てもらうというスタンスを一貫している影山監督には脱帽するしかない。謎の中毒性で繰り返し観てしまう度に好きになっていく魅力はここにある。ライブシーンはなんとかしろ(豹変)
でもここすき


追いピアノや謎の間も確かにコメント付きで見なくとも面白いが、100%ネタ目的の視聴者は断片的なダイナミックシーンへの圧倒的な期待だけでなく「DYNAMIC CHORDというアニメ」としてマクロ的に捉えた際にいつか他とは一線を画す楽しさと面白さを両立する、合理的な裏側でありながら矛盾させたくはないアニメだと気付く程の神秘は確実にある。自分は破魔石の力に溺れるアーシェ並に取り憑かれた。

お持ち帰りしたいくらいのピエール君の可愛さや追いピアノの笑うしかない衝撃を一方的に感じるだけに留まらず、普通回と呼ばれる25分も自ら感受すればDYNAMIC CHORDの真の魅力と学ぶべきものが存在している。後にクソアニメとして鉄血や異世界スマホと同列で語られようが、この2つとは明らかに違う存在感を放つと信じている者は、決して少なくない。
Vガンだってそう、まともな神経していればリーンホース特攻シーンとキャラクターの狂気くらいしか印象に残ることはないだろうが、カテジナの故郷と帝国への想い、子ども達の戦争意識とモビルスーツの存在する意味を自分から受け取りに行った瞬間、名作と化す。


そして最新話である6話、加賀さんの鋭利な顎と木造だった筈の鉄骨ステージさっき見たライブさえなければ涙を拭った後、道明寺が映るカット時の「こんなライブ、お金じゃ買えない」という台詞で泣いてたと思う。Liar-Sが覚悟キメた瞬間彼らの心情を反映するように怒涛の花火が上がるシーンも好き。

マネージャーとバンドは確固たる共通思想を持ちながらすれ違い、解決する砌までマネージャーと接触することなく進むシナリオ。申し開きを効かせる場面でも回想という形でリフレインさせる事でより強調し、作画枚数も減らせるというテクニックにも感服せざるを得ない。例 : 私ね、楽しい思い出があるの・・・
Liar-Sが自分達のために目の前のファンを選ぶ姿をマネージャーは実見し、それは道明寺の後押しがあってこそというなかなか見られない構成、やはり道明寺は主人公。
着目すべきは現実的なクライアントからの想定される評価や常識ではなく、Liar-S自身の決断。いわゆる世間である視聴者側のツッコミすら狙わずとも逆手に取るダイナミックなテーマの6話は最高だった。



余談

今年のアニメは(いろんな意味で)全く退屈しないので大満足の万々歳。ホラ2016年のTVアニメを見てみろよオラァン!(追い討ち)

来季の情報も充実してきた。CCさくら続編、バジリスク続編と楽しみでしょうがない。新作であればTRIGGERとA-1共同制作のオリジナル作品「ダーリン・イン・ザ・フランキス」、PVの時点で既にヤバい香りがする「博多豚骨ラーメンズ」、度々お話しするMy Humanityで知っている長谷敏司の作品が原作の「BEATLESS」が気になるところ。BEATLESSは原作読むかクッソ悩むけど全話放送後にします。
J9シリーズの原案、山本優銀河神風ジンライガーなるものを制作中との事でそちらも来年こそは来ると期待。

映画を映画館で観る


自分自身映画館へ足を運ぶ機会と気分をバランス良く持ち合わせていなかったせいか、ここ1年レンタル始まってからでいいやと割り切っていたものだが、やはり映画館で観て家に帰るというプロセスが記憶の中で確固たる「映画を評価する」人間の自動的な、何の悪意もない心理を助長する、と言うと頭おかしいかも知れないがとにかく再び映画館で映画を観るようになった。


著作権法が改正される2012年以前の話であればそもそもこの家では映画を映画館で観る習慣が全く無く、実際に映画館へ足を運んだもので記憶の一番古いものは「カーズ2(2011)」で、その次が「あの花(2013)」「ゼロ・グラビティ(2013)」、以降は2015年までお預け。

初の映画館デビューであるカーズ2は3D目当てで観に行ったものの、気持ち悪くなってしまった上に話がイマイチだったせいでいい思い出は無かったと思われる。あの花はTV放送版未視聴、それでも本編ダイジェストだから大丈夫だと友人に唆されて足を運ぶが、泣き所さんがサッパリ妖精で困惑した思い出。ゼロ・グラビティに関しては話の内容も特に面白いと思わず、宇宙って怖いねとしか感想が出てこなかった。

という風に数も少なく良い感想が出なかった為に、最初に書いた文には映画館に特別な思い入れや憧れがあったからという理由は入らないとする。


しかしその2年後、ふとゼロ・グラビティの評価が気になってレビューを漁ると「ストーリーとは裏腹に佇む宇宙の映像美に圧倒された」という旨の感想を見かけて、やらかしたと自覚する。急いでレンタルするも観続けていくに連れ、ああもう一度映画館で観たいなあ…としか思わなくなり、あまりの悔しさからこの年はアホみたいに映画館で映画を観る事となる。

多方面から攻めてくる圧倒的な情報量に呑まれてヘヴン状態となったスクリーンの前の人間は観終わった後に思考が追いつかず、いつの間にか歩道を外れてたり信号の色を間違える事となる。危ないね。
今思うと、映画館で観たものはやたら記憶に強く残っている。ヒトの習慣とは面白いもので、自分の場合は気を抜けば話の内容をスッポリ忘れるもんで映画館から家に帰るまでの間ひたすら集中してこの映画はどうだったか考える時間が設けられ、10分と決められた時間内に完結させることが出来ればもう観に行かない、出来なければもう一度観に行くという実際には定められても決められてもいないがルールのようなものが存在していた。
例を挙げれば先日苦言を呈した「マイ・インターン」、3回も観てしまったせいであの変な感想が出てくる。

ともかくこの過程が最適(どう最適だったかは知らん)であったが為に、映像・音・スケールという要素を差し置いたとしても映画館へ足を運ぶというのは大事だと知り、相変わらず上映数は少ない上に遅れてやってくる田舎ではあるが映画を映画館で観る悦びを取り戻しつつある。


分かりやすい話2015年という年は自分にとっていつよりもここが絶対的な、符号化すらされていない神経パターンが宙を漂いながら全てをブッ壊して再構成させる意識が強く在りすぎるせいで「2015年を思い出させるイメージ・行動」という逆算が成り立った時に、規範内の合否と善悪が釣り合わなくとも「あ、そっかぁ…」と池沼化してまで行動を起こすのである。

やっぱり映画館に思い入れがあるんじゃないか(呆れ)

続・ダイナミック秋アニメ視聴


S.E.M is GOD

うーん、最高だった。

ヘンテコかもしれませんが大人がそれを本気でやるのが格好いいんです とプロデューサーが言っていたが、ごもっともじゃないですかね。好きよ、S.E.M(語彙力パージ)
それと硲先生歌上手くてびっくりした。

4話にもガッツリ出演したHigh x Jokerの高校生っぷり、妙にリアリティあって感心する。

こういう表現はどこから持ってくるんやろか。子持ちのスタッフが助言しているとか。

4話はライブパートがダイジェストながらも満足でした。
がわ゙い゙い゙な゙ぁ゙ピエ゙ー ル゙ぐん゙

しかしこう見ると、作画ブレないねぇ…
どうしてラストで踊ってくれなかったんや。楽しそうに歌って踊る鷹城君の顔が見たかった。


初見というのは大事だと勝手に思ってるから各話放映時点での未使用曲は聴かないようにしているのだが、一応ユニット毎のシングルはスマホにブチ込んであるのでその都度聴き込む。今のところやはりDRAMATIC STARSのSTARLIGHT CELEBRATE!が至高ですねえ。Aメロの きっと証明するさ正しいってこと があぁ〜たまらねえぜ。



さあDYNAMIC CHORD、深みに嵌っていく。断片的な情報、少ない台詞、使い回されるカット。初見では視聴者と笑いながら、こんなアニメよく放送するわと馬鹿にしていたが謎の中毒性で繰り返し観る度に好きになる。
ここの顔すき

ハチャメチャながらも辻褄の合う登場人物達の行動は、ストンと腑に落ちてしまう。「訳の分からない」アニメではないのは確かで、そこら辺に転がっている萌えアニメラノベアニメでも監督の技量により面白くなるものはたまにあって、これもそのひとつだと信じたい。
普通ならタラタラと取って付けたような台詞があってもおかしくない場面でもダイナミック構図で乗り切っていく。表情から という一方では滑稽に見える作風かもしれないが、近年のアニメと相対的に見れば見るほど輝いてくる。現代の,近年の と注釈すると反論を貰いやすい傾向にあるが、これも好みの問題だと割り切った。(自分含め)納得させるのはこれが一番早かった。
近年のアニメは確認動作が多過ぎてクッソイライラするんだよなぁ…

でも背景作画とライブシーンは申し訳ないが草を生やさせて貰う。それも含めてDYNAMIC CHORDだよ上等だろ。

それはそうとタイトルの入りとロゴが結構好き。DEENFateのサブタイ移行くらい好き。気が付けばCDレンタルしてた。現在アニメに併せて発売されているものでは[rêve parfait]とKYOHSOのシングルがあり、レヴァフェはOP曲「p.s. i hate you♡xxx」+1曲で「BEAUTIFUL DREAMER」通称:マァ〜〜〜〜〜↓↓↓は入ってない。KYOHSOもED曲「because the sky…」通称:ほぉ〜〜〜〜ん +1曲収録、「Roots of Life」通称:アババババババドンドンドンは入ってなかった。ゲーム同様ひでえ売り方やこれは…あとついでにオッドアイverも聴けんやろか。
肝心の曲の内容だけど、結構好きよ。レヴァフェはルシファーさんの作詞に草生えるけど編曲は良いんじゃないですかね。ピアノや電子音も織り交ぜられてあっていいぞ。

そういえば他の秋アニメはどうなんだってか、宝石の国,新キノの旅,少女終末旅行は今のところ完走予定だけれども、いずれも特に言いたい事はありません。ノーコメもありや(KYM)


余談

プリパラのライブ観てると、本当に心暖まるんだよなぁ…表情、振り付け、カメラワークも細部まで拘っていて、高レベルのCGがそれを後押ししている。アイカツプリキュアも凄いけども現行のCGが使われているTVアニメではプリパラが最強だと思う。ツキウタはセルルックCGの上にフェイシャルキャプチャ・モーションキャプチャという最新技術の詰め合わせで、この説明見るだけでも興味が湧くんじゃないか。湧くだろ。湧け。

最初はプリパラおじさんと呼ばれる人達が話題になっててあっ、ふーん(察し)と素通りしてしまったもんだが、たまたま「かりすま〜とGIRL☆Yeah!」を聴いた時にこれがプリパラなのかと度肝抜かれて即視聴決定、女児アニメを甘く見ていた。ラブライブとかその他ロボアニメで見慣れていたCGのイメージが強く印象付けられたままライブシーン観たもんだから、また度肝抜かれた。
そんで最近プリパラの前身であるプリティーリズムの存在を知って視聴中。プリパラも1期2期と急いで観てやっとこさリアルタイム視聴にシフト出来たけど、やはり長い作品の一気見はアカン。昔テニプリも2ヵ月掛けて一気見したら疲労感が半端じゃねえ(ミュ)事になって、やはりこういうのはリアタイでこそ映えるんだろうなあと感じた。